note日記「なぜなら、40歳になったから」

日常的に「書くこと」を始めてから、必要なものと不要なものについてよく考えるようになった。その中で顕著になったのは、必要なもの(あるいは「こと」)と比べると遥かに多くの不要なもの(こと)が自分の周りにはあるということ。考えだすと、あれもいらない、これもなくていい、あれはやらなくてもいいし、これをやるのはもう辞めにしよう、そういう事ばかり思いつく。

今から16年ばかり前に、サンフランシスコにあるアクティングスクールに通っていたことがある。昼間はデパートで働いて、週に2回、夜と週末のクラスをとっていたのだが、そこには様々なバックグラウンドを持つ社会人のクラスメイトが通ってきていた。小学校の先生もいれば、シリコンバレーのIT企業で働く移民のエンジニア(確か中東系の血が入っていたと思う)もいた。60代の弁護士や元空軍のパイロットというような人まで、本当にいろんな人たちが、いろんな目的を持ってスクールに集まっていた。例えば元パイロットの男性は、厳しいトレーニングによって「感情に左右されない冷静な判断力」を身につけた結果、何が自分の感情なのかが分からなくなってしまったため、人間らしい感情を回復するためのリハビリテーションの一環として演技のクラスをとっているということだった。彼・彼女らがどのような役者だったかはほとんど覚えていないけれど、私は彼らがそこにいた理由ならだいたい思い出すことができる。なぜならよほどのことでもない限り、彼らがクラスに通うようになった理由を聴くのは、彼らの演技を見ているよりもずっと面白かったから。

そういう興味深い「理由」を抱えたクラスメイトの中にあって、一人だけ、よく分からない理由で参加していた男性がいた。彼はとても穏やかで、ちょっと恥ずかしがり屋で、決して演技は上手くはないが、毎週とても熱心にクラスに通ってきていた。彼の職業が思い出せないのは、たぶん他の人たちのような分かりやすい肩書きがなかったからだろう。しかし彼はその「よく分からない職業と、よく分からない参加理由」によって、むしろ他の誰よりも強い印象を私の中に残した。

「なぜなら、40歳になったから」
それが「理由」を聞かれた時の、彼の第一声だった。私たちは誰もが、その後にもっと具体的な、もっともらしい理由が語られるものと信じて言葉の続きを持った。しばしの沈黙の中で、彼自身、どうやって説明すればよいものかと困惑しているようだったが、彼はやっとのことで「40歳になったとき」と言い直した。
「ふと考えたんだ。僕に残された時間はあとどれくらいだろう、って。そんなこと、それまでは考えたこともなかったのに。それまでは時間なんて無限にあるような気がしていた。だからあれもやろう、これもやりたい、あれもこれもやらなくちゃ、って人生をどんどん広げることばかり考えて生きてきた。それが40歳になった途端に、残された時間をどう生きるか、という考えが急に浮かんできて、そんな風に人生を捉え直してみたら、要らないものがいっぱい出てきた。あれはやらなくていい、これもやるのを辞めようって、やらなくてもいいことがたくさん出てきた。それらをせっせと手放していったら、前よりもずっと自由になった。自由に使える時間もできたし、全体の見通しがよくなった。そうしたら、心の底ではやりたいと思っていたのに手付かずだったことがまっすぐ見えるようになったんだ。その一つがアクティングだった。ずっとやってみたかったんだよ。きっと若いみんなは、僕が何を言っているのか意味が分からないと思うけど(笑)」

私はこの夏、あの日の彼と同じ歳になった。
「なぜなら、40歳になったから」
それ以上に説得力のある理由が、他にあるだろうか。

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