ネット時代の情報リテラシーと不自由になった言論空間

皆さま、こんにちは。
安希@しばらくは日本の自宅でのんびりです。

先日、ある読者から「ブログをやめてしまうのか?」という質問を受けました。答えから先に言うと、今のところ止めるつもりはありません。ただ、ほとんど更新していないのは事実ですし、古いエントリーも大半は削除してしまいました。続ける意味があるのかと聞かれたら、正直よく分かりませんが、別に止めなければいけないとも思わないので、このまま放置するつもりでいます。

今日は、ブログを更新しなくなっていった理由と古いエントリーを削除することにした経緯を書いておくことにしました。ブログを始めて12年以上になりますが、ネットや言論空間をめぐる状況も随分変わってきたと感じています。自分自身の感覚で言うと、その時々の発見や感想、意見などを自由に書いていく、ということが以前よりも難しくなってきました。ネットのおかげで言論空間が広がり、誰もが自由に発信したり、意見を書き込むことができるようになり、書き手としてもボーダーレスに読者へのアプローチできるようになった、というのは確かにその通りですが、しかし、すなわちそれは「顔の見えない大勢の人たち」を相手にしていくということでもあります。ブログの場合、読者は私が誰かを知っていますが、私は当然、相手が誰かを知りません。属性も年齢も、多くの場合は性別も分かりません。そして、もちろんその人の性格や、その時々の気分といったものは、分かるはずもありません。そうした中で書いていくこと、書いたものへのレスポンスを受け取り、誰とも分からない誰かとやり取りをしていくことに疲れを感じるようになった、というのが正直なところです。私自身は「ものを書くこと」を仕事にしていますが、紙媒体で書くときは昔と変わらず比較的自由に書くことができます。でもそれが、ネット媒体、さらにはブログやSNSになってくると「書かずに済ませられるなら、極力そうしたい」と思うようになりました。12年前と比べると、ものを言う不自由さ、窮屈さを感じるようになりました。

● 悪意のある書き込みは別に構わない

ネット空間にネガティブな感情や悪意のある書き込みが溢れているのは周知の通りです。そうしたものに嫌気がさして、ネット空間(または、その言論の世界)から手を引く人は一定数いると思います。私もかつては嫌だなと思っていました。今でも、そうした書き込みを目にするのは気分の良いものではありません。ただ、それだけであれば、ある程度慣れることができるのも事実。なぜなら、悪意のあるコメントを書く人は、「悪意があるコメントを書きたい人」という点で、人物像や目的がはっきりしているので、こちらもそれを前提とした対応(相手にしない)ができるからです。問題は、何が言いたいのかが分からない、属性や目的、それを書くに至った理由が分からない人の書き込みです。何かしらのレスポンスを求めて書いているのか、ただ自分の思いを伝えたかっただけなのか、暇だったから思いつきで書いただけなのか、何なのか、多くの場合はよく分かりません。だから、真面目に答えた方がいいのか、放置すればいいのか、対応の仕方に悩むことになります。

● いつ、どんな状況で、どの部分を読んだのか?

ネットが普及したことで、情報は「フラット化」し、さらにスマホやSNSの浸透によって「断片化」しました。例えば、10年前に書いたエントリーと、昨日書いたばかりのエントリーが、日付以外はまったく同じ条件で存在するのがネット空間です。紙媒体であれば、10年前の記事を手に入れようと思ったら、図書館や発行元に問い合わせるところから始めなければいけないですし、当然ながら昨日発行されたものと同じ状態(刷りたての新しい紙)ということはありえません。だから情報を受け取る側は、それが10年前の情報であることを前提に記事を読み進むことになります。ところがネットの場合、10年前の記事も昨日の記事も、専門家が書いた記事も素人が(それっぽく)書いた記事も、ネイティブ広告も、フェイクニュースも、あらゆるものがフラットに同じ条件下で存在することになります。 だから読み手側は以前よりも情報リテラシーを要求されるようになりました。加えて、端末も変化しました。パソコンからタブレット、スマホなどへと移行し、小型化と携帯性がアップしたことで、情報には「短さ」と「分かりやすさ」が求められるようになりました。文脈や全体像よりも、「パッと見の印象」が重要になったわけです。それによって、情報はより簡略化された形で提示されるようになり、受け取る側は「パッと見で」しか情報を受け付けなくなってきているように思います。どういうことかというと、パッと目に入った部分しか読まない。(笑) 例えば3000文字の記事の中に、起承転結があったとしても、たまたま目にしたところが「転」だけだったとしたら、その人はその記事を「転」だけで認識して独自の議論を展開することになります。だからネット上で誰かとやり取りをしていると、「記事を全部読んだ上での意見だろうか?」「どの部分を読んだんだろう?」「いつの話をしているんだろう?」と疑問に思うことが何度かありました。それから、人それぞれ、置かれている状況やその時々の気分によって情報の受け取り方は変わってきます。そうした個々の状況や感情を考慮した対応をするのは、顔の見えないネット空間ではほとんど不可能だと思います。無限の読者、無限の状況、無限の感情と向き合っていくのは、つくづく不毛である・・・と。

● スルーだって、一つの意思表示になってしまう

ネット社会というのはそういうものだし、いろんな人、いろんな意見があるのも当然なのだし、まあ、あまり気にせずに適当にかわしておけばいいのではないか。というのは、まさにその通りです。スルーすべきところはスルーすればいいし、ネット社会でストレスを溜めずにやっていくにはそれしかないと思います。ただ、私のようなデジタルネイティブでない世代に人間にとっては、スルーするということ自体が、ストレスになったりもします。なぜなら、返事をしないということだって、一つの意思表示になってしまうから。そして、きちんとやり取りをする、というのもやはりコミュニケーションにおいて大切なことだと思うからです。実際に、ネットでのやり取りから親しくなった人もいますし、面倒だなと思いつつ真面目に回答したことで、とても喜んでもらえたこともありました。ネットから「会いませんか?」と誘われたケースは、お会いする前は気乗りがしないのですが(特に異性の方からの誘いだと、一通りの憂鬱感を味わいます)、実際にお会いした人は、本当にみなさんいい人や面白い人ばかりで、スルーしなくて良かったと思いました。そうなってくると、どこまで真面目に返して、どこからスルーすべきか、そのあたりの見極めにおいて再び悩むことになります。なかなか、難しいです。

● 香港、大学院、というキーワードへの反応 

特に悩ましくなってきたのが、香港大学を卒業した頃からでした。「大学院で学びたい」「香港大学を見てみたい」「香港に今来ているので会いたい」「もうすぐ香港大学に行きます」など、様々なメッセージを受け取るようになりました。ただ、とても気になったのは、その多くが、私が入学時に書いたエントリーを読んで反応してきていたことです。だからほとんどの場合、メッセージの前提が「安希は今、香港大学大学院で学んでいる。大学院進学に大きな期待を寄せている。社会に出てから大学院で学ぶことは素晴らしいはずだ。加えて香港という場所、香港大学であるという点がとても楽しみである」になっていました。しかし、卒業を迎えた時点(卒業後)の私の感想や置かれていた状況は、入学時とは大きく異なっていました。卒業と同時に帰国しましたから、メッセージを受け取っていた頃は、当然ながら香港にも香港大学にもいませんでした。加えて、大学院のプログラムには多くの不満がありましたし、社会に出てからわざわざ大金をはたいて行くようなものではない、とすら思いました。もちろん、そうした心境や環境の変化は、ずっとブログに書いていました。大学院を終えて帰国したことも報告しましたし、そのエントリー内で、大学院に行く価値があったのかどうか、大学院とは何をすべき場所なのか、など、自分なりの振り返りをした上で結論も書きました。だから、順を追ってブログを読んでくれていた人であれば、卒業時の私の考えや状況は理解できたと思いますし、そうであれば「香港大学魅力的ですね!私もぜひ学んでみたいので出願方法を教えてください!」とか「もうすぐ私も香港に行きます!9月には会えますね!楽しみにしています!」的なメッセージは、送られてこなかったはずです。スルーしようかとも思いましたが、結局は返事を書きました。出願方法も説明しました(金の無駄だけどいいの? と思いながら)。そして、どうしてこんなことになってしまったのだろうと考えました。そして、「香港」や「大学院」というキーワードでたまたまエントリーにたどり着いた読者に、ブログを最後まで読んで欲しい、前後の文脈を理解して欲しい、といった期待を持つのは間違いだと痛感しました。

● スルーしたらどうなるのか?

スルーするつもりがなくても、結果的にそうなったというケースもありました。大学院を卒業して帰国したあと、3ヶ月が経ち、札幌へ講演会に行った日のことです。夜の講演会のあとスタッフと食事に出て、それからホテルに戻った深夜、ブログから問い合わせがきていることに気づきました。内容は、今香港に来ていて今夜会いたいので、会えるかどうかの返事を〇〇時までにしてほしい、というものでした。〇〇時もとっくに過ぎていましたし、メッセージをもらった時は札幌への移動中だったか、講演中だったか忘れましたが、メッセージには気づきませんでした。メッセージに気づいた時にまず思ったのは、直近のブログには、その日は札幌にいること、夜は講演会に出ていると書いてあるのに・・・、う〜ん、またか・・・、ということでした。直近のブログのタイトルだけでも見てくれていれば、そのことは直ぐに理解できたと思います。それ以外にも、「大学院を卒業して帰国した」ことや「日本で過ごしていること」なども書いていましたから、どれか一つでも目にしていてくれたら・・・、と思いました。そのあと、返事を書くべきかどうか、で少し悩みました。日本で講演会に出ていて〇〇時までに返事ができなくて申し訳なかったことや、香港での残りの滞在を楽しんで欲しい旨を、一応書いておいた方がいいだろうか? と。でも結論からいうと、アホらしくなって止めました。もう深夜で、こっちはクタクタなんだ!!! と思ったら、やってられなくなった。それに、おそらくほとんどの人は「そんなのスルーして当然!」と思うでしょうから。ただ、一つ心配だったのが、相手がどう思うかは分からないという点、つまり逆恨みの可能性でした。相手は、私が当然香港にいるものと思い込んでいるわけで、もしかしたら「なぜ自分だけ無視されたんだろう?」と誤解しているかもしれません。(いやいや、そうじゃないんだよ。香港にいないんだよ〜〜泣) そこで、単に「この安希とかいう奴はクソ女だな」と嫌われる程度であれば、もうご自由に、という気分ですが、「お前、何様のつもりだよ」的なリベンジ行動に走られると、これは非常に厄介です。人は、「誰かに軽視された」と感じると深く傷つく生き物ですから、相手に「自分だけ無視された。スルーされた」という印象を与えてしまうと、より相手が攻撃性や粘着性を増してくることもあるわけです。(これまでの経験上、異性の場合は特に注意が必要)。最初の対応を間違えて、事を荒立てるような真似はしたくないです。でも、もうアホらしくてやってられない!という気持ちもある。ネット空間の危うさは、自分の意図とはまったく違う方向へと話が転がっていってしまうところにあるのかもしれません。相手の顔が見えないというのは、そういうことだと思います。

● そして、過去のエントリーを削除することに決めた

ネット空間には面倒なことがたくさんあります。だけど読者全員が誤読をしているわけではないですし、定期的にブログを見てくれている理解ある読者もたくさんいます。それに、ネット言論のこじれから実害に及ぶような極端な例は、実際にはほとんどなく、あってもせいぜいネット上での誹謗中傷が増える程度のことなのだから、まあ、気にせずやっていけばいいだろう、というのがこれまでのスタンスでした。けれど残念ながら今年になって、実際的な問題にも巻き込まれてしまいました。相手に悪意はなく、しかしそれは、情報リテラシーの崩壊はここまできてしまったのか・・・、と愕然とさせられる出来事だったと言えます。

今年の春、ブログにコメントが一つつきました。ずっと昔に書いたスロベニアのエントリーに対するもので、書き手は、「とある企業」でした。高級オートバイブランドからの仕事の依頼です。スロベニアに工場を作ることになり、技術者を派遣するので、現地での通訳兼、世話役を頼みたいとのことでした。返信すべきかどうかは迷いました。そもそも私は物書きですから、こういう依頼が来ること自体、ほとんど想定外でした。それに私はスロベニア語はできませんし、現地の生活事情にも詳しい訳ではありません。スロベニアは英語の通用度が極めて高い国とはいえ、オートバイの専門用語は、日本語であれ英語であれ、私には門外漢です。それから、依頼を受けた時期は別件で韓国に行く予定があり、渡航調整をしている途中でした。ただ、コメントを一読した感じでは、スロベニアという超マイナーな国で業務に当たれる人材がなかなか見つからず、困っているような印象でしたし、私自身は、それまでに計2回、二週間以上現地に滞在したことがあったので、お手伝いできることもあるかもしれない・・・と思い直して、返事を書きました。ただし、スロベニア語もオートバイ技術のことも分からない点については正直に書きました。役にたてるかは分からないが、現地には親しい友人が何人かいるので、彼女たちの協力を得て手伝うことはできるかもしれない、と。

先方からはすぐに連絡があり、ぜひ頼みたい、と言われました。現地までの交通費(航空券代も支払うと明記されていた)や現地での滞在費は全て出すので、二週間弱スロベニアで業務に当たって欲しいとのことでした。私は現地の友人たちに連絡をとり、通訳(スロベニア語ー英語)や技術者の生活サポート、車の運転などをお願いし、数人のローテーション(向こうも仕事がありますから)で助けてもらうことにしました。日本の技術者が現地入りする前に、私が先にスロベニアに入り、現地でお出迎えをしなければいけないというので、急ぎ航空券の手配など、準備を始めました。クライアントはオートバイでは世界トップシャアの誰もが知る某大手企業でしたし、この時点で問題が起きるとは思わなかったです。韓国行きも一旦キャンセルにして、渡航の準備に取り掛かりました。そして、いよいよ航空券の支払い手順を確認・・・となったところで、突然聞かれたのが、「今、どこに住んでいるのですか?」という質問。もちろん正直に、現在住んでいる関西の住所を伝えました。すると、「スロベニアに住んでないのですか?」と驚かれ、「この件、キャンセルとさせてください」と書かれた短いメールで、一方的に契約解除通告を受けました。どうやら先方は、私がスロベニアに住んでいるという前提で話をしていたらしい・・・。そして、あたかも私が「スロベニアに住んでいる」と嘘をついて先方を騙したかのような、こちらに非があると言わんばかりの一方的な断りだけが送られてきたわけです。まず、唖然としました。もちろん腹も立ちました。でもそれ以上関わるのもアホらしいと思ったので、「キャンセルのご連絡、ありがとうございました」とだけメールを送り、この件は終わりにさせてもらいました。(その後、スロベニアに住んでいる日本人を紹介して欲しい、と、追加のメッセージも送られてきましたが、それは流石にスルーさせてもらいました。いい加減にしてくれ!!! )

そこでふと思ったんです。もしかしたら、私のスロベニアのエントリーには、何か誤解を生むような(相手に、私がスロベニアに住んでいると思わせるような)内容が含まれていたのだろうか? と。そこで改めて、ずっと昔に書いたスロベニアの記事を読み返してみることにしました。

投稿した日付は、2008年4月16日になっていました。2年間の長い旅の途中で書いたエントリーです。

冒頭だけ一部引用しますと・・・:

皆さん、こんばんは。安希@チェコのプラハに来ています。
モロッコ出国後、スロベニア、イタリア、フランス、オランダを回り、チェコに入りましたが、前日までのヨーロッパは冬の寒さ。
吹雪や積雪に凍えつつ、プラハの初日は雨に濡れそぼって電光掲示板を見上げると、日中の気温は、ひえ~4度~。芯まで冷えるヨーロッパです。
が、何といってもここはプラハ。プラハと言えば、「プラハの春」が良く知られていると思います。
そこで、「これじゃまるで、プラハの冬!ダメじゃない!」と心の底から叫んでみると、あら、突然晴れました~。今日は小春日和、ポカポカのプラハを散策してきましたよ。

こんなプラハに来て、ヨーロッパ初のホステル暮らしになった記念に、久々のレポートです。
ここまでのヨーロッパはずっと友人宅に寝泊りして、忙しく遊びまわり、移動は飛行機(ヨーロッパは飛行機がとても安い。バスや列車より安い。)だったため、一人パソコンに向かう時間がなかったのです。(安希の言い訳)
そこで、話題はもう毎日モリモリ沢山のヨーロッパここまで5カ国の中から、私が初めて訪れたヨーロッパの国、スロベニアを選んでレポートしてみようと思います。どうぞよろしく。

■貧乏旅人、ふらりスロベニアへ

ヨーロッパ(スペイン、ポルトガルを除く)を旅行する予定のなかった私を旅の最後にヨーロッパへ立ち寄らせたのは、友人達(主に英語版ブログの読者)からの誘いでした。
「北アフリカまで来てヨーロッパへ来ないのは間抜けだ!」と。はい、確かに。「間抜け」は自他共に認めるところですが、せっかく誘ってもらったのだし旅の最後にヨーロッパ8カ国を追加することになりました。
特に、長い旅の間、メールで励ましてくれていたスロベニアの友人が、「あなたが旅を終えて帰路につく前に、スペインかポルトガルへあなたを捕まえに行きます。会って話したいことが沢山あるから。」とメールしてきたので、だったらわざわざ来てもらわなくても、こっちからスロベニアへ行っちゃいます。
という話になって、モロッコからヨーロッパの小さな小さな国スロベニアへ向かうことが決まりました。

といった具合に話は続き、スロベニアのあとは、イタリア、ポルトガルからのレポートが続き、そして2年の旅は幕を閉じます。

自分のブログエントリーを読み返してみて改めて思ったのは、「情報リテラシーは一体どうなっちゃったんだ!!!!!??????」ということ。だって、2008年の記事ですよ? それに、冒頭の文章をほんの少しでも読み進めば、私がスロベニアに在住していないことは明らかだと思います。そもそも、このエントリーすらスロベニア国内では書いていない。スロベニア出国後のプラハで書いているではないですか・・・。

そんなことがあって、協力をお願いしていたスロベニアの友人たちにも迷惑をかけましたし、韓国行きも結局延期になって、なぜこんな目に合わなきゃならないんだろう、と本気で考えてしまいました。ネット社会とは言え、せめて日付けぐらいは見て欲しいですし、タイトルぐらいは見て欲しいですし、冒頭の数行ぐらいは読んでみて欲しいですし、できれば、その後のエントリーも読んで前後の文脈を理解して欲しいですし・・・、と考えたところで、もうこういう期待をすること自体がやっぱりオカシイのだろうと考え直しました。そして、コメントや問い合わせがあるたびに戦々恐々としながらその内容を確認し、対応に頭を悩ますようなことは、もうやめにしたい・・・と。そして考えついた一つの対策が、古い記事を削除する、ということでした。旅をしていて新しい発見があったり、講演会や出版が控えている時は、ずっとブログを読んでくれている読者に対しては何かしらお知らせしたいと思うので、ブログを完全に止めようとは思いませんが、一方で、「顔の見えな無限の読者」と向き合わなければいけない世界からは、うまくフェードアウトしたいと思います。

何かを語りたい、という思いよりも、できるだけ事を荒立てたくない、という思いが強くなるネット時代。意見を交わしたい、という思いよりも、どうせ誤解を生むだけだ、と諦めの気持ちが強くなる現代の情報リテラシー。言論空間は以前よりも、ずいぶんと不自由になってきているのではないでしょうか。

ではまた、ごきげんよう。
安希

Be the first to like.