ジャーナリズムとPRって、違うんじゃないんですか?

皆さま、こんばんは。
安希@クリスマス休暇中で静まり返った寮の一室から、今日も一人寂しくレポートです。(笑)私はこんなところで、一体何をしているのだろう・・・。

|ジャーナリズムの現在地

ジャーナリズム学科に3か月通ってみて一番強く感じたのは、「ジャーナリズムの現在」を語れる先生がいなかったことです。なぜいなかったかというと、ジャーナリズムには明確な「現在地」がなく、あったとしてもそれが何なのかを説明するのが極めて難しい状況にあるから。要するに、過渡期の真っ只中すぎて、誰も「今何が起きているのか」「これから何が起きるのか」を正確に説明できない。

それともう一つは、現在地の一番近くに立っている人たちは、もちろん現役で超忙しい毎日を送っていて、学術機関などでちんたら教えている暇はありません。加えて、現在地の中心にいるような人たちというのは、分野横断的にイノベーションをしている類の人たちなので、従来の枠組みで言うところの「ジャーナリスト」に入っていないんじゃないかと思うんですね。

現在地の近くにいる人というのは、新しい情報伝達方法やジャーナリズムのビジネスモデルを構築中の人たちですけれど、そういう人って、かつてのジャーナリズムの中心にいたような「某有名メディアのベテラン記者」とか、そういう枠の中にいる人たちではないと思います。で、うちの大学院は、元AP通信とか、元BBCとか、元ワシントンポストとか、元ニューヨークタイムズとかで記者やってましたけど、デジタル革命が起きる前に引退しました系のじいちゃんばあちゃん、つまり、昔の定義でいう「一流ジャーナリスト」が教えていて、ゆえに「ジャーナリズムの今」を語れる人がいないわけです。

では大学院はデジタル革命に対して何もしていないのか?そんなことはないです。ブログにも書いてきた通り、デジタルジャーナリズムなる授業を設けて、ITの専門家の授業をやっています。ただ一つ言わせてもらうと、デジタルのことに詳しい彼も、結局は「ジャーナリズムの今」は語れないんです。なぜかというと、彼には「ジャーナリスト」としての経験が全くないから。彼はIT業界の視点からコミュニケーションを語ることはできるけれど、そこにはジャーナリズムの視点はない。というか、ジャーリズムの視点なんて、そんなの要らないじゃないか、というのが、彼のジャーナリズムに対する姿勢だったように思います。それはそれで一つの「コミュニケーション」の捉え方、新しいジャーナリズムの定義?なのかもしれないけれど、それだけでいいのかな、という疑問はぬぐえませんでした。それが今日のトピックです。

|ジャーナリズムの定義は?

情報伝達の中心をインターネット、とくにソーシャルメディアが担うようになりつつある現在では、誰もが情報の発信者になれます。市民ジャーナリズムと呼ばれるものです。先生の考えでは、市民ジャーナリズムを含む、情報の発信者全てがジャーナリストであり、それらの情報は全てジャーナリズム、すなわちニュースです。IT業界が推し進める新しい「コミュニケーション」のカギは、「全ての人が情報の発信者になる」という点にあり、そうした新しいコミュニケーションのあり方が、ジャーナリズムにも多くの可能性を開いてきたことは間違いありません。

ただね、ジャーナリズムって、たぶんそれだけではないんですよ。って、僭越ながら先生に対して思っちゃったんですね。だれかれ構わず発信したものがジャーナリズムってことになったら、情報の客観性や正確性は、どうやって担保するんですか、と。先の大統領選でもSNSに大量のデマが流れて、それが投票動向を左右したと言われていますが、市民ジャーナリズムがジャーナリズムの中心になれば、誤情報に民衆が扇動されるという傾向はもっと強まると思うし、それは危険なことだと思います。情報の受け取り手がメディアリテラシーを身につけることも重要ですけど、同時に、情報の発信者が「ジャーナリズム」の定義をもう一度きちんと理解する必要もあるんじゃないかと。ジャーナリズム学科では、そこはきちんと押さえるべきなんじゃないか、と。

|ジャーナリズムとコミュニケーション

特にネットの世界で問題だと思うのが、「ニュース」と「PR」の境界線が曖昧になっていること。大統領選で誤情報(ネガティブキャンペーン)を流すのも、ある種のPR活動ですし、企業や団体などの組織のオウンドメディアが流す情報も、それは「ニュース」ではなく「PR」と捉えるべきであって、それらの両方に「ニュース」の価値を与えようとしている先生は、やっぱりジャーナリズムっていうものを理解できてないように思いました。これ、メディア業界で仕事してみたら、割とすんなりわかることなんじゃないでしょうか。先生は、IT業界(情報がわ〜〜〜っと行き来してることに価値がある業界)、でしか仕事したことがないから、やっぱりPV数が上がれば何でもいい的な考えが先行していて、ジャーナリズムの意義(繰り返すけれど、客観性と正確性)が理解できていない気がします。

先生の授業は「デジタルジャーナリズムの原理と道具」というタイトルでしたけれど、正しくは「デジタルコミュニケーションとSNSの使い方」とかがよかったんじゃないかと思います。

|ジャーナリズムとPRは違う

今通っているジャーナリズム学科には、かつてPR業界で仕事をしていたというアメリカ人のクラスメイトがいます。彼女とは歳も近く、同じ時代にカリフォルニアで大学に通っていたという共通点もあって、冬休みに入って一緒に飲むようになってから急に仲良くなりました。会うたびに5〜6時間しゃべり倒すのだけど、しゃべり足りなくて、冬休みのわずかな期間に3回も飲んでしまいました(計15時間くらいしゃべってしまった)。トピックは色々ですが、やっぱりお互い政治とジャーナリズムの話が一番熱くなります。

彼女のかつての職場は、なんとNPOだったらしいのですが、彼女は広報(PR)のプロとして、サイト運営などを仕事としてやってきたそうです。ただ、時代の変化の中で、SNSやネットメディアが存在感を増し、それによってメディアリテラシーがとても問われる時代になってきたと感じたので、ジャーナリズムを通してニュースリテラシーの研究をする目的で修士課程に入ってきたらしい。そりゃ、話が盛り上がるのは当然ですよね。だって、私はこの3年ばかり、逆(ジャーナリスト)の立場からNPOを取材してきたわけだから。笑。

彼女は、PRの仕事をしてきたプロとして、もうはっきりと言い切っています。
「団体の広報サイトに書いている記事は、ニュースではない。PRです」と。

環境保全系の団体だったみたいなので、もちろん環境汚染をデータで証明したり、汚染現場を取材したり、一見するとジャーナリスティックな記事も書いていたはずですが、でもそれはやっぱり、ジャーナリズムではなくPRなんだそうです。なぜかというと、それらの情報は、団体の活動を支えるという特定の目的があって書かれているから。

その話を聞いて、自分としては少しホッとしました。というのも、N女のプロジェクトをやっている間に何度も、自分が取材する意味を見失いそうになったことがあったからです。各団体ともに、オウンドメディアをしっかりと持っていて、団体の主張も活動成果も、全部自分たちで発信できる時代に、わざわざ第三者が取材をして書く意味ってあるのかな、と思ったことが何度もあったんですよね。相手にしてみたら、何を書くかもわからない相手に書かれるよりは、自分たちで発信した方が安心だったと思いますし。中には、あからさまに「記事が掲載されたら、本当に寄付金とか増えるんでしょうね?」と聞いてきた団体もあったりして、いや、私は団体のPRをするために記事書いてるわけじゃないので・・・というあたりを理解してもらうのが難しいこともありました。(そういう要求のあった団体は、記事を掲載していないです)

PRはジャーナリズムでなない・・・なんて言っていると、デジタルの先生に「そんなんだから、時代から取り残されるんだよ」って言われちゃうのかもしれないですが、でも、もしそこを混同してやっていくのがデジタルの時代のジャーナリズムだと言うのなら、私はジャーナリズム(ノンフィクションというジャンル)からは降ります。そして堂々とPRサイドに転職したことを公言して、PR記事を書くつもりです。フェアでしょ?

ではまた、ごきげんよう。

安希

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2件のコメント

  1. いままで漠然と感じていたデジタルメディアへの不信感の理由が安希さんの説明でハッキリわかった気がします。
    そうなんですよね、デジタルの情報というのはあまりにも玉石混淆すぎるし、発信者や拡散者の好みによって見えないバイアスもかけられているので、あまり信ずる気にはならなかったんですよね。(まあ、旧来の新聞や雑誌などのジャーナリズムも百パーセント信じられるわけではないけれど…)
    今は本当に大きな変革のさなか、過渡期なんですよね。私の漠然とした予感では将来的にそういう情報の真贋の判断は人工知能に委ねられてゆくのではないのかなと思っています。まあ、それもちょっと恐い話だけど…(笑)

  2. 石川達三「生きてゐる兵隊」は、昭和1937年の中国戦線に取材した小説ですが、日本軍が南京に入城したあと一般人が殺害されて、屍累々となっていた様子を描写していました。

    石川達三は、軍の報道班員だったのですが、これでは、軍の期待する戦意高揚、PRには程遠く、発売禁止となりました。

    「PRでないものがジャーナリズムになる」のかも知れないないと思います。

    「これがジャーナリズムでござる」とは言いにくい時代になったのかも?

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