170.アラブの春 第一話 (チュニス) 革命が起きてから8か月。連鎖する革命(混乱)の最初の種を蒔いたサイバー君の一人に出くわして・・・。

皆さま、こんにちは。

安希@チュニジアの首都チュニスからのレポートです。
シュニジアと言えば、今年アラブ・中東で吹き荒れている革命の嵐〝アラブの春″の先駆けとなった国。
日本のメディアは震災報道一色だったので、あまり注目されてなかった感がありましたが、今ここアラブで起きていることは歴史的大事件だと私は思います。
そんなわけで、おばちゃんは、北アフリカの小国シュニジアをあちこち旅してみたのでした。はい。

飛行機に乗り遅れ、急遽乗り換えたエジプト航空の乗り継ぎ地カイロでは、シリアの混乱から逃れてきたアラブ系オーストラリア人に出会い、シュニジアに着いてからは、隣国リビアで砲撃に合い車と財産を全て失って逃げ帰ってきた失意のチュニジア男性のお宅で、ご家族にクスクス(アラブのご飯)を頂きました。
イスラム主義色が濃い離婚調停中の女性(やや貧しい)のお宅へ行くことになったり、夫が共産主義者で妻は警察官という夫婦と仲よくなって手漕ぎボートで夜釣りに出かけたり。
(チュニジアで共産主義者に会うなんて、めちゃめちゃ笑える体験でした。イスラム系だけどマオイストの夫と、身長181cmのスーパーモデルみたいな警官の妻とのやりとりが面白くて。)

それから、チュニジアの革命を始めた(っていうと変だし、革命家ってわけでは全然ないけど)、革命の元となったFacebookの立ち上げに関わった数人の青年のうちの一人とお会いしました。
いわゆる、サイバーアクティビストです。歳は28か29。
でも、アクティビストだからと言って、何かとてつもない活動をしているという感じではない。
彼は、シングルマザーの母親(銀行で掃除婦をしながら実子2人と親戚の子2人の計4人の子を育てた、すんごいお母さんで、私はこのお母さんに惚れた)と二人で町のアパートに住んでいる普通の人です。
ただし、職場は世界的な石油会社だし、話をしていて、知識(情報)量の多さ、語学力、サイバーっ子ぶりは、最初に会った時からどう考えても普通じゃなかった。

■言論の自由、選択の自由を求めて

革命が起きたというと、何だか仰々しいし、確かにすごいことだけど、彼は熱血漢のアクティビストっていう感じではなく、面白くて頭のいい気のいいお兄さんって風ですね。
もともと、革命を起こそうと思って活動していた、というのとも少し違う。

3~4年前から、人権保護の活動を始めて、独裁政権下で抑圧されてきた人々の解放を求めたり、言論の自由を訴えてきたことが始まり。
活動をしている間は、それなりの緊張感はあったらしく、いつ投獄されても母親と家族(実のお姉さん)が大丈夫なように、しかるべき準備はしていたみたいです。
それから、活動に加わっていることで、連絡が途絶えた友人も多かった、と当時を振り返っていますね。
ただ、お姉さん(もとはと言えば、彼女に出会ってお家について行ったことが、彼と知り合ったきっかけ)は、エジプトで仕事をしていたので、特に身の危険感じることもなかったけれど、弟の名前が活動家として挙がっている間は、やはり友達に敬遠されたりしたらしいです。

それで、Facebookを立ち上げたころの活動は小さかったものの、独裁政権(欧米主義政権、つまり反イスラム主義)の不正を暴いていくうちに、地方都市の貧しい人たちがデモを起こすようになった。
とは言っても、それらは小規模なデモで、政権寄りの主要メディアでそのようなデモを報道するところはなかったとのこと。ただし、、彼らサイバーっ子は、その様子をYoutubeに乗せて流し、Facebookの書き込みを増やして行くうちに、デモが主要都市にも少しずつ飛び火していった。
(Youtubeは何度かブロックされているけれど、諦めなかった。)

それでも、弟たちの主張に賛同する人たちは、革命が起きる数か月前で、せいぜい国民の20%、革命が起きた当日でも50%くらいだった。
で、彼も、まさかあんなに早く革命が完了して、大統領が逃げるとは思ってなかったみたいです。(笑)

お姉さんの周りの友人たちも、革命が起きる一週間前に、「そんなの起きるわけがない」と笑っていたらしいです。
しかも、都市部で起きた当日のデモ参加者の数も少なかった。
首都で8万。第二の都市スファックス(ここに彼らは住んでいます)で4万人規模で、
「普通、革命が起きるんだったら、100万人規模の群集が行進するはずなんだけど・・・」
と、驚いていました。

■彼らが求めたもの

さて、大統領は退陣。それに伴って、一応、独裁政権が終わり、欧米至上主義が終わり、民衆は自由を手に入れた、という状況になっています。
ただし行政機能はマヒしているので、街はやや荒れています。(警察もお休みして、夜釣りをしている。笑。治安がやや悪化し、誘拐事件も起きています。清掃人がストライキをしたりして、ゴミが散乱気味。)
それから、今までは政教分離、イスラム主義の抑圧がありましたが、革命によってそこから解放された人たちが、大手を振ってイスラム主義化を開始しているのも確か。
長い口髭や、全身黒づくめの女性(目まで覆ってる!!)のような、極端な人たちも出てきています。(革命前は、見かけなかったそうです)

そこで、10月23日の選挙(国のリーダーを選び、憲法を定める歴史的な選挙)に関して、弟の発言が、これまた興味深いのです。
彼自身にも、今、国民が何を望み、10月の選挙で何を選び取るかは、はっきり言って分からないらしい。
イスラム主義が勝つのか、別の勢力が勝つのか・・・。

ただし、彼は、
「僕は、イスラム主義が勝てば、その対抗勢力側に立って活動を続けていく」と。
「あれれ? だけどあなたは、これまで抑圧されてきたイスラム勢力を解放し、彼らの発言権を求めて運動をして、今回の革命を起こしたのではなかったの?」
「確かに、イスラム教徒だからと言って、発言権を奪われたり、投獄されたりするのは、宗教の自由、言論の自由に反するから、あってはならない。
ただし、今の雰囲気のままイスラム勢力が政権を握れば、彼らは逆の立場からまったく同じことをする。イスラム原理主義によって、思想の強制や反対勢力への抑圧が起きる。それは僕が求めている言論と選択の自由に反する」

つまり、革命の元を作った彼らが求めているものは、イスラム化でも欧米化でもない、『自由と共存』なのだと思います。
ただし、一般の民衆は、彼らほど思慮深いわけでも、広い視野を持っているわけでもないので、おそらく当分の間は勢力間対立と混乱が起きるだろう、と。
「反イスラム勢力(欧米主義派)が、10月に勝利した場合、そのリーダーは、イスラム原理主義者によって暗殺される可能性が高い」とも。

彼らが勝ち得た革命、自由、独裁政権からの解放。
けれどこの後、新たに国家を作り上げていくプロセスは容易ではありません。
(もちろん、それでも弟は、すごく前向きのこの流れを捉えているし、血は流れても、アラブ諸国は自分たちの手で新たなステージへと入りつつある)

革命終盤、デモに参加して路上で痛手を負った人たちは、貧しい一般人です。
サイバーアクティビストの彼らは、きっかけを作っただけで、路上で叫んでいた人たちとは少し違う。
(革命当日、弟は仕事でリビアにいた)
人々は「反独裁政権」の名のもとにとりあえず結集し、路上で戦ったわけですが、その戦いで本当に求められているものが何だったのか、10月23日以降のシュニジアがどこへ向かうべきなのか、そこまで考え理解していた人は少なかったはず。
その意味を分かっているのは、3年前にサイバー活動を始めた少数の若者たちだけなんじゃないかなぁ・・。
来月選ばれる新しい政権が、それがイスラム系であれ、欧米系であれ、共産系であれ、『自由と共存』に主眼を置けるといいなと、外部の人間ながら思います。

話が長くなってきました。
今朝、テレビを見ていて気づいたのだけど、そう言えば明日は9月11日。
2001年に同時多発テロが起きてから10年です。

アメリカで学生をしていたあの日から10年。アフガン、イラクが混乱し、主要国の財政が悪化し、アラブで革命が続いている現在。
あの日から10年の節目を、革命が起きた街チュニスで迎えようとしているんだな~、とフランスパンをかじりながら考えました。
あの事件がなかったら、私はこの十年の間に、70近い国々を旅する必要はなかったようにも思います。
(ん?やっぱり旅はしてたかも。笑)

今日は一日ホテルで休憩して、久しぶりに、ちょっと感慨深く、安希レポを書いています。
何だか、すごく書きたくなったから。
続きは「アラブの春2」にて。(今から風呂場で洗濯。明日着るTシャツがな~い、ピンチっす!)

ではまた、ごきげんよう。

安希

注:革命に至った経緯や状況は、複雑で複合的です。今回のレポートは、あくまでもそのうちの一部です。

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