フォトジャーナリストの言葉:僕はphotoshopを受け入れることができない

皆さま、おはようございます。

安希@今日もなぜかキャンパスのスタバに来てしまいました。7時半開店のこの店で、誰もいない店内のいつもの席で、毎朝数時間、原稿を書いて過ごしたこの3か月。日本にいても、香港にいても、社会人でも院生でも、日々の習慣が変化することはありませんでした。歳をとると早起きになるっていうのは本当かもしれないですね。(実感を込めて)

ところで今日は、私よりはるかに長いキャリア人生をフリーランスのジャーナリストとして過ごしてきたという先生について書いておきます。私自身はもう退学するかもしれないし、この学部の問題にはずっと悩んできて疲れてしまったけれど、じゃあいいことが全然なかったのかというとそんなことはないんです。

|フォトジャーナリストの本音がポロリ

フォトジャーナリズムの先生は、ずっとフリーで仕事をしてきたカメラマンです。彼の教え方には多くの問題がありましたが、プロでやってきた経験や、たまに出る本音を聞くのは面白かったです。例えば、写真の単価が、デジタルカメラの登場とともに猛烈な勢いで下がってきているので、院生の夢を壊す気はないが、これで食っていくのはかなり厳しい状況になってきている、とかね。(笑)

そうそう!って思いましたね。変な夢を抱かせて、プロでは全く通用しないような作品を作って褒め合っているより、きちんと現場のことを話してくれる方がずっと為になります。彼はそういうことをポロッと口にする人だったので、なんかね、教えるの下手だったけど憎めなかったですね。それに、やっぱり彼の撮った写真の質は高いなって、そういう写真を見せてもらえるのは、写真を見ることが純粋に好きな自分にとっては幸せなことでもありました。

さらに先生の本音は・・・
3か月間だから我慢して教えているが、僕の情熱はフリーのフォトジャーナリズムにあるので、こんなところ(大学)に3か月以上いたら気が狂ってしまう、とか。(そうそう!私もこんなところにいたら3か月で気が狂ってきてしまったの!先生も同じだったのね。笑)そもそも、こんなところに3か月以上いて気が狂わない部類の人は、学者になった方がいいんじゃないか? と思ってみたり。先生はたまに、いいこと言うんですよ。

もう一人、ビデオプロダクション教えてる先生も、教え方は「もうちょっと分かりやすくできないものかしら」と思うことも多かったんですけど、最後の授業でポロっと本音が出で、自分の中では好感度アップしましたね。
「最近は教えてばかりで自分の撮りたいものがとれていない。そろそろ時間を作って、そっちをやりたい・・」って。
彼女も、西アフリカや中国の僻地をビデオカメラ担いで歩いてきた人です。だから教え方がもうちょっと上手かったらなって・・・人としては憎めないタイプでしたから。

|ざらついた写真、私は好きですけどね

そしてフォトジャーナリズムの話に戻ると、私が一番好きだったのは、先生が「僕はphotoshopを受け入れることができない」と、私たちの目を見ないで言った瞬間でした。写真の世界もデジタル化が進み、いろんな加工がいとも簡単にできるようになりました。私たちの授業でも、アドビのライトルームを使って、いわゆる「写真作り」をやったのですが、フォトジャーナリズムのような「真実を切り取るため存在する仕事」にも、画像加工技術の波がどんどん浸透してきているということ。かなり有名なジャーナリストでも、写真から一人、二人、人間を消すとか、2枚の写真を組み合わせて新しい事実を作り出すといったことをやる時代なんだそうです。そして、どこまでの加工なら許されるのか、という話になった時に、先生はこう言いました。

「なんでもphotoshopできる時代になって、写真をよく見せたり、ドラマチックにしたり、簡単にできるようになった。それが時代だし、まあ、要するに、そういうものだってこともわかるんだけど・・・まあ、ね、僕は受け入れられないな・・・」と。

なぜなら
「つい最近もまた、知り合いの戦場カメラマンが撃たれて死んだ。防弾チョッキの脇のところの隙間に運悪く弾が当たったんだ。そうやってみんな仕事をしてきた。だからね、まあ、photoshopが便利なのはわかるけど、やっぱりフォトジャーナリズムを仕事にしてきた人間として、そういうものを受け入れるのはちょっと・・分かるだろ?」

先生は「加工するな」とか、「そんなの写真じゃない」とか、「真のジャーナリズムとは」なんてことは何も言わなかったですけど、むしろ大げさに論理を振りかざさないところが、ジャーナリズムの末端でリスク負って写真撮ってきたんだろうなと思わせるというか、院生の目を見ないで、ごまかすように言っちゃうところに、何だかグッときました。(笑)変な言い方ですけど。

大きなリスクを負って、労力と資金を投じて、現場に入って取材するというジャーナリズムのスタイルは、立ち行かなくなりつつありますし、そういうジャーナリズムこそが真のジャーナリズムだ〜なんて言っていると時代から取り残されてしまうんだろうけれど、でもね、先生が「もごもご」っと言ったことの意味、その裏にある気持ちは、自分にはわかる気もするな・・と。とは言え自分は、加工技術を磨かないといけない世代だから、頑張って磨いていきますけども。

「ドローン飛ばせばいいものを、photoshopすればいいものを、グーグルアースでいいものを、なんでわざわざ現場に行くの?」という時代に、ちょっと時代遅れだけど、でも先生が撮ったアフガンの写真とか、アウン=サン=スーチーの写真とか、洪水の中のバングラデシュの写真とか、私はすごいなぁって思ちゃったのでした。何がって、う〜ん、分かんないけど、質感が、かな。

ではまた、ごきげんよう。

安希

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1件のコメント

  1. この記事すごくいろんなこと考えさせられます。ぽろっと吐き出した一言でその人を見直したり、見損なったり…普段着込んでいる社会的な皮が剥がれて素の感情が溢れてしまう場面に、つい人は惹き付けられてしまいますよね。

    私は17歳のとき通っていた高校があまりに無意味に思えて、クラスで暴力的な闘争を繰り返す馬鹿連中にも、一方的にただ校則を押し付けるだけのサラリーマン教師にもうんざりした結果不登校になり、そのまま高校を中退して、誰とも口をきかず二年間海を見て過ごしていたことがあります。
    その時思ったのは、この先人間社会で生きてゆく気なら、もっと戦略的にならなければならないということでした。
    いざというときの戦いのスキルや、それ以前のコミュニケーションで争いを未然に防いだり、異なる他者を深く理解し、または自分を表現して伝えることが必要なのだと。
    でもそんな風に決意してみても実際はなかなかですけどね。(笑)

    そうそう、もうひとつ。
    今年はロバート・キャパ関係の本がたくさん出版されて、15歳のときに『ちょっとピンぼけ』を読んで以来のキャパのファンである私は、もし、キャパが現代人だったらフォトショップを使ったかな?なんて考えてしまいました。(笑)
    『ちょっとピンぼけ』を自分が主演で映画化することを考えていたキャパなら多分使ったのではないかな…とか
    もちろん写真の倫理や報道の真実とは何ら関わりない話なんですけど。

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