2015.11 ミャンマーの歴史的選挙:軍政から民主主義へ(ミャンマー)

皆さま、こんにちは。安希です。

参院選を前に、去年11月に行われたミャンマーの総選挙を振り返っておこうと思います。ミャンマー訪問は、2007年の初め以来、約9年ぶりでしたが、国の変貌ぶりには驚かされました。

長く軍事政権下にあり、公平な選挙など夢のまた夢、民主化運動のリーダーであったアウンサンスーチーは自宅軟禁状態だったあの頃、ミャンマーは欧米からの経済制裁を受けていました。現地ではキャッシングができず、航空券を買うにもカードが使えず、手持ちの米ドル紙幣だけが頼りだったあの頃、とっても不便だったけれど、レトロな街の雰囲気や、拝金主義にまみれていない人々の純朴さに心打たれたことが懐かしいです。

2011年のテインセイン大統領就任後、市場開放と民主化が進み、その中で行われた2015年末の総選挙は、ミャンマーの歴史的な一日になるだろうと言われていました。私個人としては、その4ヶ月前に訪れたバングラデシュのロヒンギャ難民キャンプで「11月8日の選挙で、ロヒンギャの運命が決まる」との話を聞き、それならばこの機会に是非、ミャンマーの総選挙を見に行こうということで現地入りしました。

■ 言論って、自由になるんだね

9年前との一番の違いは、街に漂う「開放感」です。軍事政権の厳しい統制下にあった頃は、巷の人々と自由に政治について語るということはできませんでした。民間人はみんないい人で前向きだったのだけど、本心では何を思ってるのかな・・という疑念がずっと拭えず、妙に空気が固いというか、閉塞感があるというか、そんな印象はありました。当時は、英語表記のものも少なく、自分も数少ない外国人でしたし、道で出会った人たちとたまたまおしゃべりしていただけなのに、日本大使館の職員(ミャンマー人職員)が、道の向こうからこちらの様子をコソコソ撮影していたりする不穏な空気がありました(何のために?)。両替も公的な手続きも、宿を探すのだって、なんやかやと制約があって、下手に行動すると何をされるか分からないという不安は常にあったと思います。

政権批判にあたる発言は避けなければいけませんでしたし、ことアウンサンスーチーについては、名前さえ口にできないという状況でした。それがミャンマーの印象だったので、今回もある程度は警戒していたのですが、はっきり言って、拍子抜けするほどの変わりようでした。

一番の驚きは、言論の自由!

選挙前というのもあって、新聞や雑誌でも選挙特集が組まれていましたが、表紙を飾っているのは圧倒的にアウンサンスーチー。ネットでは、ビルマ語だけでなく英語の情報(選挙中は速報も)が、バンバン流れてきましたし、こんなことは9年前には考えられなかったことです。

街の本屋にも英語の本が並んでいました。アウンサンスーチーについて書かれた英語の本は数多く存在しますが、それらがミャンマー国内の書店に堂々と並ぶ日が来るとは・・・びっくりでした。

そして何より、誰の目も気にせずに政治の話を自由にできるという開放感!最初こそ、「政治の話を堂々としちゃって大丈夫なのかな・・」という不安があって、あまり大っぴらには話せなかったのですが、場の空気が分かってくるにつれて「話してもいいんだ」ということが実感できるようになりました。

そこで、宿の若いスタッフの皆さんに、選挙関連で面白い情報があったら教えて欲しいと伝えると、今度ここで集会があるとか、どこどこの新聞を手に入れてきたとか、皆さん、はりきって協力してくれました。
若い子たちは、自分の支持政党(というか、アウンサンスーチーとNLDへの支持)をはっきり表明していて、政治の話もたくさんしてくれました。軍事政権への批判も堂々とするし・・、おそらく「そんなこと言っちゃって大丈夫なの?!」って、一番ビビっていたのは、私だったと思います。

政治が変わると、こんなにも変わるのかと驚きました。ミャンマーの「言論」は自由な方向に変わったのでいいですが、これ、日本は逆行してるんだなと思うと結構恐ろしいとも思いましたね。これまでにも、北朝鮮、キューバ、ロシア、などなど、相手と場所によっては発言に慎重にならざるを得ない国も旅してきましたが、何て言うか、こういう国って独特の雰囲気があるんですよね。言論統制というのは、もちろん政治的なことなんですけれど、それほど明快に「これ言っちゃダメリスト」があるわけでもなく、「これ言ったらこういう罰を受ける決まり」があるわけでもなく、なんていうか、政治的圧力によって「言いづらくしていく空気」みたいなものです。
『権力側に身を委ねていたほうが楽だし安全』という意識が醸成する社会の空気。感覚の鈍い人間であることを歓迎する、諦めの空気です。
そういう意味において、ミャンマーは、ほんとに変わりました。(9年前と比較して)

■ やっと手に入れた権利なのだから

選挙前日から当日にかけては、ヤンゴンで過ごしましたが、街は静かでした。長く続いた軍事政権が、いよいよ倒れるかという歴史的な瞬間であっても、選挙は選挙。お祭りではなく、一人一人が投票所に足を運び、与えられた一票を静かに投じる、というシンプルな行為です。

前夜には、投票所周辺の道路への通行が制限されて、投票準備が静かに進められていました。とくに物々しい雰囲気もなく、思っていたよりもずっと平和で穏やかでした。

選挙当日は、街の店という店が閉店になり、これまたものすごく静かでほのぼのしてましたね。でも、投票所の前には順番を待つ有権者がずらーっと並んでいて、無言でじーっと待っている姿からは、一人一人の静かで強い意志が伝わってきました。11月とは言っても、ミャンマーの気温は30度を軽く超えます。そんな中、朝から何時間も列に並び、日傘をさしてじっと耐えている人たちを見ていると、投票するという行為には、その結果として表れる数字以上のものがあるなと思いました。一人一人の「意志表明」なんですよね。人々の「意志」と「投票行動」がきちんと結ばれているような選挙では、選挙だからといって無理やり騒ぎ立てる必要がないんだろうな、と。

日本ではあまりにもしょっちゅう選挙があるので、「あ〜またか、めんどくさい」と思いつつ投票したりしなかったりして、その様子を、やたら大騒ぎしたいだけの立候補者とマスコミだけがわ〜わ〜騒ぎたてて、結果なんてどうてもいいんだけど数のゲームをやったという事実が残って、あ〜やれやれと一瞬で忘れてお終い、くらいの印象しかありません。そいういう「投票が軽〜い国」で育った自分にとって、今回のミャンマーの選挙は、とても新鮮な体験でした。

選挙って、本当は静かで熱いものなんだな、って。

選挙に限らず、世の中の本質的なことって、だいたい「静けさ」の中にありますもんね。

 

 

続きはまた来週。ではでは、ごきげんよう。

安希

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1件のコメント

  1. 「本質は静けさの中にある」名言です。
    しかし、最近の周囲はザワついて落ち着きないですね。

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