ロヒンギャ難民キャンプ 4:アウンサンスーチーに求めることとは?(バングラデシュ)

皆さま、こんにちは。

今回は、政府公認の登録キャンプの話の続きで、キャンプの長老に伺った話を書いていきます。

ミャンマーから持ち込んだ数少ない資料を開く長老。
ミャンマーから持ち込んだ数少ない資料を開く長老。

■ アブドゥル・マトラブ 65歳 長老

ミャンマーでは農業に従事する傍ら、ロヒンギャコミュニティの代表として議員としても活動していたそうです。1988年までは、ミャンマー国内でもID番号(市民として認められていた)があり、政党にも所属して活動をしていたが、政治内部を知り過ぎていたことから圧力がかかり、1988年にすべてを奪われた。市民権の剥奪、移動の禁止に加え、所有していた土地を取り上げられた。そして13年前に、バングラデシュに逃れてきたとのことです。

「ビルマ人同化政策が始まったのは1962年です。政府は、仏教徒のミャンマー人だけの国を作るべく、国内の少数民族、とくに我々のようなイスラム教の民族の排斥を進めました。社会主義とイスラム教の相容れない部分に焦点を当て、イスラムコミュニティをシステマティックに国内から排除し、バングラデシュへ出て行くように仕向けました」

「1988年に迫害が始まった当時、議員をしていた私は、議会や所属政党に対して不公平だと訴えましたが、私が所属していた政党も幹部は全員仏教徒だったので訴えは聞き入れてもらえませんでした」

「ミャンマーでは、人口の80%が農業に従事しています。そうした中で、政府はロヒンギャの土地を取り上げ、仏教系コミュニティの人たちにその土地を与えるという政策をとったため、ロヒンギャコミュニティは追い詰められていきました」

■ 仏教民族との対立を煽る軍事政府

過去にも数回、25万〜30万人規模の難民流出があったロヒンギャですが、近年では2012年に起きた仏教系民族との衝突が引き金となった難民流出が続いています。長老は現在も、電波や情報が限られた難民キャンプ内で暮らしているので、彼の話にどの程度信憑性があるかは分かりませんが、ここ数年の状況については次のように話しています。

「2012年に、政府の指示を受けた仏教系の「モン族」がロヒンギャコミュニティを襲ったことで衝突が起きました。(北西部のラカイン州にいるロヒンギャが昔から衝突してきたのは、仏教系のラカイン人だと思うのですが、長老が語る近年の話には、モン族がよく出てきました。モン族はミャンマー南東の民族だと思うので、どういう状況なのか確実なことは私には分かりません。モンを入植に近い形で移住させているということでしょうかね・・・)
その時の衝突で、32000戸の家々が焼かれ、7000人のロヒンギャが殺害され、200人のロヒンギャの女性がレイプ被害を受け、うち7人が死亡しました。
政府は、モン族にロヒンギャを襲わせ、そこで奪った土地や財産のすべてをモンに与えたわけです」

そうした衝突を経て、モン族に対してどういう感情をもっているかと訪ねると、モンを憎んではいないと彼は冷静に言いました。
「モンとロヒンギャは、もともと対立する民族ではなく、お互い平和にやってきた。モンは、ロヒンギャ退治を政府にやらされているだけであって、問題はモンではなく政府にあるからです」

■ アウンサンスーチーは?

このあと、アウンサンスーチーについて伺いました。2015年11月の総選挙でアウンサンスーチー率いるNLDが圧勝をおさめる約4ヶ月前のことです。

「民主化に向けて戦っている彼女には、私は期待しています。我々には選挙権はありませんが、11月8日の選挙で彼女が勝つことを望んでいる。私はNLDを支持しています」

ただ、選挙前の報道では、アウンサンスーチーはロヒンギャに関する議論を避けている、ロヒンギャ問題解決に向けて何もしていない、との非難を国際社会から受けていました。その点について訊ねると、

「彼女は何もしていないのではなく、しようとしているができない状況にあると私は考えています。今は大切な選挙戦を戦っている最中です。1990年の選挙では、彼女とNLDは大勝したにもかかわらず、自宅軟禁下に置かれるなど苦い経験もしていますし、今回の選挙では、モン族の票の行方がとても重要です。軍事政権もNLDも、どちらもモンの票が欲しい。だから、この選挙に勝つためには、モンを敵に回さないように、ロヒンギャについては沈黙しておくのがむしろ得策です。まずは選挙に勝つことです」

■ 選挙には勝ったけど・・・

2015年11月の総選挙で、アウンサンスーチー率いるNLDは歴史的な勝利をおさめ、ミャンマーに民主政権が生まれました。選挙からおよそ半年になりますが、ロヒンギャ問題に関しては、まだ何も新しいアクションは起きていません。そんなアウンサンスーチーに対する国際的な批判はますます強まってきています。

彼女がこのままロヒンギャ問題を黙殺しようとしているのか、まだ着手できていないだけなのか、そのあたりは分かりません。新政権が発足したのは3月なので、まだ最近のことですし、長かった軍事政権時代に作られた憲法のせいで、彼女自身は大統領に就任できず、地位を巡る論争などでゴタゴタしていたこと、また、選挙でモンの反感を買わない戦略が求められたように、多民族国家のミャンマー内における問題は、ロヒンギャだけでなく、無数にあり、かなり高度なバランス感覚が求められるということもあって、いくらノーベル平和賞を受賞しているアウンサンスーチーとは言っても、一国の政治家として、「ロヒンギャ問題」に優先的に取り組むということも難しいのだろうなとは思います。

選挙中(私は現地ヤンゴンにいましたが)、海外メディアから「ロヒンギャ」に関する質問が集中したときは、なんとかギリギリの発言で逃げ切っているという印象がありました。ただ、今はとりあえず選挙は終わったので、「解決に向けて努力する」ぐらいの発言はしていかないといけないだろうと思いますね。すぐにすべてを解決するのは難しいにせよ、「国内にいるすべての人々の基本的な人権(市民権や土地所有権など)を守る。そこには当然ロヒンギャも含まれる」くらいの宣言はできるはずです。

海外メディアも手を緩めてはいけないと思います。ミャンマー国内の人たちは、これから「民主化」が何なのかを知っていくのだと思います。(鎖国が解かれ、海外の情報も怒濤のごとくなだれ込んでいっています)民主化というのは、民族的、人種的、宗教的な少数派を含む、社会を構成するすべての人に権利を与えることであって、一部の人たちだけが自由を手に入れることではないんだと、そのことを学んでいくことになると思います。

■ 長引く難民生活、食い違う説明、増加する周囲との摩擦

ロヒンギャの難民化と流出が始まって30年くらいになり、状況も変化してきています。まず、最大の受け入れ先であったバングラデシュが悲鳴を上げている。
息子の1人がサウジアラビアにいるというマトラブさんによれば、かつてはバングラデシュ政府からパスポートの発行を受けられたので、第三国への移住も今よりはし易かったそうですが、増加する難民の流入によって、バングラデシュ政府の姿勢も硬化してきているので、パスポートもなかなか取れなくなっているらしいです。

難民生活が長引き、キャンプ内でも世代によって考え方が違ってきていることは前にも書きました。しかしそれとは別に、バングラデシュ内での彼らの立場も変化してきています。窃盗団の襲撃事件に見られるような、現地住民との摩擦、またはキャンプ内でのもめ事、無教育で成長する子供たちのギャング化、収入のない女性たちの売春行為と、それによって受ける二次的な差別など、難民問題とは別の問題が次々に発生しています。

こういう状況が続くと、バングラデシュ内の国民感情も複雑化してきます。バングラデシュ内でも、様々な宗教の人、地域の人たちに、ロヒンギャ問題への考えを聞きましたが、同情よりもやや反感のほうが強かった印象です。「ロヒンギャ問題は、あくまでもミャンマー政府の問題なので、ミャンマー側で何とかして欲しい」というのは、本当にその通りですが、中には「ロヒンギャを受け入れたくないというミャンマー側住民の気持ちも理解できる。彼らはどこに行ってもトラブルメーカーだ」といった意見も数回耳にしました。しかも、イスラム系の人たちがロヒンギャに同情的で、仏教やヒンズー系の人がロヒンギャに冷淡かというと、違うんですよね。ムスリムVS仏教徒のような単純な対立構造にはなっていない。

ロヒンギャが市民権を剥奪された理由について、キャンプ内では「イスラム教徒だから」との説明を受けました。「ロヒンギャはミャンマー国内における唯一のイスラム系民族であり、故に仏教国を目指す政府から迫害を受けた」と。

確かにそうなのですが、それがすべてかというと、そうでもないのではないかということが、後々になって分かってきました。というのも、ミャンマーに滞在していた選挙期間中に現地新聞を読んでいたら、ミャンマー国内のイスラムコミュニティの記事が載っていたからです。ミャンマーには、ロヒンギャ以外にもイスラム系の人たちが住んでいて、彼らには国籍もあるし、選挙権もあり、被選挙権もある、と。(イスラム系コミュニティとして、立候補者を立てるか立てないか、調整が続いていて・・・、というような内容でした)この辺りは、ちょっと話が食い違っている印象でした。

■ もう「軍事政権下だから」という言い訳はできなくなります

これまでは、「軍事政権の独断と偏見により唯一のイスラム系民族であるロヒンギャが迫害されてきた」という文脈の中で、人道的立場から意義申し立てをするしかなかったわけですが、これからは「それじゃあ民主化した政権だったら解決できるのか?」という、より現実的な段階に入っていくと思います。

説明の食い違いにせよ、キャンプ周辺で多発する摩擦にせよ、これらはロヒンギャの社会的な孤絶(情報が受け取れない、他のグループと連携できない、教育が受けられない、社会参加できない)が長引いていることによる副次的な問題でもあるので、多少強引にでも解決に向けて動き、これ以上の悪循環を食い止めて欲しいとは思いますね。

■ ジャーナリストもたくさん来るが、何も変わらない

キャンプ訪問中に言われた言葉の中で、個人的に印象に残っているのがこれ。
「ジャーナリストもたくさん来るが、何も変わらない」

本当に、何年も何十年もキャンプで生きている人たちにとっての正直な気持ちだと思います。ジャーナリストの仕事は報道することなので、「何かが変るかどうか」というところには、職業的な責任は負っていないとも考えられるし、いや、負っているのかもしれないし・・・。

ジャーナリズムって何なんですかね?

旅をしていると、本当にいろんな状況に遭遇しますし、いろんな情報が入ってきて考えさせられます。今回はロヒンギャ難民キャンプの話を書いてみましたが、バングラデシュ滞在中には、ここでは書ききれないことを他にも山ほど体験しました。どれもこれも、一言では片付けられないことばかりです。
実際問題として、バングラデシュの低所得地域って、難民キャンプよりも(とくに公認キャンプに比べると)さらに劣悪な住環境だったりするんですよね・・・。もう、どこから話せばいいのやら・・と。

以上、『ロヒンギャ難民キャンプから』でした。
いつも長くってごめんなさい。

ではまた、ごきげんよう。

安希

Be the first to like.


3件のコメント

  1. こんにちは。初めまして。
    大学生をやっている者です。

    いきなりですが、
    今年の夏にロヒンギャ難民のキャンプ地を
    訪れたいと思っております。

    どのような経緯で中村さんが
    訪問を許可されたのか詳しくお伺いしたく、
    ご連絡させていただきました。

    お返事お待ちしております。
    赤木

    1. 赤木さん、コメントありがとうございます。

      ロヒンギャ難民のキャンプ地についてですが、私は許可なしで行きました。
      ですので、許可が必要かどうか、また必要な場合に誰に申請すべきかといったことは、詳しくは分かりません。公式ルートでの訪問であれば、大使館等に問い合わせていただいたほうがいいかもしれません。(私はバックパッカールートしか使わないので・・)

      私はチッタゴンにある新聞社と、新聞社がアレンジしてくれた通訳(ロヒンギャと同じ言葉が話せる地元の大学の英語講師の青年)を通して現地入りしました。キャンプには、通訳の青年の知り合いの難民の方がいて、キャンプ内の案内やコーディネートをしてもらいました。

      キャンプには、特にゲートや検問はないですから、人力車で近くまで行って、そのまま歩いて入りました。許可証の提示なども求められなかったです。ただ、登録キャンプにいた時は、途中で青年の携帯にWFPの職員から連絡が入って、警察が向かっているとの情報が入ったため、取材を切り上げて逃げました。取り調べを受けるのが面倒だったからです。一方で、帰りのバスが検問にひっかかって、多くの乗客が職務質問を受けたときは、私は何も聞かれませんでした。冷や汗だけはいっぱいかきましたけれど・・・。

      どのような目的で行かれるかにもよりますが、もし新聞社か通訳(大学の英語講師)の助けが必要でしたらご連絡ください。現地に問い合わせます。

      安希

      1. 安希さん

        以前、コメントさせて
        頂いたものです。

        その節は詳しく
        教えていただき、
        本当にありがとうございました!

        結果として今回、難民キャンプを
        訪れることができました。

        お礼とともに
        報告させていただきます。

        赤木

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。