ロヒンギャ難民キャンプ 3:登録キャンプの様子 (バングラデシュ)

皆さま、こんにちは。安希です。

『ロヒンギャ難民キャンプから③』は、バングラデシュ政府公認の登録キャンプの様子をレポートします。
バングラデシュ南端のテクナフという街の近くにあるキャンプです。

 

 

 

 

■ モハンマド・カシムさん 42歳 男性

7年前に、7人の子どもを含む家族9人でバングラデシュに来たとうカシムさんに、ナフ河を渡ったときのことを伺いました。

「ボートには、1人12000チャット(1200円)支払いました。警察に捕まると怖いので、夜間に子ども7人と妻を連れてボートに乗りました。手漕ぎ舟です。ボートは小さいもので15人乗り、中くらいで30人、大きい船は50人以上乗りますが、私たちが乗ったボートは30人乗りのものでした。当時はまだ、2時間程度で対岸へたどり着いていましたが、バングラデシュ側の取り締まりも厳しくなって、今は河から一旦ベンガル湾のほうへ出て、迂回して入るルートが増えています。長時間漂流するので、危険なルートです」

「このキャンプの家はイギリスのNGOが提供してくれたものです。ここに住みながら、近隣の農作業を手伝ってお金を稼いでいます。最近は、覆面窃盗団の襲撃が増えていて、うちのドアも切られ、盗まれました。でも復讐が怖いので通報はしていません。キャンプ内では、NGOの職員も撃たれています。窃盗団は、女性をめった打ちにして盗むこともあります」

「安全が保障されたら、親戚と一緒にミャンマーに住みたいです。でも、そうでなければ、バングラデシュで死にます」

窃盗団に切り破られたドア。
窃盗団に切り破られたドア。

 

 

 

 

 

 

 

■ ドゥドゥ・ミアさん 男性の医師 と モハンマド・アユさん 35歳 男性

この医師と男性の話は、第6回『世界のおもてなし』の中で書いているので、そちらをご参考ください。

http://www.uniadex.co.jp/nextalk/column/omt150908.html

写真:窃盗団に撃たれた両足。

一ヶ月前に撃たれた両足。
一ヶ月前に撃たれた両足。

 

 

 

 

 

 

 

■ 窃盗団に撃たれた15歳の少年の夢

私がキャンプを訪れたのは、襲撃事件があった一ヶ月後でした。前出のモハンマド・アユさんたちが、仕事を終えて深夜一時頃に帰宅したところを、待ち伏せしていた25人ぐらいのグループに襲われたそうです。アユさんは足を10発撃たれ、うち3発はミア氏が取り除いたが、残りはチッタゴンの病院で取ってもらったそうです。

襲われたグループにはアユさんい以外に、15歳の少年もいました。彼は腕を3発撃たれ、1発はミア氏が取り除き、残りは病院で取ったそうです。

撃たれた少年の腕。
撃たれた少年の腕。
レントゲン写真に映し出された銃弾。
レントゲン写真に映し出された銃弾。

 

 

 

 

 

 

 

少年の話を聞いていて気づいたのは、やはり、若い世代(バングラデシュで生まれたり、育ったりしている)と、上の世代(ミャンマーで生まれ育ち、成人してからバングラデシュに逃れた)の考え方の違いです。この少年は、バングラデシュの難民キャンプで生まれ育っているので、ミャンマーのことは何も知りません。教育は受けておらず、国籍もありません。彼に将来について聞いたところ、前回の『ロヒンギャ難民キャンプから②』に出てくるモハンマド・マヤスさん(18歳)と同じで「サウジアラビアに行きたい」と。若い世代の間では「サウジアラビアにいくこと」が、上の世代の間では「権利を取り戻してミャンマーに帰ること」が、それぞれの目標になっているようです。

若者のモチベーションになっているのが、サウジアラビアに逃れた前例者たちです。困難ではあるけれどルートもあるらしい。
「サウジアラビアに逃れた友達は、まず難民としてインドに逃れ、そこからパキスタンに抜けて、パキスタンからサウジアラビアに行き、今はサウジアラビアでタクシーの運転手として生活を確立させています。僕もサウジアラビアに行って、タクシーの運転手になりたい」

インドへは、バングラデシュを横断するルートではなく、ミャンマーとインドの国境線を越えて入るルートがあるようです。これだと一旦ミャンマー側に戻って、少し北に移動してインドに入り直さないといけなくなると思うのですが、そのルートであれば、森の中を抜けて、最終的にはデリーにあるロヒンギャ難民キャンプまで逃れる方法があるとのこと。ただし、これはタイの山中などへ逃れるケースと同じで、いろいろな危険に巻き込まれる可能性を孕んでいます。例えば人身売買や、テロ組織や山賊、マフィアなどへのリクルーティングです。

国籍も何もない彼らにとっては、人身売買に巻き込まれることが、難民キャンプの外の世界へと活路を見出す手段の一つにもなっています。人身売買は、国際社会からも多くの批判を浴びていますが、それを阻止するためには、各国が彼らを難民と認定して受け入れ、生活の基盤を提供していくしかないと思います。

行き場のないロヒンギャの受け皿となっていると噂されるIS(イスラム国)については、少年は「ISの情報も聞いたことはありますが、怖いので僕は入りたくない」と話していました。ただ、サウジアラビアに行く夢が断たれたりした時に、彼ら若い世代が何を考えるかは分かりません。彼らには、失うものは何もないです。

この難民キャンプでは、最後に65歳の長老からもお話を伺いました。かつてミャンマーにいた頃にはロヒンギャコミュニティを代表し、議員もしていたという彼には、その四ヶ月後に控えていたミャンマーの総選挙(2015年11月)への思いも話していただきました。
その時の話と、ミャンマー総選挙を経ての現状については、次回最終回の『ロヒンギャ難民キャンプから④』にて書き進めていきます。

今日はここまでです。
ではまた、ごきげんよう。

安希

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2件のコメント

  1. ロヒンギャ難民キャンプのことぜんぜん知らなかった!!びっくり!!しています。
    この子達に希望があればと切に思いました。スーチンさんになって少しは良くなったのですか?

    1. スーチーさんになって、これまでのところは、少しも良くなっていないです。
      スーチーさん個人としては、ロヒンギャも救いたいでしょうし、多民族主義や異教徒も認めたいと思っているはずですけど、ミャンマーって仏教系の多民族国家で、仏教過激派の力も強いし、ビルマ人のプライドや差別意識も強いし、そういう中で暴動を起こさせずに舵取りをするのって、すごく大変なんだろうなと思います。ただ、市民権の問題にはすぐに着手できなくても、少なくとも人権や生活環境を改善するくらいの手は打って欲しいですよね。

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