131.やりすぎの制裁。必要な犠牲?(ブラワヨ)08年に死の年を迎え、どん底から立ち直ろうとするジンバブエ。07年から1年半を経て、おばちゃんが再訪しました。

アジア・パシフィック医療改革フォーラム メール会員の皆様

皆様、ご無沙汰しております。
安希@もうすでに日本に帰国しています。
アフリカ南部旅の後半で体調を崩し、終わってみたら、たった2ヶ月あまりの旅であったにも関わらず、3キロも減量してしまいました。はぁ。ショック。
体力が落ちて、咳がコンコン・・・、体がだる~いので、帰国後は前回と同じく、お医者さん巡りをやってだらだらしていたら、レポートするのをすっかり忘れていました!失礼!

レントゲン検査では、結核らしき影もなく、熱はないのでインフルではなく、血液検査の採血では、前回と同じく貧血を起こしてその場で倒れ・・・車いすに乗せられてベッドへ直行。目の前がま~っしろでした。はっはずかしい・・・。
まあ、あとはマラリアの原虫が潜んでいる可能性を除けば、特に病気ではなさそうです。ただの疲労と体力低下ですね。
今は、とにかくダラダラして、食べられるだけ食べ、寝られるだけ寝ています。体重が戻るまでは、どうしようもないという感じです。

ということで、せっかくだらだらしているんだし、レポート再開です!はい、はりきってやっていきましょう!はい!どうせ他にすることもないし!はい!

それで、何でしたっけ?

そうそう、ジンバブエ再訪のレポートです。

2007年の秋に訪れたとき、ジンバブエは最後の坂道を転がり落ちて行っている感じでした。
食糧や物資がいよいよ町から姿を消し、完全に消えるまでのカウントダウンの中で、人々は銀行やパンやの前に朝から長い列をなして何時間も待っていました。
あれから1年半が経ち、再びジンバブエへ行ってみると・・・

まず、食糧や物資は、モザンビークで噂に聞いていたとおり、戻っていました。
バス停に、たくさんの物売りが群れて、発車待ちの人々に道中で食べるランチやお土産を売る、というアフリカの普通の光景がジンバブエにも戻っていました。
閉鎖していたファストフード店やスーパーも普通に営業していました。
記念にマルゲリータのピザを買って食べたおばちゃん、感動~。
だって、2007年にピザ屋に行った時は、Lサイズのハワイアンしかなくて、しかもハワイアンなのにパイナップルがのっていなくて、次に行ったらチーズもなくなって、店じまいしてたんだもの!!

とはいっても、食糧も7割くらい戻ってきただけで、まだ100%の棚が埋まっているわけではありません。
それは、電気の供給や、その他いろんな面において顕著でした。

ジンバブエはスーパーインフレの中で崩壊し、2008年に底を打ち、今は隣国の助け(主に南アフリカやザンビア)を借りて、持ち直しつつあります。
2008年にはコレラの大流行があったりして多くの死者も出ました。
現地の人が言うには、

「2008年は死の年だった。本当にぼくたちは、全員で死にかけた。とにかく全く食糧が無くなり、薬が底をつき、限界を迎えると、医者やインテリは一斉に国外へ逃げ出してしまったんだ。
隣国もぼくたちのことを心配していた。特に南アフリカは食料援助をするために準備をしてくれていたんだよ。だけど、ムガベ政権が意地を張りすぎて、それを非難するイギリスやアメリカが激しい経済制裁に出た。
アメリカは僕たち一般市民の食糧まで、制裁の対象にしたんだよ。つまり、どういうことかというと、南アフリカが僕たちに譲る食糧を確保して飢餓を救おうとしているときに、アメリカはそれより遥かに高額の買い取り額を提示して、僕たちに食糧が一切流れないように食料価格をコントロールしたんだ。
僕たちはね、アメリカやイギリスに助けて欲しいとは言っていない。彼らとケンカをする気もない。ただ、放っておいて欲しかった。ジンバブエと南アフリカの間に彼らが介入したおかげで、僕は本当に国民が全員死滅するかもしれないという危機に、現実的に直面してしまったんだ。それが僕の2008年だった。」

グローバル化して、食糧を含むすべてが世界規模でコントロールされ、一つの国を完全死滅させることが出来てしまう時代、それが現代なのかもしれません。

けれど、人々を極限まで追い込んだ経済制裁が、必ずしもダメだったのかというと、それは非常に難しい問題です。
2008年に地獄の底へたどり着いたジンバブエは、ついに自国通貨をあきらめ、国際的にはやや協調路線に入ったと言われています。
大統領選はムガベがもちろん勝ってしまいましたが、それでも首相には反ムガベ勢力が着くという妥協も見られ、そして2009年には、南アの通貨ランドと米ドルの公的な使用を認めることで、食糧の輸入が再び可能になったらしいです。

2008年に命を落とした人にしたら、欧米の介入や経済制裁は、やりきれない、やりすぎの制裁だったはずです。というか、死んでしまったら、もう次は無いわけですから当たり前です。
けれど、逆に南アからどうにか食糧が届き、ムガベ政権がまだまだ力を発揮していたら、今でもスーパーインフレのまま、乏しい食糧を争奪しあいながら暮らしていたかもしれない・・・それも事実。
必要な犠牲だった・・・とは言いたくないですが・・・。

それにしても、アメリカとイギリスは、背反国家を徹底的に苦しめるなぁ・・・と、その冷酷さ、残忍さにも驚きますね。
その中で、今、アフリカをほぼ手中に入れつつある、巨大権力と言えば、中国。アメリカのこれからの対抗勢力として、堂々と我が道をいく中国のアフリカ進出を次回はレポートしたいと思います。

ではまた、ごきげんよう。

安希

P.S 通貨はうわさ通り、南ア ランドと米ドルのミックスでした。地域によって値段表示や好まれる通貨も違います。そして面白いことに、その土地それぞれで、好まれる通貨が少し価値をあげる、つまりレートが上がるのです。
  例えば首都ハラレでは米ドルが好まれるので、1USD=10ランドで、値段表示もドルになります。ところがブラワヨというボツワナ寄りの町で、20ランドと書かれたランチを食べようとして、2ドル出したら、「違う!」と言われた。「なんでじゃ~!!」
  ブラワヨでは、ランドが強いので1USD=9ランド。つまり、20ランドのランチを食べたら、2ドルと2ランド払わなくてはいけないのです!ややこし~!しかも、コインが圧倒的に不足しているので、ほとんどがお釣りがなく、値段は、1ドル、2ドル、3ドル、4ドル、5ドル、の超単純計算を基本とし、お釣りはもらえない覚悟が大切です。

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