130.病気の旅人(ウィントフック) ボツワナからナミビアへ、発熱したまま国境を超えました。苦しい・・・。でもまだ生きてる。

アジア・パシフィック医療改革フォーラム メール会員の皆様

皆様、こんばんは。長い間メールをお休みしてしまいました。すみません。
強行日程と、寒い冬のアフリカでのキャンプ生活、栄養不足、長距離移動、いろいろあって病気でした。
モザンビーク、ジンバブエ、ボツワナの、電気があったりなかったり、お湯があったりなかったり、寝床に屋根があったりなかったり、そして凍えるトラックの荷台にのって・・・発熱しました。
苦しかった・・・、けれど生きています。

食糧難から回復しつつあるジンバブエの状況や、ボツワナで泊めてもらった家庭で目にした、とんでもない光景など、レポートしたいことは山ほどありますが、今は肝心の体力がありません。
それらのレポートは、時間と健康回復度を見て、また後からUPしてみたいと思います。弱弱しいレポですみませんです。

ボツワナのテントの中で発熱に苦しんだ翌朝、もう、這ってでも隣国のナミビアへ行き、まっとうな病院と宿を探そうと思いました。
西へ向かうバスが何時に出るのか、本当に出るのか、ナミビアの首都まで一日で行けるのかは分かりませんが、もう勝負するしかありませんでした。
本当は何もせず横になっていたかったのですが、サバンナのテントの中にいても一人で衰弱していくだけです。一人旅って、辛いわ~(泣)と身にしみて実感しました。

朝、夜明け前のテントの中で目が覚めたのはいいけれど、体が辛くて起き上がれない。寝袋を出てズボンをはくのに30分以上費やしました。
ようやくテントから這い出して、寝袋を丸めようと思ったけれど、握力が衰えていて、丸められない・・・。テントをバッグに詰めようとするのだけれど、腕が震えて詰められない・・・。
寒さで手がかじかんで、日の出前の荷造りには驚くほど長い時間がかかりました。とにかく熱で体か苦しい。何もしていなくても十分辛いのに、これで荷物を担いで移動するなんて・・・(泣)死んじゃうよぉ。

おばちゃんは荷物を担いでロッジ前の道端に立ち、ミニバスを待ちました。けれど、苦しすぎて立っていられないので、しゃがんだままバスを止めました。
今度は長距離バスのバス停で、西行きのバスはあるかと聞くと、8時半にあるらしい。よし!そして、ナミビアに行きたいと言うと、同じバスにいた子連れの女性が、「私もナミビアに行きます」といいました。
おお~、では一緒に行きましょう。
けれど女性は「私もナミビアへ行くのは初めてで、どうやって行けばいいのかは分かりません。」と心配顔。
「どうにか一緒に乗り物を探して、ナミビアを目指しましょう」と陽気に言ってはみたものの、体力がもつかどうかが一番の問題でした。

さてバスに乗り、次の街まで4時間。その間、薬と高熱のせいで激しい睡魔に襲われ、検問所で荷物を下ろしたり開けたりするのが辛くて・・・ああ、瞼が閉じていく・・・体か傾いていく・・・。
荷物を下ろすにも、力が入らず、前日はそれが原因で荷物ごとミニバスから転げ落ちて足首をくじいて(今も痛い)いたので、バスのお兄さんにバスの下まで荷物(全部で20kgちょっとくらいかな))は降ろしてもらいました。
こんな時に検問をする警察という人種を心底恨みました。人がこんなに苦しんでるのに~!

そして次の街で、第二のバスを無事ゲット。国境方面までさらに4時間。この期間は高熱で全身沸騰。相変わらずの強烈な睡魔で意識不明。けれど最後に残ったバファリンは使わず、限界の瞬間まで温存。
時々目覚めると、激しい全身の痛みに襲われます。もうだめじゃ~。高熱で涙が~。
国境まで生きてたどり着いたら、救急車呼んでもらおうかな~。それか、飛行場へタクシーを走らせて、南アフリカの大都市にでも飛んで病院に転がり込もうかな~。などと真剣に考えたのは旅人生活初の出来事でした。
本気で、マラリアかもしれないと思ったし、生命の危機を感じました。高熱&下痢にくわえて、もしも嘔吐していたら、マラリア治療薬を飲み始めていたと思いますが、嘔吐はなかったのでマラリアではないと判断しました。

夕方、今度はサバンナのど真ん中のガソリンスタンドが一つあるだけの辺鄙な土地で、突然起こされ、降りろと言われました。
ナミビアに行くお母さんと男の子と私は、その辺鄙な土地でバスを降り、大き目の通りまでのろのろ歩き、ここからさらにヒッチハイクです。
道端に座り込んで車が通るのを待つ間、最後のバファリン一回分を、祈る気持ちで飲みました。
もう、今飲まなければ、ヒッチした車に乗る力が出ないだろうと判断。そして、これを今飲んで国境まで体が持てば、あとは救急車でも何でもいいと思いました。

そしてついにトラックを一台止めて、荷台に乗せてもらい、私たちは無事国境へ。
ボツワナを出国し、その後、ナミビアのイミグレーションまで草原の中を200mほど歩きました(実際はもっと短かったのかも)。
荷物を抱え不安げなお母さんは、風邪を引いている幼児の手を引き、バックパックおばちゃんは、苦しさのあまり顔を上げられないので、足元の地面を見つめながら、時々木の枝に頭をぶつけたりして超低速度で歩きました。
たったの200m。地獄でした。

そしてナミビアへ無事入国したのですが、そこはサバンナのど真ん中。バスも、タクシーも、病院も、救急車もない。
そこで再びヒッチハイクとなりました。幸運にもこの頃、最後に飲んだバファリンが少し効き始めたらしく、最悪の状態は抜け出したらしい。
お母さんと幼児がイミグレーションで手続きをしている間に、首都行きの車の手配をしに行こうと、私は外へ出て、停まっていた二台の車にあたりました。

一台目は黒人が荷台にギュウギュウに詰め込まれたトラックで、首都へは行かないらしい。
残る一台は、白人の家族でした。5人乗りの小さめの乗用車に、すでに3人が乗っています。
乗せていってくれませんかと聞くと、家族は快諾してくれたのですが、問題はあとお母さんと男の子がいるということ。
乗れなくはないけれど、ギュウギュウ詰めで、家族旅行の皆さんに悪いし、どうしようかな・・・。
と迷っていたところへ、もう一台車が来た!

乗用車には、口ひげを蓄えた白人の厳つい顔をした初老の男性が一人だけ。
黒人のお母さんは、心配顔のまま、自らは動き出せないようでした。子連れの黒人のお母さんが白人のおじさんに326kmの距離を乗せて欲しいと言うのには、少し勇気がいるのかも・・・。
私も、アジア人だし、小汚いおばちゃんバックパッカーなので、ビビりましたが、とりあえず男性と話をしてみました。
「お母さんと子供を首都まで連れて行ってくれないか?」と。
するとおじさんは、無表情でしたが、「あと30分くらい書類手続きにかかるけれど、それでもいいのなら、乗せていっても構わないよ。」と言ってくれた。
よかった~。

白人の男性と私に、何度も「Thank you」を繰り返すお母さん。
最後はホッとした顔をしてましたよ。

私を乗せてくれた白人のご一家も、奥さんが以前トヨタで働いていたとかで、私に対しても、すごく好意的で、宿の前まで送り届けてくれました。この頃には、熱も峠を過ぎていたようです。
長い長い、二度と味わいたくないけれど、記憶に残る国境越えです。ナミビアまでくれば、インフラも医療も先進国並みなので、もう大丈夫です。(アフリカの金持ち国家ナミビアについては、後日レポートします。)

アフリカ南部は今、真冬。相部屋の旅人達の中にも病人が何人かいます。
「南アフリカで旅行中に雪が降って風邪をひき、発熱と身体の痛みに耐えながら旅をしてきた」というルームメートが解熱鎮痛剤を分けてくれました。うんうん、だって熱が出るんだもの、体が痛くてバックパックが担げないんだもの。分かるわ、その苦しみ。(心通じ合う病人旅人たちの集い。)

ということで、病気の国境越えレポートでした。
しばらくはゆっくり療養します。

あっ、それから、医療フォーラムの皆さん、「足が攣るメカニズム」ご存知ですか?
発熱の翌日は、やたらと足が攣ります(土踏まずと親指)。ベッドで寝ていたら、一時間で左足4回、右足1回、攣りました。
痛くて何度も目が覚めます。どうにかならないかしら。。。

ではまた・・・。

安希

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