115.例えばこんな国際化②(リュブリャナ)<BR>成績オールAのスーパー中学生に出会いました。彼女の将来の夢は 「世界旅!」

皆さん、こんにちは。安希@チェコからドイツのベルリンへ来て3日目。
夜行バスに乗って、早朝5時15分に着いたのは、さむ~く真っ暗なうえに土砂降りのバス停!だったにも関わらず、友人は出迎えに来てくれていました。
予定も立てず、直前になって「~の空港へ何時頃つくらしい。」とか「~のバスでそっちに向かうと思います。」という中途半端なメールを投げておいて街を移動しているいい加減な旅人なのに、みんな確実に出迎えに来てくれていますね。

プラハ行きの飛行機以外全て、飛行機もバスも悪天候のため到着時間に遅れてしまって…、けれど、みんな辛抱強く待っていてくれます。
第一声が「遅くなってごめんなさい。」の放浪バックパッカーを「ノー、プロブレム!会えて嬉しいよ。」と迎えてくれる友人達。こんな友達がいるから今日も新しい街を目指して旅が続けられるというものです。

つい最近まで、いつどこへ到着するとも分からないアフリカのバスに乗って、深夜の真っ暗な荒野に突然放り出され、果物ナイフを握り締めて夜明けを待っていた日々もあったのにな~、と懐かしく思い返しながら、今は友人達の好意に甘えております。
甘えん坊のおばちゃんパッカーになってしまいました。どうも。

前置きが長くなりましたが、「例えばこんな国際化②」、スロベニアレポートの続きです。

■ユーゴスラビアからEUの国へ

さて、スロベニアと言えばユーゴスラビアから独立し、その後EUに加盟した国。つまり社会主義から資本主義への移行を経験した国です。
スロベニアは元々経済力もあって、早くから独立を希望していたけれど、経済力があったがゆえにユーゴスラビア(その中心のセルビア)がなかなか手放さず、最終的に独立したときは旧ユーゴの中では一番乗りだった国。
その後、10年ほどスロベニアとして完全独立の道を進み、2004年EUに加盟して、2008年前半はEUの本部がスロベニアの首都リュブリャナに設置されています。
…と、スロベニアに関して全く無知だった私に、友人が説明してくれました。だって、わたくし、スロベニアとスロバキアを間違えていたくらいの無知でしたから…。ホッホッホッ。

冷戦時に西側にいた日本から見て、ユーゴスラビア~と言うと、とても辺鄙で過ごしにくい、暗い土地のような印象を持っていた記憶があります。
その内部はと言うと、
「ユーゴ時代は、とにかく皆と同じであることが大切だった。学校でも仕事でも、出る杭は打たれるので、とにかく黙ってシステムに従っていれば安全は保障される時代だった。ユーゴ時代に人と違う考えを持った人は苦しみ不幸な時間を過ごしたと思う。何年も牢獄に入れられて…という時代。
けれど、ユーゴ時代には現在のような格差はなかったし、特別なものを望まなければ最低限の生活が保障されて、安定した社会生活を送れる時代でもあった。教育や医療はもちろんみ~んな一律のフリーサービスで労働条件もみんな同じだった。ユーゴ時代は朝6時からお昼2~3時ぐらいまでみんなで働くシステムだったの。
だから、帰宅した両親は子供と過ごす時間を長く持てたし、今のような職場でのプレッシャーも少なかったと思う。今でもユーゴ時代の名残で、工場では6-15時を採用しているところもあるけれど、EUシステムに合わせていかなければいけない状況下なので、オフィスは夕方6時くらいまでは働くようになって、生活が忙しくなって、家族の時間が減って来ているのが現状。」

独立の道からさらにEUに加盟し、グローバリゼーションやら市場経済やらにどんどん巻き込まれ、2007年からはユーロを使い始めたスロベニア。現状はというと、

「ユーゴからの独立やEU加盟と言った政治の転換期に、人々はある種のふるいにかけられて、大もうけする人と取り残される人が出てきた。特にユーゴからの独立の際に、うまく儲けた陰の人たちは、現在もさらに加速する市場経済を利用して、どんどん富を蓄えていっている。
逆に何も分からないまま新しい政治システムに飲み込まれた市民は、激しいインフレの中、労働条件だけが全く好転せず、とても苦しい生活を強いられるようになった。
私はオフィスにいるからまだいいけれど、工場で働く人たちは一体どうやって生活しているのかと心配になるくらい。だって、彼らの月収はたったの400ユーロなのよ!?信じられる?どうやって生き延びてるのか全く理解できないような額よ。
特に通貨がユーロになってから、給料が上がらないまま物価だけが急上昇して、輸出も苦しむし、失業率は上昇するし、で大変な時代になりつつあるわね。これは他のEUの国でも同じだと思うけれど。
教育や医療も、昔のように「みんな一緒」ではなくなった。もちろん一般的な医療サービスや教育は今でも保証されているけれど、保険でカバーされない高額医療や高い教育レベルを誇る私立校が出てきて、人々は「ふるい」にかけられる時代になった。」

月収400ユーロで働くブルーカラーの人たち。人口2百万しかいないスロベニアで毎年命を落とす沢山の自殺者。世の中はひたすら拝金主義に傾いて…、物価高とプレッシャーの毎日。

冷静に考えると異常な部分も多いけれど、市場経済主義や金杯主義への加速を止めることは出来ないし、これが人間の性というものだ、というような話をしました。
バランスを取り、フェアで安定した社会作りへのベストの選択肢を模索する作業は、とてもとても難しく、骨の折れる作業です。そして、生きていくということは、途上国でも先進国でも、社会主義でも資本主義でもEUでもどこでも、とても大変なことです。

■恐るべき新世代?

社会の急速な転換期にあって、その中で人々(世代)も進化してきています。その一例として、今回のスロベニア滞在中に興味深い出会いがありました。
私が出会ったのは、友人の姪っ子14歳。きっかけは、到着後二日目の日曜日、イースターの食卓でした。
ご両親(友人のお兄さん夫妻)と歳の離れた弟くんと一緒にやって来た姪っ子ちゃんは、とても大人しくて落ち着いた印象の中学生でした。

私の隣に座っていた姪っ子ちゃんを静かで行儀のいい子だな~、くらいにしか思わず、きっと14歳の子に旅がどうの世界がどうのと話したところで退屈だと思ったおばちゃんは、あまり会話することもなく、お兄さん夫妻とばかり話しをしていました。
途中、お兄さんの奥さんが姪っ子ちゃんに「面白い話が聞けてよかったね。もう旅に行きたくってウズウズしてるんでしょ。」と話し、姪っ子ちゃんが照れくさそうに頷いたときも、私はてっきり場の空気を読んだ社交辞令の一種だとばかり思い込み、「貧乏パッカーなんていやだ!」と言わなかった姪っ子ちゃんは良くできた子だわ、と思っただけでした。そこで、
「旅に行きたいなんて言っちゃダメだよ。お母さんが心配するからね。」と冗談半分に返したのを覚えています。

お兄さん一家が去った後、友人が私に言いました。「ねえアキ、あの子(姪っ子)の顔見た?すごかったね。」と。
「ん?何が?隣に座ってたから、顔はよく見てないけれど、大人の会話を静かに聞いている行儀のいい子だという印象を受けたよ。14歳にはちょっと退屈な話だったし悪かったね。私も、できるだけ旅の話は避けて、スロベニアや学校のことを聞くように気をつけてはいたんだけど。」
「とんでもない!アキが二年間世界を放浪して二日前にアフリカからスロベニアにきた、と聞いた後、あの子の目の色が変わった。耳をそばだてて、食い入るようにあなたの話を聞いていたわよ。」
「そうだった?退屈な話で悪いなと思ってたんだけど。」
「あの子は、普通の子供がするような会話や、一般的な話しには全く興味がないし、もう飽き飽きしてるのよね。学校の先生の話とか、学校の友達の話とか、テレビが話すようなことには興味がない。その代わり、世界旅や歴史や芸術や自然の話は何時間でも集中して聞いているような子なの。あの子、今夜はきっとドキドキして眠れないわね。帰るときにはもう目がギラギラしてたから。フフフ。」
「そんなんだったら、もっと旅の話しをすればよかったのかしら。普通の子供とばかり思い込んでいたから。」
「あの子は、生まれたときから子供じゃなかったの。でもまあ、出発までにまた会う機会はあると思うから、その時にでも話してやってね。喜ぶから。」

そんなことがあってから3日後の水曜日の午後、私と友人が本屋さんをうろついていると、姪っ子ちゃんから友人の携帯に直接電話がかかってきました。
「今日の夜、クラシックギターのコンサートがあるので、叔母さん(友人)とアキを招待します。」と。
話しによると、姪っ子ちゃん本人が我々おばちゃん二人分のチケットも買って、コンサートへ連れて行くとはりきっているらしい。
そこで姪っ子ちゃんの行動力に背中をおされ、おばちゃん組はコンサートへ出かけました。

さて、彼女がどんな14歳かというと、とても落ち着いていて気遣いの出来る、けれども物怖じせず、外人の私とも英語でしっかり普通に話のできる人(子供ではない!)でした。
学校の成績はオールAの超優等生だけど、学校にはうんざりしていて、チェロやクラシックギターを自発的に習い、母国語以外にフランス語と英語を話し、自然と動物が大好きで、ガールスカウトのキャンプなんかに出かけていく。
将来は、ジャングルに住んでみたいとか、世界中を旅して民族楽器を習いたいとか、アフリカの孤児を助けたいといった夢を持っている人(子供じゃないよ!)です。

コンサートの帰り道、車の中でジンバブエのムビラ(伝統楽器)の話しやウガンダの孤児院での体験を話すと、14歳の瞳がキラキラ~。そして彼女は言いました。
「もし無理でなければ、明日の夜、私の家へ来てください。そして皆で音楽会を開催しましょう。私がチェロとギターを演奏します。その時にジンバブエのムビラを見せてもらえませんか?」と。
「もちろん!」

またまた14歳の行動力と計画力に圧倒されて、我々おばちゃん組は、彼女に会いに行くことになりました。
お兄さん夫妻も歓迎してくださって、夜遅くまで旅の写真を見たり、音楽を聴いたり、話をしたりと、とても充実した時間を過ごすことができました。
そしてやはり一番すごかったのは、姪っ子ちゃんの演奏ですね。恥ずかしがったり一切せずに、何曲も演奏してくれて、チェロの弾き方まで教えてくれました。
自然でステキな笑顔を持った、頭のよ~い14歳は、学校や世代や社会や国の枠を越えた社交力、そして想像力を兼ね備えた人物でした。バックパックおばちゃん、そんな中学生にお会いできて光栄でっす!

さらに金曜日の夜のこと。翌土曜日にイタリアのヴェニスに向かい、夜のパリ行きの便に乗るまで観光をする予定だった我々おばちゃんは、スーパー中学生「姪っ子ちゃん」をヴェニスへ誘ってみることにしました。
友人が電話をすると、お母さんが電話に出て、
「娘は疲れてもう寝てしまいました(10時半過ぎに電話したので)。それから残念な事に、明日は年2回の土曜日の補習授業の日なので、娘は学校に行かなくてはならないの。」と。

そうかぁ~、学校があるなら仕方がないね、と話していた矢先、姪っ子ちゃんから電話がかかってきて、ヴェニスへは一緒に行きます、と。(あれ?寝てたんじゃないの?)(お母さんに起こされたらしい。『おばちゃんとヴェニス行ってきたら?』と。)笑

友人に、「姪っ子ちゃん、明日は学校があるんじゃなかったの?」と聞くと、「明日は休むんだって。」と友人は話し、それでもまだ笑っているのでどうしたのかと聞きました。
「『明日は学校があるんじゃないの?』って聞いたら、あの子何て言ったと思う?『学校へは行かない。School is shit(学校はクソだ)』だって。」
おばちゃん達は爆笑しつつも、14歳の言葉に大いに納得し、感心したのでした。「確かに、学校はクソだもの。」と。
優等生、どんどん不良になっていっています。全ては不良おばちゃん達の責任です。

翌朝、ご両親と一緒にやって来た姪っ子ちゃん。お母さんが学校へ欠席の連絡を入れたところ、担任の先生が驚かれたそうです。
「この子は、ほとんど学校を休んだことがないので、『娘を休ませます』を言ったら、『どうなさいましたか?!』と先生が大変驚かれて、こちらがびっくりしました。」
「それで何と説明したのですか?『娘は今日は風邪を引きまして…』と仮病でも使いましたか?」と聞くと、
「いえいえ。先生にははっきりと、『娘は今日、ヴェニスへ遊びに行くので学校へは行きません』と説明しました。」
ご両親は、晴れ晴れとした笑顔で娘さんを送り出してくれました。
はぁ~そうですか~、これで娘さんも晴れて不良ですなぁ~。ハッハッハ~。

自分の夢を持ち、自分の興味のあることに情熱を注ぎ、将来に必要な実用的スキルを着々と身につけながら、落ち着き払った態度で確実に行動を起こしてくるスーパー14歳「姪っ子ちゃん」。
読書家の彼女は、車の中やヴェニスの街で、スロベニアの歴史やイタリア美術のことを、バカパッカーおばちゃんに、沢山教えてくれました。
将来彼女は世界を旅して、ジャングルに住むそうですが、彼女なら何所に行っても、何をやっても生き延びていくと思います。その頃までには、10ヶ国語ぐらい話して、5つぐらいの楽器を弾きこなしていそうな勢いの若者です。

とても小さくつまらない世界「クソ学校」を抜け出して、ヴェニスへ着いてきた優等生の姪っ子ちゃん。うんうん。いいんじゃないでしょうか?どんどん外へ出かけていこうよ!ヴェニスの街を歩こうよ!
そしてそんな彼女の意思を尊重しているご両親の態度の中にも、「新世代」を感じましたよ。
若者の行動力に触れたすばらしい出会いでした。おばちゃん、感激。

話しがとても長くなってきたので、残りは3部にて。

それではまた、ごきげんよう。

安希

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