108.サハラ砂漠の深い懐①(ヌアクショット)
怖~いと売り出し中のモーリタニア。おばちゃんは、散弾銃を探しに、サハラの国へいざ出発?!

皆さん、こんばんは。
安希のレポート、モーリタニア編が終わっていなかったので、今もうここはモロッコですが、バタバタと書き始めました。
モーリタニアはサハラ砂漠の中にある国。砂以外に何があるの?というような国でした。
基本的にテントや野宿の生活だったため、電気が使えなくてパソコンの充電が出来ず、また日中の激しい気温上昇と空気中を舞う砂が怖くて、パソコンを開くことが出来ず、レポートをお休みしていました。

昼間と夜間の寒暖の差激しいサハラ砂漠、植物が育たず、貧弱な食事が続いてしまった砂の国、こんなモーリタニアで何をしていたかというと、体調を崩しつつも普通に旅をしていました。
砂漠の奥のほうまでラクダに乗ってお出かけしたりしていただけなので、う~ん、特にこれと言ってレポートするようなことはないですね。ただの旅でした。
書くことが特にないので、モーリタニアの旅の経験をだらだらと書いてみましょう。

昨年クリスマスにフランス人4人が射殺されて、安全面の不安を理由にパリーダカールラリーが中止になり、フランス政府からは現在、退避勧告まで出ている、「怖~い」国として売り出し中のモーリタニア。
そんなに、みんなが「危ない危ない」って騒ぐなら、そんなに「行くな、行くな」と言うのなら、はい、行ってみましょう。どのくらい怖いのか見てみましょ~。

以下、モーリタニアの観光旅行のお話しです。どうぞよろしく。

■ベンツに乗ってどこまでも

モーリタニアの首都ヌアクショットに着いたころ、私は疲労を溜めてダウン状態でした。
ダカールからの疲れと、その後の移動(乗り物の中にぎゅう詰めで長時間移動)の疲れ、そしてヌアクショットの夜が寒い上、テントのマットが身体に合わず、風が吹いて砂を吸いすぎて喉と肺を痛めて…。はぁ。
乗り物とマットの悪さにより腰痛になって、左下半身が痺れて歩けない…、喉を痛めて熱が出る…。はぁ。
いよいよ理学療法士の友人にメールでもしようか、と思い始めたころ、カレンダーをチェックして気がつきました。
「残された旅の時間はあとわずか、こんなところでボヤボヤしてる場合じゃな~い!」

そこで、強行軍で砂漠の街を目指すことに決めました。シンゲッティというイスラム教第7の聖地で、砂に埋もれたサハラ奥地の街です。
地図で距離を確認した限りでは、シンゲッティの80キロ手前の街アタールまで、乗り合いタクシー(メルセデス)で最低5時間はかかるし、道中何が起きるかは分からないと予想した私は、朝7時30分には宿を出てタクシー乗り場へ行くつもりでした。
ところが、前日の夜、宿で地元のお兄さんが声をかけてきました。
「明日、俺もアタールへ行くんだ。だから一緒にタクシーを捕まえよう。宿を8時30分に出て、9時のタクシーに乗ろう。」
「私は7時30分には宿を出るから、一緒には行けない。遅く出発して街に夜到着したりするのは絶対いやだから。」
「心配するな。アタールまでなら3時間で着く。9時に出れば12時にはアタールに着いて、そのまま13時のタクシーに乗り換えてシンゲッティまで行けば、一日で目的地まで行けるはずだ。心配するな。」
3時間でアタール?一日でシンゲッティまで行く?本当かしら…。

3時間でアタールというのはさすがに厳しいと思いましたが、それでも9時に出れば、午後1時か2時ごろにはアタールに着いて、運がよければそのままシンゲッティに行けるかもしれないと考えて、翌朝8時30分の待ち合わせの約束をして就寝。
そして翌朝、8時30分になっても男性は現れず、宿のお兄さんも、彼は来ないんじゃないの?と言うので、一人慌ててタクシー乗り場へ向かいました。
来ないのなら、最初から「一緒に行こう」なんて言うな!

さて、タクシー乗り場。
砂の上に停められた何台もの中古のメルセデスの周りを、強い風に煽られた砂が舞っております。
なぜメルセデスが多いかというと、ヨーロッパ人(フランス、ドイツ、スペイン)が古くなった車をモーリタニアやセネガルに売りに来るからです。
そんなメルセデスの中に混じって、おそらく1980年代初頭のモデルであろう、オンボロの車が停められており、どうやらその車もアタールへ行くらしい。
お金を払って、荷物を預け、さて、後はそのオンボロ車(7人乗り乗用車)に、10人の乗客が集まって出発するのを待つのみ。

朝食のバナナを食べながら車の周りで暇を潰していると、オンボロ車と別のメルセデスの運転手が何やら喧嘩を始め、見ると私のバックパックを掴んで引っ張り合っているではありませんの?
「まあ朝からご苦労さんですわねぇ。好きにしてくださいね~。」
と喧嘩を眺めながら相変わらずバナナを食べていると、メルセデスの運転手が私に言いました。
「俺の車に乗れ」と。

言われるままに乗り込むと、五人乗りのメルセデスには既に大人5人と子供3人の8人が乗っておりまして、運転手と私が乗り込むと全部で10人。
う~ん、ドアが閉まるかな~?閉まらないかな~?勢いをつけて、行くわよ~、バ~ンと閉めたら、おお~閉まったわ~、ドアが~。
乗り合いタクシーのギュウギュウ詰めはもう慣れているけれど、今回は横に詰められているおじいちゃんのわき腹から苦しそうな呼吸が伝わってきます。
肋骨が圧迫されていかにも苦しそう。この状態で何時間行くのかは知らないけれど、おじいちゃん、大丈夫かしら、と思ってから、その状態で約20分間の待機。
そしてやっと車が走り出すと、車は市内のあちこちを挨拶回りして(早く出発してくれ~)、さんざん市内を回った後、またタクシー乗り場に戻ってきました。(なんなんだよ~、早く前に進んでくれ~!)

すると、運転手は私に言いました。
「降りてくれ」
はぁ?と思いましたが、どうやら運転手もおじいちゃんの状態が気になるらしい。
まあ、仕方ないですね。ここは大人しく下車して、最初のオンボロ車に乗り換えました。

さて、再びオンボロ車。
9人の乗客がギュウギュウに詰め込まれてからまた20分くらいが経ち、荷物もやっと屋根の上につけ終わって、さて、というところで運転手は言いました。
「全員、降りてくれ」
はぁ?と思いましたが、どうやら車が故障して動かないらしい。
だったら、最初に動くかどうかチェックしてから荷物つけたり、人を乗せたりすればいいじゃんかぁ?
まあ、仕方ないですね。ここは他の乗客と共に大人しく下車して、次に用意された車(7人乗り)へ乗り換え、屋根の上に荷物が全部つけ終わるのを待ちました。
9時にタクシー乗り場へ着いてから、約2時間半後、4回の車変更の後、ついに11時30分ごろ、出発しました。

そして、アタール到着は3時間後の14時30分…なんてもちろんウソ!!日没後の19時前にやっとアタールに到着。
へとへとでした。バナナ一本でお腹もぺこぺこでした。それでも2008年こそ平和主義のわたくしは、笑顔でタクシーを降り、宿への長い道のりを歩きながら、タクシーの運ちゃん達に心の中で賛辞まで送ったのでした。
「モーリタニアの運ちゃん達よ、誇りに思うがいい。段取りの悪さを競う世界選手権があったとしたら、君達は間違いなくチャンピオンになれるから。」

■ラクダに乗ってどこまでも

翌日は、トラックの荷台に乗っかって、約2時間先にある聖地シンゲッティに向かいました。トゥアレグ(ターバンを巻いた砂漠の遊牧民)がラクダの群れを追う横を車で追い越したりしながら…。
シンゲッティはウワサどおり砂に埋もれかけていて、辺りを見渡せば、砂の山、山、山。
午後、日が照り付けてくると、もう暑くてぐったりのサハラ。こんなに暑くては、自分が発熱しているのか、砂漠が発熱しているのか、分からないんじゃないですの?
体調の悪さは相変わらずで、魚の缶詰を食べたら、また発熱。
砂漠へのトレッキングを翌日に控えて、こんな体調で灼熱のサハラに耐えられるのだろうか?と、自分でも心配になってきました。

けれど、古いことわざに「風邪は砂漠で治せ」と言うのはもちろん無いけれど、新しいことわざを開発すべく、バファリン、パブロン、ベンザブロックを携え、サハラの広大な砂の大地へ、ラクダとガイドさんと一緒に乗り出す決心を固めました。
冷え込み激しい朝、宿の外に出ると、おお~私のラクダちゃんが大人しく待機していますよ~。
大きな水のタンクをラクダにつけると、やる気のないラクダちゃんが「ブヒ~ッ!」
「あっ、ラクダが怒った!」
食料と寝袋をつけると、またまた「ブヒ~ッ!」
「あっ、ラクダがまた怒った!」

こんなにやる気のないラクダで大丈夫かしら…、と思いましたが、一々怒るわりに意外と従順なラクダちゃんは、座れと言われれば座るし、立てと言われれば立つし、走って遠くへ逃げたりすることもなく、砂山を大人しく歩いて着いてきましたよ。
長~いまつ毛に、美しい瞳のラクダちゃん。のんびり屋さんで、温厚なラクダちゃん。そして水を飲まずに荷物を担いで砂漠を歩き続けるタフなラクダちゃんに、おばちゃんは惚れました。
ただでさえ重たい水を担いでいるラクダちゃんに、私まで乗っかるのはかわいそうになってしまって、結局半分以上は自分の足で歩きました。
360度、見渡す限り砂山の続くサハラ砂漠は、強い日差しを受けて、午後からは白く煙る地獄の大地に変貌し、サングラスの向こうから太陽が両目を射抜いてきました。

午後の数時間は息をするのも苦しい暑さのサハラでも、ガイドさんとラクダちゃんは黙々と歩き続け、魚の缶詰で食事を作り、お茶を入れてくれました。
そして心に残る光景は、ガイドさんが祈りを捧げる姿ですね。灼熱の砂の上で、凍える朝もやの中で、言葉数は少ないガイドさんでしたが、必ず祈りを捧げていました。
砂以外に何も無い、まさに不毛で厳しいサハラの砂の大地にきて、砂上を吹く風の音以外何も聞こえてこない静まり返った空間で、人は神に祈りを捧げるのです。

夜は砂の上に寝袋を広げて、無風、無音の中で眠りました。これまでに訪れたどんな場所よりも静かな、全く音の無い世界で眠りました。(普通はどんな田舎でも、小さな物音、動物の声などが、聞こえてくるものです。)
満天の星空を眺めていたけれど、疲労と薬の副作用であっという間に眠りこけてしまい、結局、その夜見た流れ星は1つだけ…。睡魔にやられました。負けました。

2日目のサハラは砂嵐でした。サングラスとマスクと帽子の上から、スカーフをぐるぐる巻きにしても、どこかの隙間から入り込んだ砂が両目をアタ~ック!
目薬を注そうとしてキャプを外すと、とたんに砂が目薬をアタ~ック!地面に置いたバックパックも敷物も、たちまち砂に埋もれてしまいます。砂の威力はスゴイのです。
それでもガイドは火を興し料理を開始。砂だらけの鍋にたまねぎと魚の缶詰を放り込んで、はい、出来ました~!で、どうやって食べるんだい?この砂の嵐の中でさぁ…、目も口も開けられないんですけど…。
そこでガイドと私はシーツを頭からかぶって即席のテントを作り、その中に砂だらけの鍋を置いて、昼ごはんにしました。じゃりじゃり食べる砂漠の食事を体験。はい、砂を食べました。たくさん、食べました。お腹、一杯です、ごちそうさま!

サハラの砂嵐は、砂漠の生活の厳しさを少なからず私に教えてくれました。
こんな砂だけの国で暮らす人々にとって、開発や発展や経済の成長というのは何を意味するのでしょうか?何かを意味するのでしょうか?
私からしてみれば、「生きているだけで、もう十分立派」と思うような過酷で不毛な場所、それが砂漠でした。

ゴビ砂漠やサハラ砂漠で、砂の向こうから突然人が現れ、消えていくことがありました。砂漠のど真ん中に小さなテントや藁葺き小屋があって、人がひっそりと暮らしていることがありました。ラクダやロバを連れた民とすれ違うことがたまにありました。
そんな時いつも思うのが、「こんな場所で、どうやって生き延びているのだろうか?」という心からの疑問です。本当に、生き延びているだけで、すごいな~、と。

発熱を薬で抑えて出発した砂漠トレッキング。気がついたら、発熱のことなんかすっかり忘れて、砂漠の熱い興奮に飲み込まれていました。
痛みと引き換えに得るものの大きさを改めて実感する体験でしたよ。

では、続きは第2部にて。ごきげんよう。

安希

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