104.笑う力②(バマコ)
最貧国がひしめきあう西アフリカ。それでも人々は、明るく楽しく生きていますぞ!

皆さん、おはようございます。安希@バマコ!です。
バマコ生活6日目、滞在期間がどんどん長引いている理由はズバリ、バマコの音楽~!
ひえ~スゴイです!マリの音楽がこんなにすごいなんて…、知らなかった。
何がすごいって、タクシー代60円を浮かせるために数キロ歩いてしまう貧乏バックパッカーを毎晩のようにライブに連れ出し、入場料700円くらいポ~ンと出させて、昼食代がなくなって餓死させてしまうところがマリの音楽の凄さです。(一応、死んではいないけど)

昨晩もライブを聴きに行ってきました。見たこともないような打楽器や弦楽器が沢山出てきて、大迫力のコンサート!
ひょうたんを使った打楽器や弦楽器、大小様々なタイプの太鼓、木の素朴な音をそのまま残したマリンバ、それらが当たり前のように一つのハーモニーを作り出しておりまして…、こんな音楽があったなんて…。感動しました。
音楽のことはあまり詳しくはないけれど、音楽には芸術として成り立つものと、娯楽としてのものがあることが、昨晩のコンサートではっきりと分かった気がしますね。
マリの音楽は芸術です。それは、洗濯を干しながら聴く音楽でもなければ、運転をしながら聴く音楽でもないのです。
日本に帰ってマリ音楽のCDを聴くなら、私は、両手でCDをコンポに入れて、目を閉じて再生し、スピーカーの前に正座をしてお香を焚き、額から汗を流して聴きたいです。そういう音楽です。

以前、フランスとイギリスの旧植民地国の間の違いを書いたことがありますが、西アフリカにこれだけの芸術、文化、音楽が残されて(また発達して)いるのは、西が元々凄かったことに加えて、やはりフランス領だったことが大きいのではないかと思いますね。
ダカール(セネガル)アビジャン(コートジボアール)キンシャサ(中央アフリカのコンゴ民主)からはアフリカ発の娯楽系音楽が次々と発信されて人々の生活の中に浸透し、またバマコ(マリ)はアフリカ伝統の芸術系音楽の発信地として今、世界の音楽好きから注目を浴びているのだと思います。
音楽祭やライブミュージック盛りだくさんのバマコには、それを狙ってフランスを初めとする欧米からの音楽好きがわんさかやってきて、盛り上がります。

自分達のシステムを持ち込んで、地域との融合を図らなかったイギリス。その植民地の政治経済の整い方に比べ、フレンチはメチャクチャだけど、そのおかげでアフリカの個性がそのまま残ったのかもしれません。フランス人が、芸術や音楽に敏感で、「気さくに楽しむ民族」であることも一因でしょう。

そして、マリの音楽は堂々としています。
ヨーロッパ人をゾロゾロと南下させ、砂漠地帯の音楽祭に巻き込んでしまうだけの魅力があるのだから、当たり前です。彼らには、その他の国々のような「外人の観光客のために伝統音楽を残す努力」なんてことは必要なくて、自分達の音楽を太く長くやりながら、欧米の音楽好きを巻き込んでさらに猛スピードで進化し、世界をアッと言わせていればそれでいいのです。

欧米洋式を発展させ、経済力を伸ばし、次期ワールドカップサッカーの開催地に当選した南アを初め、東と南のアフリカ諸国は欧米的な整備を着々と進めて、先進国入りを目指してくるものと思われます。
その反対に、西アフリカに期待することは、このままで行こうよ!ということですね。
ワールドカップもオリンピックも、そういうのはさぁ、もっと頭がガチガチ系の整備大好き国家に任せて、西アフリカはハチャメチャ音楽パラダイス、芸術天国を目指そうよ。うんうん。
欧米的基準から外れまくったまま、宇宙人みたいに砂漠周辺に君臨し、西アフリカがず~とオリンピック候補地から外れ続ければ、「心震える世界」を求める世界の変人達がさらに西アフリカへと押しかけてくること間違いなし!

ステージを見て涙が出たのはいつ以来だったかよく覚えていないけれど、音楽ライブで涙が出たのは初めてでした。興奮しました。
帰国後、邦楽ポップを聴くことはもう一生ないかもしれないと思わせるような音楽でした。そして日本の古典音楽をもっと聴いてみたいとも思わせる音楽でした。
以上、どんどんマニアックになってきているバックパッカーおばちゃんの前置きでした。

で、何の話でしたっけ?
そうそう、「笑う力」の続きですね。
踏んだり蹴ったりの事件が続いたり、哀れむべき状況に陥ったら、もう笑う以外にないでしょう…。という話です。

マラリアで衰弱していく自身の哀れな状況と、その滑稽さを笑うボランティアの女性とビールを飲みながら、この話で大爆笑できる人間が日本には何人いるのだろうか?と考えていました。
そして、マリとは全く関係ないけれど、以前アメリカ在住中に、普通なら最悪としか言いようのない境遇を一緒に笑いあったルームメートがいたことを懐かしく思い出しました。

大学を卒業し、金なしビザなし職なしのベジタリアン(肉が食べられない)になって、友人の家へ居候したり、車の中で寝泊りしたり、ガレージ(車庫)の奥を間借りしたりして生活していた頃、知り合ったのが2歳年上のロシア人のルームメートでした。
彼女がどんな人かというと、15歳くらいで単身ロシアからアメリカへ不法入国させられて(親が強制的にそうした)、英語が一言も分からないところから、仕事を転々としながら、母国の家族や親戚に仕送りを続け、壮絶な十代から二十代前半を生きてきた人でした。
仲良くなった私達が何をしていたかと言うと、昼間は金策(職探しなど)に走り、夜は「痛み止め」の安ワイン(1ボトル=1ドル50セント)を飲みながら、私が彼女の話をふむふむと聴き続ける…と。

例えば、彼女の不法就労先のレストランのオーナーのババアが包丁の柄で突然頭を殴ってきたとか、ゴールデンゲートブリッジの警備員のアホが、夜風に当っている彼女を自殺願望者と間違えて精神病院に送り込んでそこで数ヶ月過ごしたとか、
その精神病院のルームメートのうちの一人が多重人格症で、突然4歳の女の子になったりするので最初はビビッたけれど一緒にお人形ごっこをして遊んだとか、脱出するために、割れたガラスで自分の手首をメッタ刺しにて「退院させないなら、ここで今死ぬ!」と精神科医を脅して脱走したこととか(手首の傷跡を見せられて、おばちゃんはオエ~)…。
その後、我々は別の事件に巻き込まれたりして、彼女は宿のオーナーから逃れるべく、夜逃げ(昼間だったけどそれに近い)をすることになって、私の車で脱走し、オーナーを振り切って、たどり着いた家には多重人格症の彼女がネコと住んでいて(定期退院中)、どうもどうもハロ~みたいな感じでした。(その日の人格はシャイな普通の女の子でした。)

ついでに、ビザなしの不法滞在中の彼女には健康保険もなく、虫歯に苦しむ彼女は歯医者にもかかれないので、痛みを紛らわす唯一の手段がアルコールでした。
とても痛がる日は沢山飲ませて治療。あまり痛くない日は、夜の冷たい風で顔面を引き締めて治療。激痛の日は、薬を買って飲ませたりもしたけれど苦しそうでした。

そんな訳で、私は毎晩、ベッドの上に正座して、彼女の壮絶なお話を聞かせてもらっては、あまりに人間離れした内容に、間違えて床に目ん玉を落としてしまいそうになったりしていましたが、今思い返しても我々はよく笑っていました。
頭を包丁の柄で殴られて帰宅した彼女の話を聴いて、話のあまりのぶっ飛び様に大笑いをした後、はっと気づいて私は言いました。「ごめん、笑うような話じゃなかったわ。大丈夫?」と。
すると、彼女は笑って言うのです。
「大丈夫なわけがない!頭、痛いよ!でも笑うような話だよ。だって可笑しいんだもの!バカみたいなんだもの!あのクソババ~~!」
私は彼女の後頭部に出来た大きな瘤を触って、そのあまりの大きさに驚いて、あまりの滑稽いさと現実離れした状況に「なんだこの瘤は~!」と再び爆笑して、言いました。
「本当に、ごめん。笑うような話じゃないよ。瘤、今からでも冷やす?」と。
その時彼女の言った言葉を今でも覚えています。
「笑ってくれるからいいのよ。私のバカみたいな狂ったような経験を毎晩熱心に聴いて、笑いとばしてくれるからいいのよ。だからあなたは、私にとってアメリカで初めて出来た友達なの。他の人は哀れんだり、申し訳なさそうな顔をして最後には逃げていくだけだけど、そんなことされても私の状況がどうなるわけでもない。だったら一緒にワインを飲んで、『あのババ~許せないなぁ!はっはっは~!』って悪態ついて笑い飛ばしてくれるほうがよほど私のためになる。笑えなくちゃダメなのよ。笑えなかったら、この世界では生きてなんていけない。」と。

精神病院での生活や多重人格症のルームメートの話をしているときも我々は何度も大爆笑でした。
そんな時に、もし同じ内容の話を日本で笑ったら、確実にアウトだな。と思ったことが何度かあります。だからルームメートにも、「笑うようなことではないと思うけど、ごめん、笑ってしまった。」と何度か謝りました。
すると彼女はいつも、「4歳の女の子に変身した大学生とお人形ごっこばっかりして暮らしたことや、他の精神病患者が暴れて殺されかけたことを、真剣に思い悩んで哀れむことは、それこそ馬鹿げてると思う。例えばスリッパを噛み千切って叫ぶ患者は、明らかにオカシイのよ。そんな人たちと一緒に暮らすなんて異常なのよ。それを変だわ~と感じて、あんな変人と一緒に暮らした狂った日々を『バカみたい!』と笑えなかったら、私の方が今度は異常になってしまうわ。」と。

多重人格症の女性の変身を笑いながらも、実は一番女性と親しくなって、最終的に多重人格の女性が定期退院を許された際、「一番精神状態が安定する相方」という理由で、私のルームメートは、退院中の女性の付き添いとして同じ家に住む事になりました。
「精神病なんて、大変ねぇ…」と暗く哀れむだけの大多数の人間にも、薬に頼る精神科医にも、何も出来なかった時に起きた出来事でした。

そんなロシア人の彼女が部屋を去ったあと、ルームメートになった短期滞在(3ヶ月?)のイギリス&アイルランドの若者達(夏のショートワーキングホリデー制度)が、毎日仕事探しに失敗して帰って来るので、その面接の話を聴いていた私はついついいつものノリで笑ってしまいました。
「そうなんだよね。私も山ほど落ちたよ!今不況らしくてさあ、もうバカバカしくなってくるよねまったく。ハッハッハ~!」
するとイギリス人が、これは笑い事ではない!失礼だ!あなたは冷酷だ!と激怒。なるほど、確かに言われてみると面接に落ちることは笑い話ではないのだった…。?と深刻に考えてしまいました。
けれど、一緒にベジタリアンになって虫歯に耐えながら笑い続けたロシア人ルームメートのことを思うと、面接に数回落ちた程度で落ち込んで、神経質になり、嘆いている短期組みの姿は、ある意味で滑稽でもありました。(まあ、笑った私が悪いのだけれど。暗かったな~彼女達は。)

話がとてもそれました。世界最貧国がひしめきあう西アフリカ。お腹を空かせた子供達が残飯を待っているマリ。こんな国々で不幸を数えだしたら、理不尽な事を嘆きだしたら、もうキリがないでしょう。
マラリアにだって、かかるときにはもうかかってしまうのです。先進国で誰かが「アフリカのマラリアは深刻だわ~」と悩んでみたところで、かかってしまうし、かかったら指だって高麗ニンジンみたいにシワシワになっってしまうのです。
けれど、こんな国にいて最近よく考えることは、私の母国の人々は、空腹に苦しむこともなく、顔中土だらけになって破れた服を着ることもなく、ハエだらけのご飯を食べる必要もなく、重たい水を頭に載せて運ぶ必要もなく、水洗便所と熱いお湯がどこにでもあって、そしてマラリアに何度もかかったりすることは絶対ないけれど、精神安定剤が必要になったり、場合によっては自らの命を絶たなければならない、そういう国なのだという事実ですね。

で、ここまでダラダラ書いてきて、何が言いたいのかというと、う~む、言葉にしてまとめるのはとても難しい。
そこでもう一つだけお話を載せて今回は終わらせたいと思います。

おばちゃんが若かりし頃、留学先のアメリカで、食べていない日々がありました。渡米後間もない時期、ホームステイ先でモジモジしていた当時、勝手に冷蔵庫を開けてよその家のキッチンを使いこなすという芸当も図太さもなかった時代。
ある日、空腹に耐えかねた私は、おそるおそる冷蔵庫を開け、中にあったTofuと書かれたパックを一つ取り出して、それを炒めて夕飯にしたことがありました。
「ホストマザーは、全然ご飯を作ってくれません(料金に含まれていたにもかかわらず)。ご飯、食べてません。この間、豆腐一丁だけ夕飯に食べました。」という日本の家族への連絡を受けて、姉が私宛てに手紙をよこしてくれました。
「夕飯に豆腐一丁の話、いつか笑い話のネタになる日がくるよ。もうこっち(日本の家族の間)では笑い話になってるかも。(笑)」
その時からだったと思います、ホストマザーに「料理が出来ないなら、せめて野菜を買ってきて冷蔵庫を満たしてください!」と命令し、ピーマンやジャガイモを元気に刻み始めたのは。

では皆様、笑いましょう。熱いハートを持って、理不尽な世界を、失敗だらけの毎日を、上司のつまらないギャグも頑張って、笑い飛ばしましょう。

それではまた、ごきげんよう。

安希

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