100.アフリカの自発性②(パラクー)
アフリカに必要なもの。それは開発?それとも開発力?

皆さん、どうもこんにちは。安希です。「アフリカの自発性」について書いている途中で、トーゴからベナンに来てしまいました。
新年早々、ボッタクリ専門のトーゴの意地汚き男の群集と、悶着だらけの国境越えを果たしました。はぁ、消耗、消耗。
あまりのウソとカネカネ精神にうんざりし、北部の渓谷地区入り口の検問所にて警察相手に初吠えを決めたあとは、もうトーゴの乗り物になんて一生乗らない!!の精神でした。

そうです、彼らの金欲に対抗できるのは、私の金力ではなく、筋力だ~~!ということで、サバンナ渓谷、約28キロを歩くとこになりました。23キロの荷物かついでさぁ…、パン一切れと、400mlくらいの水をビニール袋に入れてさぁ…、テケテケ歩きました。
そんな調子で、今年の方針が決まりました。「ハードな交渉はもうやらない。交渉が決裂したらさっさと諦め、笑顔で挨拶、あとは歩いて野宿、歩いて野宿、ゆっくり進もう2008、平和な心と確かな筋力。」でいくことになりました。
いろいろあって、国境を越えるのに3日くらいかかりましたが、素晴らしい景観の中を歩くことが出来て幸せでした。サバンナの村人なんかがひょうたんの桶に水を入れて運んでいたりして、みんな気さくに声をかけてくれるのです。
彼女達が、ミニ城塞のような美しい姿の土壁のお家へ向かって、サバンナの小道を歩いていく姿、重たい水を頭に載せて、もう一度こっちを振り向いて挨拶をしてくれたあの笑顔、新年のスタートにふさわしい美しき記憶として残っていくと思いますね。

今年は平和に進みます。平和に進みながら、アフリカのカネカネバカ男達に一つの疑問を投げかけたいと思います。
「あの日本人(先進国の人間)は、どうして歩いたり野宿をしたりするのだろうか?億万長者なのに、ドアを開けると玄関先に金が落ちている国の人間なのに、どうして僕らのボッタクリ請求額を支払えないなんていうのだろうか?」と。
おそらく金以外のことはな~んにも考えないと思いますが、それでもだれかが、「あれ?」と思ってくれたら、私にとってはそれが一つの成果になると思っています。

ODA予算数兆円をポン!と出せる国の内部に、たくさ~んホームレスがいて、何万もの人間が毎年自ら命を絶たなければならない、そんな国から来た私の成果です。
ただ「あれ?」と思ってくれれば、それで今はOKです。

で、何の話でしたっけ?
そうそう、アフリカの開発の話ですね。
あまり一貫性のないレポートですみませんが、気がついたことはとりあえず書いてみることにします。どうぞよろしく。

■国の開発、国の発展

アフリカ支援の目的として、国の開発とか、経済面の成長とか、技術面の進歩などをあげた場合、それらは全て、まず「国家」という基盤があることを前提としていると思います。
がしかし、アフリカには、我々先進国の人間や、アフリカ以外の途上国が考えているような、「国家」という概念そのものが希薄だという気がしますね。
つまり、国を挙げて社会システムを作るとか、国の成長や進歩のためにみんなで協力するといった考えがあるのだろうか?という疑問です。

世界中を周ってきた旅人達と話をするとき、アフリカだけはちょっと他の大陸と違っていると思う、という意見がよく出ます。
「アフリカはもうアフリカのままでいいんだよ。先進国の価値観を持ってきてアフリカの開発だの発展だのってやらなくたって、アフリカはアフリカらしくやっていけばいいんじゃないの?って思うよ。」とか、
「昔、ボブマーリーがアフリカを一つの国にしようって言ってた意味が分かる気がする。」「アフリカ大陸には国はいらない。」と語っている旅人もいらっしゃいました。
もちろん、今更一つにするのは難しいけれど、アフリカという大陸に、我々の「国」という基準を当てはめている時点で、相当無理があるくらいの場所なのだと思います。

アフリカとは、そもそもが小さな部族や種族で構成された民族大陸です。
ソマリアからタンザニアまでの4カ国ほどにまたがって移動するマサイ族やら、身体に赤土を塗った半裸族、サハラ砂漠を移動していく遊牧民族のトゥアレグなどに、「あなたの国家の開発がどうのこうの」と話してみたところで、「はぁ?」だと思います。ほんとうに、「はぁ?」でしょう。

例えば、ウガンダの孤児院の横には、異なる種族が住む土壁わらぶき屋根のお家があって、偶然中へ招いてもらいましたが、隣のお家にも関わらず部族が違うために、地元人の先生ですら彼らの言葉が解らずコミュニケーションが図れない。まさにこれがアフリカという大陸です。
また、タンザニアのビジネスマンの場合、彼のお父さんはマサイ族なのでパスポートなしでケニアでも何所でも歩いていけちゃう。そんな大陸です。
西アフリカに来てからは、人々の出身国は曖昧だけれど、彼らの顔に掘り込まれた「民族の切れ込み」を見れば、どの種族の人かはすぐ判る。うんうんアフリカ。

植民地時代に入ってきた英語やフランス語など、アフリカ人にとっては種族語の次に当る第二言語でしか、国内での統一したコミュニケーションが図れない大陸。
しかも、エチオピア以外は、独自の文字を持っておらず、植民地時代以降にやっとアルファベットを使い始めました…、が文字も数字も、実は書けない人が沢山いる大陸です。
そんな大陸の人々に、「あなたの国の技術は、どうすれば進歩していくでしょうか?」と質問してみたところで、「はぁ?」でしょう。

単一民族で言語統一も完璧な日本。その我々の感覚で言う「国の開発や、技術の進歩」をアフリカ人が理解しているとはとても思えないし、彼らにはそんなものを理解する必要がもともとないのだという気もしますね。

国の開発と技術の進歩という観点から、もう一つ気づいたのは、それらはある一定のレベルに達するまでは、どの国においても男性社会が担ってきた分野だということです。
どの国を旅しても、女性の暮らしぶりにはほとんど変化がありません。どの国の女性も、子供を生んで育てて、家事をこなし、内職やちょっとした商売をしながら小銭を稼いで、忙しく一生懸命に家庭を切り盛りしています。
そこで男性社会が何をするかによって、その国や社会の構造が決まっていくのだと思います。つまり、国(社会)の開発に含まれる、土木建築、インフラや社会システムの整備、防衛、技術や農地の改革、などは男性社会が作ってきたものだと思います。(家電製品に溢れ、子供を10人も育てなくてもよい先進国レベルに達すると、また話は別です。)

日本や欧米諸国もそうだったはずです。
まず「こんな国(社会)を作りたい。」とか「この不便を改善したい。」という願望があって、課題を一つずつクリアしていくうちに、開発が進んでいったのだと思います。
その点、アフリカは「国」という概念も曖昧なときに、「不便を改善したい」という願望がどうという前に、既に開発された世界が入ってきてしまっている状態で、本来男性社会が担うはずだった「段階を経た、ニーズにあった開発」が無視されて、発展順序がおかしくなっているのかもしれません。

例えば、隣の村まで歩くのが大変なので、ではロバに乗っていこう、ロバだけでは荷物があまり運べないので、荷台を作ってみよう、荷台の車輪が木製だとお尻がガタガタするし速度も遅くて壊れやすいので、もう少し弾力性のあるものをつけてみよう、やっぱり荷車の改善と共に、サバンナの道のでこぼこも直したほうが良さそうだ、それにはまとまった人手がいるので、村の皆で協力しよう、計画を立てよう、そうしよう!
という手順を踏むはずだったところへ、ある日突然、アスファルトの完璧な道がサバンナのど真ん中にで~んと出来上がり、その上をトヨタランドクルーザーなんかが180キロぐらいで走っていく姿を村人は目の当たりにするわけです。なんじゃあれは?!と。
そして、ロバも荷車も道を作るのももうアホらしくなって、「やっぱり欧米だぜ~。あの180キロの車、先進国がくれないかな~?あっ、開発援助でもらえるかもだってさ~。ラッキー。でもそんなんだったら俺、ヨーロッパ人と結婚して、あんな車をみんなが乗り回している国へ移住したいな。こんなアフリカみたいな場所、知~らない!ぷい!」

要するに、男性社会が担うはずだった発展の過程、それに必要な仕事を、先進国がいとも簡単にやり遂げてしまうと、アフリカの男性社会は、ますますやることなし、進歩なし、思考低迷、先進国への妄想を膨らましてぶーらぶら。になってしまうのではないでしょうか?心配だわ。
先進国の多大な開発援助によって、アフリカの開発(むしろ開拓?)は進みます。
しかしこれにより、アフリカの自発性、つまりアフリカ発の「開発力」は逆に、さらなる低迷を続けていく可能性が高い、と私は感じています。

アフリカ支援に関する話はまだまだ続きます。
しかし私は今、サハラ砂漠へ向けて再び大陸を北上中のため、書いている時間があまりないのです。
次はニジェールへ。スムーズな国境越えを期待したいです。
まっ、笑顔でボンジュール、子犬の瞳でジュヌコンプランパフランセー(フランス語わかりません)、涙を浮かべてメルシーボークー(ありがと~)のバカの3つ覚えを繰り返しながら、地道に歩いていけば、平和で美しい国境越えとなることは間違いなし!よ~っしゃ!

ではまた、ごきげんよう。

安希

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