94.人脈、そして金脈「後編」(ボルガタンガ)<BR>貧乏の原因は、生まれた境遇と人脈?それとも、あなたの怠惰ですか?

皆さん、こんにちは。安希@かなり北上しました。ブルキナファソまであと少し、ガーナ北部のボルガタンガから続きのレポートです。
この辺りまで来ると、蒸し暑い亜熱帯気候が姿を消して、再びサバンナ。バオバブの木と乾いた土の大地に戻ってきました。

■リベリアの難民男

所得レベルの違いという点で、もう一人興味深い(鬱陶しい)出会いがありました。
ラスタマンの家に居候していたリベリア人の難民の男性。9歳の時にリベリアで内戦が始まり、以後、難民となって、現在はガーナにいる、自称ミュージシャンの彼。
現在は難民キャンプで生活していますが、私がラスタマンにドラムを習っていた一週間は、ラスタマンの家で何故か寝泊りしている男でした。

さて、彼がどんな人物かと言うと、嘆きの人ですね。
彼の主張:

自国の内戦によって、自分の人生はめちゃくちゃになった。音楽を勉強したかったけれど、その機会を奪われ、独学で音楽を学んできた。現在はガーナにいるけれど、仕事は無い。
なぜなら、難民の彼はガーナ社会では差別されていて、仕事が見つけられないから。今は難民キャンプで海外のNGOのサポートと、アメリカにいる親戚からの送金で生きている。
彼は、音楽と機械に興味があるので、できれば私に日本のスポンサーを探してきてもらいたい。そしたら日本で彼は音楽活動をするのだそうです。…はぁ?

そして、彼はアンプを作る仕事にも興味があるらしい。けれど、ガーナのアンプ屋さんは、彼をリベリア人という理由で差別するだろうから、雇ってはくれない。
仮に雇われたとしても、五年は下積みばかりで、まっとうに仕事はさせてもらえない。したがって、日本からアンプの部品を大量に送ってもらいたい。…はぁ?
日本製のアンプの部品を送ってくれたら、それを彼が組み立てて、「リベリア産」のオリジナルタグをつけて販売する。そうすれば、飛ぶようにアンプは売れるのさ!と。…はぁ?
僕は難民で差別を受けていて部品を手に入れられないし、海外コンサートへ出かけられないので、それをどうにかしてくれ。と。…はぁ?

隣で話を聞いていたラスタマンが言いました。
「日本産のアンプなら売れるだろうけれど、リベリア産のタグのついたアンプなんて売れるわけがない。お前はバカか?」
おばちゃんも言いました。
「難民で差別を受けて、それは残念な事だけど、海外コンサートのスポンサーを見つけるには、活動実績が必要だし、それは難民でなくても誰にとってもとても難しいことです。それからアンプの部品だけど、部品を買って輸送する資金をあなたが私に送ってくれるなら、私は日本から部品をシップアウトしても構いません。」
「僕には、そんな資金はないよ。僕は難民だからだ。」
「タダで部品がもらえて、それを組み立てて売上を作るだけなら、アホでも出来ます。それは利益ではなくて、寄付というものです。」

はい。そうなので。難民の彼は29歳。彼はこれまでの人生でを寄付で生活してきたので、そのことに慣れきってしまっているのです。

まず、彼はラスタマンの家に居候をしてタダご飯を毎日食べている。(出資者は私。調理班は私とラスタマン。)
ラスタマンのアートショップの手伝いもしない。なぜなら、そういう「細かい手作業は俺には向いていないから」だそうです。ちょっとは手伝えよぉ~。
彼の生活は、朝起きて、朝ごはんを食べ、ビーチでマリファナを吸って、人生を嘆き、私達が食事を作った頃に帰ってきて、勝手にご飯を食べて、昼寝をする。
食事の準備を手伝わない。水を汲みに行かないで使うだけ。(水汲みをしてくれるラスタマンの労力は大変なものがあります。)そして我々が作る食事に注文をつける。リベリア人は米を食べるから、ヤム芋ではなく、米がいい。と。日本人も米を食べるが、私は現地の習慣に習ってヤム芋やキャッサバをてべている。何が問題だ!コラ!
そして決定的なのが、「ありがとう」を言わない。後片付けも手伝わない。

ラスタマンはドラムの先生をしてくれていたので食事の世話をするのは私からのお礼だったけれど、難民君は一体何様のつもりなのだろうか、と、だんだん腹がたってきました。
5日ほど、毎日タダご飯を献上して、「ありがとう」を言われずに過ごし、ついにおばちゃんは言いました。
「あなたも料理をしたり、食べ物を持ってきたり、食器を洗ったり、何か一つしてみたら?」と。
すると難民君は、では最後の日に、僕がカエルを捕まえてきて料理するといいました。リベリア流カエルのグリルはとても美味しいのだそうです。カエル…かい?
けれど難民君が初めて何かをするといっているわけだし、いいじゃないですか、カエル、たべましょうよ。

そこで庭の周りのどぶ池をチェック。うんうん、カエル、います。いますよぉ~。
そして、カエルのディナーを楽しみにしていた最終日、何が起きたかというと、難民君はカエルと捕まえることもなく、挨拶もなく、姿を消し、難民キャンプへ帰った。と。
その日、カエルを食べる予定だったラスタマンと私は、夜になって食べ物を探しに出かけ、そのころ難民君は、キャンプで用意された「相変わらずのタダご飯」を食べていたことになります。

要するに、難民君は「食べることに困らない人」なのだと思いますね。
彼の境遇の不幸を嘆きながら、アメリカから送金される200ドルでマリファナを吸って、NGOが準備するご飯を食べて、ぶらぶらして暮らしていく。
難民キャンプにも是非遊びに来て欲しいと、何度か誘われましたが、行く気にならなかったです。
行けば、当然のごとく交通費はおばちゃん持ちとなり、彼の食事の世話をさせられて、それでキャンプへ行って何があるかというと、
「NGOの女の子たちは、GREATダンサー達だよ!彼女たちは音楽にもノリノリでイケイケだ!是非君にも紹介するよ。それに難民キャンプだといっても、いいカフェもあるし、きっと想像以上に楽しめると思うよ!」というものがあるらしい。

難民だからと言って苦しむ必要な無いけれど、まあ、いいんじゃないですかぁ?勝手にしてください。という気持ちです。
彼は、仕事のないまま、貧乏だけど食うには困らず、マリファナを吸いながら生きていくと思います。(NGOよ、海外支援よ、もしも難民がかわいそうだと思うなら、あなたは無知な偽善者かもしれない。)
難民君がMr.ビジネスマンの人脈に加わることは永久にありえませんし、ガーナ社会で全うな経済活動をすることもないでしょう。

原因は二つ。アフリカの社会システムと、さらに深刻なアフリカの職業観。つまり彼の怠惰です。

タンザニアの宝石掘りの話ではないですが、誰かに支払ってもらう、養ってもらう、助けてもらって当然、という考え方がアフリカに根強いことは他の旅行者と話してみてもはっきりしていることです。
そして、当然の助けを受けているのだから、「ありがとう」を言わない。

■クマシの紳士

さて、アクラで多くの人と出会い、いよいよクマシに立つという前夜、Mr.ビジネスマンのお迎えタクシーがやって来て、彼の友人に紹介されました。
アメリカ在住のガーナ人の友人で、一時帰国中の人ですね。そして彼らと食事に出かけて、聞くところによれば、お父さんがクマシに住んでいるらしい。
そこでクマシに着いたら連絡するように、と。

さてバスが遅れて、夜10時にクマシに着いた私は、迷ったけれど「お父さん」に電話をかけました、するとお父さんがしばらくしてBMWで登場。でた。。。BM.
そのまま近くの「良いホテル」へ「夕飯つき」で送迎され、翌日はお父さんのオフィスを訪問。
昔ニューヨークで街づくり計画の勉強をして、現在コンサルタントをしている紳士と何度か夕飯を共にしてガーナ社会について教えてもらいました。

そのお父さん曰く、「ガーナ人は怠け者だ」と。ガーナだけに限らずアフリカの経済発展を妨げている大きな原因の一つが、仕事をせずに生きていこうとする人口の多さ。だと話されてました。
アフリカに限らず、途上国の多くで感じたことは、一家または一族の誰か、働き頭を頼って、そのほかの家族は仕事をせずにぶらぶら暮らす。そういう考えかたが主流だと感じました。
それからお父さんによれば、「アフリカには、貯蓄の概念がないし、投資の概念もない。計画的のお金をためて、教育やその他、将来性のあるものへ投資するという考えが無くて、お金を手に入れてもすぐに使ってしまいます。お金の無い人でも、ではお金が少し手に入ってたから何をするかと言うと、ショッピングをして、高いサングラスや時計や携帯電話などを買って全てお金を使い切ってしまう。それらは消耗品なので生活や経済力の向上には繋がらない。」と。

確かに。ラスタマンにしても、ペンキを買うお金がないときに、ビール飲んでマリファナ買ってる場合じゃないし、難民君も毎月200ドルもの送金があるなら、それをもっと有効に使えばいいじゃんか!と。
ちなみにMr.ビジネスマンの境遇はもともととても良かったわけではないです。確かに叔父がミリオナーだったりと金持ちではあるけれど、彼は14歳から自分で仕事をして生きてきたと話していました。
19歳で本格的にはじめたビジネスも法改正などで何度も潰されたりの波乱万丈だったそうです。それで以前から目をつけていた中国製の冷却給水機をついに輸入して別のビジネスを展開する機会が出来たのが今年彼が28歳のとき。
その買い付けの帰りに私は彼にカイロにて出会ったことになるわけです。

「本当は19歳でその機械を買いたかったけれど、いろいろあって10年近くかかってしまった。」と。
けれど、彼は働きまくって、機械も手に入れて、14歳の時から築いてきた人脈を駆使してさらにビジネスの幅を広げていくでしょう。32歳までには億単位を動かしていたいのだそうです。
彼の持っている不動産(これがガーナではいろいろ問題)が上手くいけばそういう日が来るかもしれない、と思わせるような人物でした。

怠けていては人脈だって広がらない。という声が、Mr.ビジネスマンと、クマシの紳士から聞こえてきそうな気がしますね。

■働くもの、働かざるもの。

さて、アフリカ他、途上国にはびこる「日本人は皆金持ちだ。日本へ行けば僕だって大金持ちになれる。」神話に関して、日本で就職経験6年のガーナ人と話をすることが出来ました。
Mr.ビジネスマンの友人の彼女は、6年日本で働いて、今ガーナで就職活動中。日本へ戻って仕事をしたいかと聞くと、彼女はきっぱり「ノー」と。
なぜなら、日本の仕事は厳しいから、6年で十分。休みは無いし、全てが時間通りでなくてはならず、ミスが許されない。働かないと生きていないから、日本は嫌いではないけれど、これからはガーナでのんびり暮らしたい。と。
アフリカ人は、日本に行けばすぐに金持ちになれると思っているけど、日本でお金を稼ぐのはとても大変なこと。と。
うんうん。働かなくてもなんとなく生きていけるアフリカとは社会の構造が違います。働かざるもの、食うべからずの社会です。低所得の一般アフリカ人には理解できない社会です。

そしてガーナでの彼女の就職方法は、家でテレビを見ながら朗報を待つ。日本のような就職活動とは違い、ガーナはコネが全てなので、コネで話がまとまれば、次の日から彼女はテレビを消して、ちょっくら仕事をしに出かけるそうです。
日本のプレッシャー社会とは類の異なる仕事です。もっとのんびりとした。。。

■人脈と金脈と経済格差

ガーナでは多くの出会いがあり、いい経験ができました。
ガーナでは、コネが無くてはパスポートの申請さえ出来ず、政府が決めると、次の日には家が壊されたりする社会。
政治と金脈と人脈が絡みあう高所得者層と、相変わらず土着的なアフリカ社会を生きる低所得者層。二つが相交わる可能性はとても低いですね。
そして二つの層の間には、職業に対する意識の違い、教育や人脈に対する考えの違いがはっきりと存在しています。

低所得者に「あなたの貧乏は自業自得だ。」といえるかどうか、微妙なところです。どう思いますか?
心配してもどうにもならないことですが、いろいろ考えさせられました。

だらだらと書いてしまいました。熱い暑い西アフリカから、まずはガーナのレポートでした。

ではまた。ごきげんよう。

安希

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1件のコメント

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    はじめまして。私も1999年に半年ほどガーナのアクラにボランティアですんでいました。レポート読んでて、あのときのギラギラしたガーナ人達の光景が目に浮かんできました。今では笑って読めますが当時の私はガーナ人の本質をこんな風に捉える頭もなく居心地悪く生活していたのを覚えています。安希さんの鋭い指摘にうんうんと笑いながら読ませていただきました。おもしろかったで~す!

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