映画『Her』を観てきました。

皆さま、こんにちは。
安希@東北で夏休み中。秋田、青森、岩手周辺をぶらぶらして、今朝は気仙沼(宮城県)でブログを書いています。

さて、先月のB&Bでのイベントの最後に、参加者の方から『Her』という映画を勧めていただきました。また、本ブログへも以下のようなコメントを寄せていただきまた。

コメントより抜粋:
お勧めしたSpike Jones監督の映画「Her」、鑑賞後の余韻が、「リオとタケル」の読後感と同質のものでした。共通するテーマもあるのですが、ユーモアと優しさの裏に骨太なメッセージが嫌味なく込めてあるのが理由でしょうか。ご多忙でしょうが映画の感想をどこかで拝見できるのを楽しみにしております。

ということで、早速(といっても、少し前になりますが)『Her』を観に行ってきました。いい映画ですね。「人口知能との恋愛」と言ってしまうと、なんだか薄っぺらくて手垢のついたテーマのように聞こえますが、ストーリーはもっと、ずっと深いですし、観る側に自由に思考したり感じたりする余地をかなり残してくれている映画だと思いました。感情移入するというのでもなければ、客観的にストーリーを追うというわけでもなくて、どちらかというと、映画を観ている間中、自分の経験や感情と静かに向き合うことを許されていたという印象です。観終わって、分かりやすい結論も出なかったですし、よかったなと。(笑)時間を置いて観たら、また全然違う発見をするだろうなと思える、つまり、もう一度観たいと思える映画でした。

人によって、感じ方や着眼点、受け取るメッセージは様々だろうと思いますが(というのは、観る人の内面を反映するタイプの映画だから)、一つのテーマとして、人間が生涯を通じて抱えることになる『孤独』をいかに埋めるか、という点について面白い提示をしていると思いました。孤独は、それ自体が悪だとは思いませんが、多くの人にとって逃れられない深いテーマだとは思います。

誰かが隣で手を握ってくれれば孤独を埋められるのか?多くの友達に囲まれて飲み会をすれば孤独から逃れられるのか?結婚やパートナーシップが孤独を解消してくれるのか? いえいえ、そんな単純な話ではないですからね。でも、私たちの多くが、単純化されたフォーマット(あるいはストーリー)の中で生かされているというのも確かです。ちょっとした不自由さや違和感を抱えながら、その原因がはっきりとしないもやもやした状態の中を生きています。

深夜の映画館で『Her』を観ながら、ある人のことを考えていました。幼なじみの友人のことです。『リオとタケル』をいちばん届けたかった人でもある。11年前に初めて短い小説を書いた時以来、心の中の読者としていつも彼女の存在があった。結局、私には小説を書く能力はありませんでしたが、あれから11年が経ってようやく、彼女に読んでもらえそうな(自分なりに、読んでもらえたらいいなと思える)小説っぽいノンフィクション作品を書き上げることができた。それが『リオとタケル』でした。でも、間に合わなかったですね。半年前に、彼女は逝ってしまいました。仮に間に合っていたからって、どうということはなかった(いづれにせよ、どうすることもできなかっただろう)と思いますが、ただ、彼女をご飯に誘うことも、旅に誘うことも、書いたものを読んでもらうことも、もうできなくなってしまったんだなと・・・。

一緒にいることで逆に孤独感を強めてしまう人間関係というのも、たくさんあります。でも、そうでない関係もあります。できることなら彼女にも『Her』を観て欲しかったですし、できれば一緒に観たかったとも思います。もう、今更何を言っても遅いけれど、ポップコーンをバカ食いして『ホアキン・フェニックス、ちょっと見ないうちにオッサンになったな」なんて言いながら観ることができたら、よかったのかもしれません。

それで、無理矢理まとめますと、自分の身の回りのことをあれこれ考えさせるいい映画でした。誰かと深くつながるというのは簡単ではありませんが、少し視点を動かすことで、そのチャンスを増やすことはできるのかもしれません。ゲイの叔父を自死で失ったコーエン教授の言葉ではないですが、『別々の檻に自分たちを閉じ込めたまま身動きが取れなくなってしまう』前に、『Her』を観て、『とりとめのない話』なんかをできたらいいのに(よかったのに)と思いました。

興味深い映画を勧めてくださり、ありがとうございました。

ではまた。

安希

 

 

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1件のコメント

  1. 前回コメントさせて頂いた梁川と申します。映画「Her」について、観る人の経験や年齢によって印象の変わる映画と思います。中村さんの感想をお伺いできたのは、読者として大変嬉しく、貴重なものです。(何か得した気分です。)
    私も人が何を愛するか、何故愛するかは「ひとそれぞれ」という感想に終始します。生物学的な生殖行為を超えて、この複雑さこそが人間らしさと思うのです。
    偉大で公平な“神”の如き愛にも、個人間の生々しい愛にも満たされない人、成就しない人もいて然るべきと思います。「人は何を滑稽に思うかでその人の本性を現す」とか何とか、格言があったような気がしますが、くだらないことでお腹が痛いほど笑い合える仲が意外に心地良い関係で、この「心地よさ」を互いに求めるのが「愛」なのではないかなと個人的には思います。追伸:ホアキン、声がとても印象的でした。

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