質問&感想&意見、諸々ありがとうございます。

皆さま、こんにちは。
暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?

B&Bのトークイベントから早くも一週間が経とうとしています。ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。2時間あると、話している側としてもいろいろと考えさせられることが多くて面白いです。とくに質疑応答!盛り上がりましたね。いや、人前であんなにセックスについて話すことになろうとは・・・。(笑)質問者の若い男性「僕はやっぱり女の人とセックスがしたい!」を4回連呼されてましたから、そうとう「したい」ということでしょうけれど、いや〜〜、どうやって答えたらよいものか、なかなか大変でした。

質問のポイントを整理すると:
「僕は男である。僕は同性の友人たちに深い親しみの情を持っている。でもセックスは女性としたい。本文中には、『セクシュアリティを決めるのは心であって、行為ではない』と書いてあったが、そうなると僕のセクシュアリティはどうなるのか?」ということだったと思います。

え〜っと、この質問に対するクリアーな答えはないですね。そもそも「欲求」のあり方自体が人それぞれ違うと思いますし、肉体と精神は完全に分離できるものではないと思うからです。

そもそも、『セクシュアリティを決めるのは心であって、行為ではない』という話は、本文中のある文脈において出てくる話(リオとタケルが語っている)なので、ここだけを切り取って、または肉体と精神を完全に分離したものと定義して、この一文だけをベースにセクシュアリティを分類することは、やっぱり無理でしょうね。

その言葉が出てくる文脈というのは、ヘテロセクシュアルの生活(異性とのセックスなり、異性との婚姻といった行為)だけで、その人をヘテロセクシュアルと決定づけることはできない、という意味です。ゲイ(本当は精神的にも肉体的にも同性を求めている人)であっても、ヘテロセクシュアルの生活(行為)だけは、選択的に行えるから。それから、例えば軍隊や宗教施設内で同性間セックス(行為)が行われたからといって、彼らがゲイだとは言い切れない。単に、身近に異性がいないことによる代替的な行為でしかない場合だってあります(たぶん、ほとんどがそうだと思う)。

だからあくまでも、そういう文脈で出てくる一文だということです。ただ、なぜあえてそこで「その一文」を書いた(編集上残した)かと言えば、これまでのセクシュアルマイノリティに関する議論の中で、「行為」ばかりが強調されすぎてきたという印象があったからです。

例えば少し前までは、誰かが「ゲイです」と言った途端に、周りの男性がお尻の穴を押さえて逃げる、というようなジョークがあったらしいんですね。それは彼らの存在が「性的な行為の対象」だけに集約されていて、彼らの内面的な欲求(心の部分)が、ほとんど無視されてきたからだと思います。
ここで、別のケースについて考えてみましょう。ヘテロセクシュアルの男性が、全然好きでもない女性から突然「本当にごめんなさい。でも、どうしてもあなたとのセックスだけは勘弁してほしい」なんて言われたら、「俺だって相手を選ぶよ。勘違いするな」と思うはずです。だから「あの一文」は、そういうマイノリティ的なジレンマの中から出てきたもの、と言うこともできると思います。つまり、対ヘテロセクシュアルの世界では起こりえない勘違い、「女だったら誰でもいいからやりたい、というのは、少し変わった性癖である」というような常識が、対セクシュアルマイノリティの世界では、きちんと共有されてこなかった、ということです。

あともう一カ所、おそらく疑問になっているのが、タケルさんの回顧録の中に出てくる一文だと思うんですね(質問者さんも挙げていらっしゃいましたが)。
『理想的な男性の肉体が持つ美しさが、僕の性的な感覚を刺激するのは確かです。だから僕は、ホモセクシュアルなのです』

この件についても、あの質問のあといろいろ考えたのですが、いや〜、簡単に答えられる内容じゃないですわ〜。私自身も相当混乱してきましたし。(笑)自分のことをあれこれ考えてしまいました。男性の美しい肉体と、女性の美しい肉体、どっちをみてゾクゾクするかと言ったら、対男性のほうがゾクゾクするなぁ・・とか。(笑)それから、セックスシーンを観たときのゾクゾク度なんかも考えましたよ。そうですねぇ、どちらかと言うと、ヘテロセクシュアルなセックスシーンを観た時に、私はドキドキする傾向がありますね。でも、いわゆるエロビデオを観ても、あまり何も感じません。だから私の場合、性的な興奮というのは、かなり精神的(脳みそ的)な部分に関わっているということでしょう。

レズビアンのセックスシーンについて考えてみると、私の場合は女性の肉体にたいするダイレクトな興奮はありませんから、まず、画面に女性の裸体がでてきてドキドキしたりはしません。セックスシーンについても、実はあまり何も感じない。ポルノ的な映画は特に・・、何も感じないです。だから、『アデル ブルーは熱い色』の長〜いセックスシーンは、あまり面白くなかった。むしろ二人の些細な会話や関係性のほうに感じる点があったように思います。レズビアンのセックスシーンを観てドキドキすることがほとんどないので、あれ、自分はやっぱりヘテロかな?と思った時期もありましたが、唯一『Desert Hearts』という映画を観た時だけは、女性同士のセックスシーンでドッキーン!でした。あの映画は、セックスありきという感じではない映画で、二人のビミョーな関係を経て、最後の最後に・・・という風でしたから、たぶん脳みそ的に刺激されて、それにつられて肉体関係にもドキドキしたんだろうと分析しています。

はい。だからセクシュアリティなんていうのは、超複雑で、常に揺らいでいるものなんでしょうね。本文中にショーンという男性がでてきて『そもそもセクシュアリティというのは、男が好きか、女が好きか、ではなくて、誰が好きかという問題 』と、私を諭すシーンがありますが、そういうことだろうと思います。そして、『誰が好きか』という問題は、変化していくこともあります。そうでなかったら、相思相愛で結婚したカップルがこんなに離婚するはずがないじゃないですか?!「あの時は好きだったんですけれど・・・」みたいなね。誰を好きになるかなんて(それが異性か同性かも含め)、未来のことは誰にも分からないんじゃないでしょうか。

久々に長いレポートになりました。勇気を出して質問してくださった皆さま、ありがとうございました。2つ目の質問「旅がテーマ選びに与えた影響」、それから最後の締めの感想を語ってくださったお父さん(イベントの後、スタッフ一同で感動しました)、ありがとうございました。とても良い会だったと思います。

それから、質問をしてくれた方もそうですが、実はこういう質問や感想やカミングアウトが、今、私の周りでは頻発しています。(笑)みんな、いろいろ疑問に思ったり、人にはなかなか話せなかった体験をしていたり、思うことや考えたことが、たくさんあるようです。その多くは、現在ヘテロセクシュアルの生活をしている人たちですが、みなさんグルグルグルグル思考しているみたいで、かなり深く突っ込んだ話をする機会が増えました。面白い現象だと思います。私自身の中でも答えはまだ出ていませんが、これからも周りの人たちと一緒に語り合ったり、考え合ったりしていけたら面白いだろうなと思っています。

ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。なお、私自身の大混乱(だって簡単に答えられそうにもなかったんだもの!)に伴い、昨日、リオ先生にメールで質問をぶつけてみました。そしたら今朝、彼から早速の返信がきましたので、それもあとでアップしますね。参考にしてください。

ではまた、ごきげんよう。

安希

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2件のコメント

  1. B&Bのトークイベントに参加し、何とか最後に感謝と感想を述べることのできた梁川と申します。昨今、一昔前まで「まさかそこまでは傾かないだろう。」という予想を遙かに超えて極端な意見が罷り通り、およそ半分がそれを支持するという状況に日々驚きとやるせなさを感じています。(私から見ると手塚 治虫が描く悪の帝国のごとく滑稽に映るのですが、当の本人は至って本気のようです。)その中で、「人間どこ行っても大体同じ」、「多様性を受け入れる社会の大切さ」をハードボイルドな視点で紹介してくれる中村さんの表現は大変心地良く感じます。今回のイベントも、前回の参院選で無謀にも比例代表で立候補のうえ落選した三宅洋平さんの選挙フェス同様に、クーラーの効いた部屋で「なるほどねぇ。」と評論家ぶるより、現場に足を運び、実際に本人の目を見て、またそこに集まる人の匂いも嗅いでみたいと思い、参加しました。私のような市井の中年男でも、無関心でいることが難しい時代の縁まで来ているような気がするのです。子どもたちが、中村さんや、三宅さんを「理想主義のサヨク」ではなく、ある意味、クールでセクシーなロールモデルとして見てほしいと思うのは親のエゴでしょうか。(主義、思想は多様で宜しいですが、カッコイイか悪いかは重要です。)長文・乱文すいません。おしゃべりが止まりませんが以上とします。追伸:お勧めしたSpike Jones監督の映画「Her」、鑑賞後の余韻が、「リオとタケル」の読後感と同質のものでした。共通するテーマもあるのですが、ユーモアと優しさの裏に骨太なメッセージが嫌味なく込めてあるのが理由でしょうか。ご多忙でしょうが映画の感想をどこかで拝見できるのを楽しみにしております。暑い日が続きますがお身体ご自愛ください。

  2. こちらでははじめまして。いつも納得でき新しい視点も与えてくれる文章に感謝です。
    さて、Facebookのコメントに書くのはちょっと違うかと思ったので、こちらに。

    私は人間のことを考えるとき動物に戻ってみる、という方法をよく使うんですが、ほ乳類でもボノボくらいになると、オスもメスも同性同士で頻繁に性的交渉があるそうです。他の動物も多かれ少なかれそうでしょう(ただ「教育上」とかなんとかで、あまり言われないだけで)。うちのメス犬も私の腕でマウンティングしますし。
    人間とほ乳類と、さほど遺伝子的に違いはないわけで、そうした根本を持ち、加えて知的に発達した人類であるなら、いろいろな性の形があって当然、当たり前のことと思っています。
    そういう根本に立ち返れば簡単な話なのに、問題はやっぱり社会が作り出してきた偏見とかですよね。
    …あの、すごくあっさり・ざっくばらんな話になりましたが、みんなが、そんな根っ子のところから積み上げて考えてくれればいいのに、と思うことしきりです。

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