79.ウガンダの孤児を訪ねて「支援編」(ウガンダ南部)
支援と一言で言っても、内容は様々。支援に一番重要なこととは何でしょうか?

こんにちは。ウガンダの孤児を訪ねての「支援編」です。
生活環境の改善、学校施設の改善、そして支援、協力、寄付、ボランティアの存在…、など孤児院を訪ねてみると色々と考えさせられることはありました。
そこで、奥様と話し合ったことや、私なりに気づいた点を少し書いておこうと思います。

■地域社会とのバランス

第3世界には、まだまだ改善を必要とする地域、支援なしでの発展が難しい地域があるのは確かです。そしてそれらの地域や住民のことを気に掛けている人が先進国に沢山いるのも確かです。
そこで問題となるのが、どういう支援が望ましいのか?という点です。支援したい人と、支援が必要な人がいるからと言って、あたかも需要と供給がぴったりマッチしたかのように、上手くことが運ぶかというと全然そうではないのです。
そこで、全く異なる二つの環境に暮らす人間が、一つのプロジェクトを成し遂げる「国際支援」という行為のなかでキーワードと思われる点を2つ考えてみました。

1つは、「持続性」。もう一つは、「地域バランス」。です。
この二つの点を中心に考えたときに、不思議と思いついたのが「物質的支援に頼らないこと」、どちらかというと「物質的支援を抑える」ことが大切なのではないかという点です。
変なことを言っているように聞こえるでしょうけれど、物質を持続的に支給し続けることは難しく、また物質は支援の中でも応急処置的なものであって、その意味では、「持続可能な支援」に逆行してしまいます。
特に、先進国から入ってくる物資にはとりわけ注意を払わなければいけないと思います。なぜなら、地域社会の生活レベルに見合わない物資が無計画に導入されると、格差が生まれたり、それまでの生活のサイクルが急激に変化しすぎて、生活面の別の部分にゆがみが出たりすることがあるからです。

例えば、私の訪れた孤児院を日本の技術で鉄筋コンクリート二階建てに作り変えて、ソーラーパネルを完備してシステムキッチンを入れて、液晶大画面で教育番組が見られるようになったとしたら、それはとても便利で快適ですごいインパクトのある改善ですが、それと同じだけの負のインパクトがあるはずです。
まず、地域社会で浮いてしまう。嫉妬の対象になりかねない。壊れたときに直す資材と技術がローカルレベルでは手に入らない。子供達がそこで成長して、いざ巣立っていったときに、火の起こし方、水の汲み方が分からず、電気のない土壁のお家の生活への復帰が困難になる。など。
従って、この点は奥様とも何度か話し合ったのですが、地域社会と足並みを揃えながら、学校の運営や生活が少しずつ改善、前進していけるレベルの物資の援助が望ましく、または今現在ある施設や資材の中で改善できる点があれば是非知恵を貸して欲しい、と話されていました。

また、上記の二点を考慮して、物資の支援をする場合は、「支援物資は現地で揃える」ことが大切ではないかと思いました。
私が子供の頃、貧しい国の子供達に支援しましょう~という謳い文句で、古着や文房具を集めて、それらを学校や団体を通じて送っていたような記憶がありますが、それよりは、現地で買った服や文房具を送ったほうが良いと思います。
そうしないと、現地にお金が落ちない。現地の産業が発展しない。人々が仕事を失ってしまう。そしてますます外からの物資の支援に頼ってしまって、持続もへったくれもなくなってしまう。日本から古着や文房具を送り続けることは大変だし、現地の産業とローカル経済を少しでも助けて、現地の生活サイクルの中に品物やお金の流れが生まれてくることが重要なはずです。

一番好ましいのは、現地の製品を買うこと。それが無理でも、現地のお店に一度卸された国外産物を買うことで、外貨が現地流通を少し手助けして、庶民にお金が落ちるはずです。
大きなプロジェクトをする場合でも同じですね。現地の材料で、現地人を雇って、支援者も被支援者もお互いに知恵を絞りあって継続的にプロジェクトを進めていく。
例えば、孤児院に日本からの輸入食品を支給するよりは、現地人を雇って庭の畑を耕すほうが、地域社会に仕事が増えて、地域社会と同じ類の穀物が子供達の口に入り、そして畑をうまく維持している限り途絶えることのない持続性のある「食物供給」が可能になります。

そんなわけで、私が寄付したものの中で一番良かったなと思うものは、やっぱり「ブタ」かなぁ~。私の小銭は、バナナ林の中に住む村人の手に渡り、それと引き換えにブタが学校にやって来て、子供達はこれからブタを飼育していくのです。
そして大きくなったら売り飛ばすのです!よ~っし!大きく成長してくれよ、ブタ君よぉ!「自分達で育てたブタで~を購入して、改善した」とか、「自分達の畑が大きくなって食事がグレードアップした」とか、「井戸掘りの技術が、地域に紹介されたので、水汲みが断然楽になり、畑の面積も広がって、新しい作物を育てて製品化することとが可能になった」というような、地域レベルにあった小さな改善の積み重ねが、支援の持続性へと繋がっていくのではないかと思いましたよ。

■ピンポイントドネーション

「地域のレベルに合った改善」を意識しながら、では学校の設備のなかで何が改善の対象となるのかを考えてみました。
子供達と一緒に生活し、作業をするなかで、改善が必要だと感じた部分は:

1、炊事場。かまどがないので、煙が炊事場に充満して子供達も大変そうでした。私は目と喉をやられて料理のたびに涙をながし・・・。あの煙を毎日吸うのは肺に悪いです。また、かまどがないと火が簡単に消えたり、熱が拡散してしまうので効率が悪い。薪の使用量も増えてしまって環境にもよくない。
2、水汲み。水汲みは本当に面倒で力のいる仕事です。休み中はまだ良いとしても、学校が始まってから、勉強と平行して水汲みに行かなければならない子供達のことを思うと、ただただ「大変すぎる」気がしました。また、奥様の話では、学校が始まると生徒数は80人に膨れ上がるので、その分の水を確保していくのはとても大変。水の問題は深刻です。と。(私は、休み明けの学校を3日間だけ見学して孤児院を離れましたが、授業前に水汲みに走る子供達には頭が下がりました。)
3、寮。学校の寮では通常42人の生徒が寝泊りするそうですが、二段ベッドが現在は一つしかなくて、子供達は床に式並べたマットの上で雑魚寝です。土足の床にマットを敷いて寝ると、どうしても寝ている間に砂や埃を吸ってしまう。夜中に咳き込む子供達も多かったです。寮の衛生環境がもう少しよくなると健康的ですね。

以上三点に関して奥様と話し合いました。私の疑問は、「地域のレベルに合った範囲」で設備改善ができるかどうか。例えば、子供達が巣立っていって、いざ炊事をするときに、石のかまどと薪しかない生活ならば、子供達は石のかまどを使った料理法を身につけなければいけません。また水汲みの方法を学び、土足の床で寝る習慣が必要なのかもしれません。
答えは以下のようになります。

炊事場:現在では、地域社会のなかにも「かまど」が導入されてきていているので、石のかまどから「新しいかまど」への改善は必要。特に、学校のような大所帯の場合、使用する薪の量も半端ではないので、新しいかまどで炊事の効率を上げたいと話されていました。

水汲み:農村部では水道の無い家庭が多いので水汲みは学校と同じ、タンクを自転車につけて、または女性が頭に載せて泉へ汲みに行くのが主流です。けれど学校レベルで考えると、公立の学校には1000L貯水タンクが設置されているのが普通です。つまり、貯水タンクの設置は地域の学校施設のレベルにあった改善です。80人分の水ですからねぇ、汲みに行くのは大変です。

寮:こちらも、一般家庭の状況がどうというよりは、学校施設では2段ベッドは必要だという結論です。42人の子供達が寝起きして、そこに巻き起こる砂や埃の量といったら、それは家庭レベルのものと比較していても始まらないと・・・。健康のために2段ベッド、増やしましょう!

そこで、改善のお値段はというと:
かまどの正確な値段は分かりませんが、一般家庭でも使用しているくらいだから、そんなに高くは無いはず。現地の「新しいかまど」を設置すれば、安いし、修繕も現地でできるし、使い方を学んでおけば子供達の将来にも役立つ。現地調達でいってみましょう。
貯水タンクは近くの公立校に見に行ってきました。雨水を溜めておける大型タンクです。街ではいろんなサイズのタンクを見かけました。現在、孤児院には600Lの子供用簡易プールがあって、雨が降るとそこへ水を溜めています。けれどプールは蓋もついていないので貯水効率は悪いです。もう一つ学校にあるタンクで100Lのものが、12ドルぐらいだったということで、1000Lのタンクもせいぜい数百ドルもあれば買えるのではないでしょうか。もちろん、数百ドルは現地では大金ですが。
2段ベッドは、1つ10ドルもかかりません。

以上、現地調達する限り、改善のお値段はそれほど大したことはない。ただし、80人の生徒をタダで教育し、毎日タダで食べさせて、薬も必要だし、文房具も必要だし…、という経営環境にあっては、二段ベッド7ドルの出費が大きな負担になったりするわけです。
そこで思いついたことが、「ピンポイントドネーション」
支援する側と、支援を受ける側、双方にとって、低コストで確実な支援方法は、「ピンポイントで「かまど」を寄付する」とか「貯水タンクの設置を支援する」ことではないかと思いました。

孤児院の経営者の方は、以前は日本の支援団体などから寄付を受けていたこともあるらしいのですが、資金使途説明が負担になったり、日本の援助者の思いと現地で作業をする人間の考えがズレて、増えてくる制約がプロジェクトの妨げとなったしりてやりずらいことが多かったので、現在は完全に個人でされているそうです。
NGOでもなく、支援団体もなし。まったく個人でやっている。らしい。
日本にいる支援者には、現地の状況が分かりません。しかもNGOの9割はマトモに機能していないとまで言われていて、じゃあ集めたお金はどうやって使ってるの?私腹を膨らましたりしていませんか?という話にもなりかねないわけです。

今回私は、現地での活動状況を拝見させてもらって、素晴らしいプロジェクトをされていると共感できる部分も多く、また、日本から自分が支援するなら「ここを改善したい」と思う点と、現地で活動されている奥様の考えている点が、ぴったり一致したという印象を受けました。
そんなわけで、「ピンポイントドネーション」です。役立つものをピンポイントで支援する側と、役立つものをピンポイントで支援される側、お互いすっきり、そして確実な改善が期待できます。

■連係への道

現地人と生活を共にし、何年もかけてプロジェクトをやっていくような、人的支援と、現地滞在は出来ないけれど「何かをしたい」と思っている支援者、それから一番重要な現地人が、それぞれうまくかみ合ってプロジェクトが出来れば理想的ですね。
なかなか難しいことなのですが・・・、どうにかうまくコミュニケーションを取り合って、それぞれの負担を軽くし(1から10まで、人的、経済的、全部をやるのはとても大変)、息の長いプロジェクトが実現していくことを祈るばかりです。

その点で、今回、私のようなおばちゃん旅人の突然の訪問を受け入れてくださった主催者には感謝しています。なぜなら、自分の目で状況を確認し、実際に活動されているかた(奥様)とコミュニケーションをスタートさせることが出来たからです。
ウガンダレポートの第1話、「出発編」にて、「訪問拒絶」だった活動者についても書きましたが、素晴らしい活動をされているけれど資金援助が必要とウワサで聞いているだけに、コミュニケーションが取れないことを残念に思いますね。

「部外者にはとうてい理解できないから面会拒絶」から「お互い理解するのは難しいけれど、同じように『何かをしなければ』と感じているものどうし、コミュニケーションをとってみませんか?」へ。「拒絶」から「連係」へと、現状がシフトしていってくれるといいですね。

私はタダの旅人で、将来アフリカに永住して支援をしようという覚悟もなく、現在はあまりにも貧乏パッカーすぎて、「貯水タンク寄付できたらいいのになぁ~」と夢を見ながら「たかが数百ドル、されど数百ドル」に冷や汗が出て、結局最後は「安い子ブタちゃん」になってしまいました・・・はぁ。
「あなたには何が出来る?」と言われたら、まだよく分からないし、今はな~んにも出来ていないのは自他共に認めるところ。けれど、私なりの第一歩として、現場を見せてもらったことと、コミュニケーションに参加させてもらったことは、とても大きかったと信じています。
「石のかまどは目に沁みる~」ことがよく分かって、奥様とその他スタッフの皆さんと、大変なこと、ちょっと馬鹿げた現地の話、支援のことや、将来のこと、経済や社会の話など、いろ~んなことを、あの美しい自然のなかでお話できましたからね。よい経験をさせてもらいました。感謝の気持ちでいっぱいです。

以上、生活改善編でした。ウガンダ最後のレポートは、JICA、ODA編でいってみます。今回もまたいろいろありましたので…。
では次回にて。ごきげんよう。

安希

追伸:私の「支援物資(主に子供服やサンダル)」は、奥様がみんなに分け与えてくださって、子供達も喜んでくれたみたいです。私としてはちょっと的外れで、食べ物や施設修繕を寄付の対象にすればよかったかな~と反省したり・・・。けれど奥様には「子供達が「何かをプレゼントしてもらった」ことをそれぞれに実感できて、励みになったたし、喜んでいます。」と、私の方が励ましてもらいました。そして最後は、お別れの歌とダンス、プラス「アキおばちゃんお別れディナー」で奮発してもらって、お夕飯に肉が!!うおぉ~。「ご負担をおかけしてすみません。本当に、恐縮です。が、うっ、うまいっすこのシチュー!」

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