74.アンバランスな国境越え①(アジスアババ~イシオロ)
エチオピアからケニアへ。この過酷な道程で見えてきたものについて。

皆さん、こんばんは。安希@ナイロビの安宿にて深夜のレポート中。ナイロビは電気代が高いのでしょうか…、どの宿もコンセントの数が少なく、パソコンを開くには他の滞在者が寝静まった深夜が一番なのです。
明日の夜には、もうウガンダへ経ってしまいますが、ケニアレポートを書けるだけ書いてから出発しようと思います。でも書き終わるのはきっとウガンダのカンパラ辺りかな~。

さて、エチオピアの首都アジスアババから陸路でケニアのナイロビへ。このルートは色々ウワサがあって、特にケニアサイドの道が悪く、バスが無く、自動小銃を持った武将集団が出ることで知られています。
現在は、厳しい検問と乗り物へ護衛を同乗させることを徹底しているため、襲われるのは自転車の一人旅の人とか、護衛のついていない車ぐらいということで、まあ大丈夫であろう・・・と。
まずはアジスを出て、エチオピアサイドを南下したわけですが、まあ乗る物乗る物、全部ぶっ壊れる。壊れると、何時間も農村にて立ち往生。懸命の修理の甲斐も無く、最後は壊れた車を諦め、別のミニバスに詰め込まれ、さらに別料金まで払わされ・・・。
ほとんど毎日、まだ外も真っ暗の早朝5時にバス停へ行き、そして一日が移動で終わる。そんな移動生活を4日目、ようやく国境の街、モヤレへたどり着きました。

さてケニアサイド。まず、人が悪い。一つ国境をまたいだだけで人の雰囲気ががらっと変わってしまいました。とにかくお金を巻き上げようとする汚い男が群がってうるさ~い!
朝食のために立ち寄った喫茶店の中にまでついてくるしつこさに、朝から切れるわたくし!「ふざけるな~!」ここは堂々と大喧嘩をして、一銭も取られることなく、どうにかトラックに乗り込みました。
次にこのトラックですが、普通のトラックではなく家畜を搬送するローリーですね。従って、普通は荷台に家畜が乗り、その屋根に格子状(50cm幅ぐらい)に組み込まれた鉄のパイプが一般席になります。
つまり家畜用トラックの天井の鉄パイプの上に乗っかって行くわけですね。我々が乗ったトラックは家畜ではなく穀物袋を乗せており、けれどその袋の上は地元の乗客で一杯に埋まってしまっていたので、私とサムソン君はやはり天井の鉄パイプに乗ることになりました。
ところで、この穀物袋の山と、過剰に詰め込まれた人々、さらに天井に大量に乗っかった(ぶら下がった)乗客が後々問題を引き起こすことになります。

エチオピアサイドとの違いは、人の雰囲気に加え、車の悪さ(壊れてもエチオピアにはバスがあった)と、道の悪さ(ケニアサイドは一切舗装されていない)ですね。
エチオピアとケニアの物価や金融面の利便性を考えると(クレジットカードの利用など)、ケニアのほうが圧倒的に進んでいる、発展しているように見受けられるのに、この道のぼこぼこは何ですの?
アフリカに大投資をしている中国の影響力、つまりエチオピアの道は中国によって作られたそうなのですが、中国はケニアの道は作らなかったのかしら・・・?とこの辺り、国際関係の不思議です。
ケニアではかの有名なサファリ公園「マサイマラ国立保護区」へ行く道でさえ、舗装が進んでおらず、ぼこぼこでした。不思議。ケニアって、金持ちなの?貧乏なの?

さて、機関銃をかついだ護衛3人と一緒に天井のパイプへ座り、炎天下のでこぼこ道南下がスタートしました。景色は最高!だけど風が当って目がぁ、目がぁ開けていられないのです。
ああ、サルがいます。ダチョウが走ってます。と、目を開けようとするのだけれど、風と巻き上がった砂が顔面を打って、痛いのです。。。
そして、昼食をとった後、発熱。エチオピアサイドでずっと熱を出していたサムソン君に代わって、ケニアでは私が熱を出してみることになりました。
と言うような効率の良いものではなく、前日の夜浴びた「バケツの水シャワー」の水がと~っても冷たく、それを頭からかぶった後、髪が濡れたまま・・・記憶がない。朝起きると喉が痛くて、髪の毛が立ったまま固まっていました!ので風邪を引いたようです。
わざわざトラックの上で熱出さなくても・・・とがっかりしたけれど、ここは速やかにパブロンで解熱。夕方に到着予定だった中継点イシオロまで我慢して、ちょっとマトモなホテルをとって眠る予定でした。

っが、アフリカで予定もへったくれもありません。明らかに重量オーバーの我々のトラックは時速30キロくらいでしか進んでいかず、イシオロなんてまーだまだ先の地点、ステップ地帯のど真ん中でパンク。トラックのタイア交換は時間がかかるのです。
ようやく動き出したトラックの上から、太陽が地平線の向こうへ沈んでいく様子を確認し、さてここからは闇ドライブがスタート。トラック、イシオロに着きません。
周りの乗客の予測もめちゃくちゃで、遅いものでは翌朝イシオロ着、などという到着時間12時間遅れ論まで出てきて、いよいよパイプの上で一泊のムードが漂い始めました。

そのままトラックはゆるゆる進み、私はお尻が痛くて再び発熱。パイプの上とは言え、みんな疲れています。みんなどうにか体を横に倒して寝ようと、パイプの上の場所取り合戦。人の頭を蹴り落とす勢いがないと、体を横たえることは出来ないのです。
私の頭も数回蹴られました。夜の野外は寒く、熱も徐々に上昇。そこで荷台の荷物の上に少しでも場所があれば、そこへ身をかがめて寒さに耐えようと思ったのですが、これが間違いでした。
荷台へ片足を下ろした瞬間、荷台で寝ていた地元人たちが一斉に大反発。こわ~い。片足でも降ろすな~!!!俺達の場所だ~!!とわめき始めるのです。なんじゃコイツら!ムカッ。
寒さと発熱を心配してくれたサムソン君が、今度は荷台へおりて我々のバックパックを探し、寝袋を取ってこようとしてくれたのですが、それにすら大反発!「彼女が病気なんだ。ただ寝袋を取りに来ただけで、君達のスペースを横取りしに来たわけじゃない!」と言っているのに、勘違いしてブーイング。
なんじゃコイツらは!心せまいわ~。結局、我々のバックパック自体が穀物袋の奥の下へ押しやられており、暗闇では見つけ出すことすら不可能だったため、寝袋はギブアップ。

寒風に打たれたまま迎えた深夜2時。トラックが停車しました。真っ暗でよく見えないけれど、ステップ地帯のどこかですね。トラックの揺れも止まり、強い睡魔が襲ってきます。う~ん、身体を横に倒したい。お尻が痛く、座ったままでは眠れない。
そこでわたくし、しっかり反撃させていただきましたの。わたくしのお尻の周りに頭をねじ込んで寝ていたほかの乗客二人の頭を蹴り飛ばしてスペースを作り、「失礼!寝させていただきます!」
その後の記憶はありません。朝もやの中に少し記憶があり、パイプの上で寒さに震えてちぢこまっていたことと、サムソン君が何か声をかけていったことはおぼろげに覚えています。
日が昇り始めた頃目が覚めると、サムソン君の寝袋を身体に巻きつけたままパイプの隅っこに引っかかっているのが分かりました。どうやら明け方になってバックパックを見つけ出したサムソン君が寝袋をかけておいてくれていたらしい。あ~、助かった~。

ところでトラックは深夜2時を最後に死んでしまったまま動く気配すらなく。乗客も降り出したので、我々もトラックを降り、道の上へ敷物を広げて横になり、そして爆睡。
日差しが強まり、いよいよ暑くて眠れなくなったところで、他の乗客同様、唯一の日陰であるトラックの下へ逃げ込みました。はぁ、我々は一体なにをやっておるのでしょうか。
10トントラックに20トンの物資と人を乗せて走っていたトラックは、その車軸が壊れたらしく、もう直せそうにもないのだそうでして・・・、で、どうするの?

水も食べ物も無く、救援部隊も来ない乾いた大地のど真ん中で、で、何をすればよいのかしら。トランプもバドミントンも持ってないしねぇ…、と、思ったら一台のトラックがやって来ました。
トラックにはすでに家畜と人が乗っていて、追加可能な人数には限りがあるらしい。すると他の乗客たちは、われ先にとトラックによじ登り始めました。その勢いたるや凄まじく・・・、バトルです。

その様子を呆然と眺めている我々のところへ、やってきたトラックの運転手が走ってきて乗っていかないかと声をかけてくれました。「おお~、親切な人だ」と思ったのもつかの間、彼は外人の我々を見て高額運賃を取れると思ったらしく、他の乗客の何倍もの金額をふっかけに来ていただけだったのです。
っと、ここで気づいたのですが、我々が最初に乗った壊れたトラックの運転手は、我々のお金を持ってすでに逃げたあとらしく、払い戻しは一切不可能。
・・・トラック壊れました、運転手とお金には逃げられました、次のトラックは外人差別で乗せてくれません。結局、外人のクセに高額運賃が払えないと分かった運転主は我々にはさっさと見切りをつけて、嘲笑を残していってしまいました。
地元人の特権を生かして安い金額でトラック乗車に成功した他の乗客。去り際に彼らが残していった笑い声にムカ~。

腹を立てていても仕方ないので、残された他の8人ほどの乗客と我々は、トラックの下でひたすら体力温存に努めました。ビスケット5枚とアメ4つを発見して、サムソン君と半分こ。体調不良でどうせ食欲も無かったし、まあ空腹には苦しまずに済みました。めでたしめでたし。
その後も、NGO関連やUN職員が運転するトヨタ「ランドクルーザー」なんかが何度か通過していきましたが、助けてくれる車は無かったです。残していくのは土煙だけ。ムカ~。
白人の女性が運転するNGOの車が一台停車したらしいのですが(私は寝ていたので分からない)、サムソン君が「Hello」と挨拶をすると、女性は窓越しにサムソン君を見て「ブッ」とふきだして、無言のまま窓を閉じ、そのまま走り去ったとのこと。
「僕達を笑いものにするためだけにわざわざ停車したのだろうか?」とますます不愉快になっていくサムソン君と取り残された私達。それでも残された人たちは「身勝手」でない人が多く、それが救いでした。
熱心なイスラム教徒の彼らは時間が来ると土の道に並んで祈りを捧げ、我々に対しては「ケニア人のこんな姿を見せてしまって同じ国の人間として恥ずかしく思う。かつてのケニアにはモラルや礼儀や人の心があったのだけれど、それらは社会のバランス崩壊と共に失われてしまった。」と残念そうに話していました。

話を聴くところでは、現在のケニアには、宗教、企業、NGO、旅行者、その他いろいろなものが、あまりにも急速にしかも一斉に入ってくるために、昔から保たれていたバランスが崩れてしまったのだそうです。
とくに、宗教団体やNGOの大量流入によって起こる、嫉妬、混乱、生活の急激な変化は、海外から受ける「協力」の負の側面です。
例えば、マサイマラ保護区のとある小学校はキリスト教系の団体によって運営されており、授業のカリキュラムには当然ながら、「宗教学(キリスト教の教え)」などが含まれます。
それによって、改宗を迫られる地元民なども多く、反発や混乱が起きることもあります。

このようなケースはインドからのレポートの中でも書きました。現実的な経済、教育的なアドバンテージの選択によって、それまでの伝統的生活習慣や宗教観などが一瞬で塗り替えられていく。
経済発展、教育水準の向上、欧米的(先進国の)生活様式の導入、など、つまりは「拝金主義」への急激な傾きが、伝統的なモラル感や価値観にも影響を与えているらしいのですね。

植民地化を逃れ、伝統的な部分がまだまだ多く残っている感の「エチオピア」から、ハチャメチャの「ケニア」へやって来ました。
物価も安く、貧乏そうだけれど「文化的、人間的豊かさ」を残すエチオピアから、高額のトラックのパイプの上でビックリするようなモラルの欠如に遭遇してしまったケニアへ。
旅人の目には、その差がはっきりと見えましたよ。

さて、壊れたトラックと共に放置された私達。この後のお話は、第2部にて。

それではまた。

安希

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