65.緊迫の国イスラエル(テルアビブ~エルサレム)
たった3日間の滞在。けれどこれだけ凝縮された世界を見たのは初めてです。

どうもこんにちは。安希@遅れ気味のレポートに焦りつつ、もう出国してしまった国を思い返して書く日々です。
今日はイスラエルに関するレポートです。ヨルダンから陸路で入国し、テルアビブの友人に会ってきたので、その時お話をちょっとばかり。
イスラエルは、小さな国だけど、ある意味で世界一有名、というかメディア露出の多い国ですから、短い期間でもやはり自分の目で見ることが出来てよかったと思っています。

■大問題のスタンプ

旅の道中で数人のイスラエル人の友人ができ、そのために訪問国の一つにスケジュールされていたイスラエル。けれどもイスラエルが近づくにつれ、やはり入国スタンプの問題が現実的になってきました。
前回のメールでも書いたように、パレスチナを占領したイスラエルを国として認めず、従ってイスラエル入国形跡があると自国への入国を認めないイスラム国家が世界にはいくつか存在します。
例えばすでに通過したシリアなどがその一つで、さらに私の場合、ヨルダンからもう一つのイスラエル拒絶国イエメン行きのフライトチケットを押さえていたことが悩みの始まりでした。

スタンプ問題を考慮して、ヨルダン側の出国スタンプとイスラエル入国スタンプをパスポートではなく別紙に押してもらい、入国形跡を消すという手段は確かにあるのですが、それも状況次第。
特に、昨年レバノンとイスラエルが戦闘状態になった頃は、別紙スタンプを拒否され、パスポートにスタンプをもらってしまった被害旅行者が続出。つまり、運が悪くスタンプをもらってしまうと、この後のイエメン、さらに可能性としてアラブ系アフリカ国数カ国への入国が全て水に流れる可能性があったわけです。
従って、スタンプが心配な旅人は、全てのアラブ国、イスラム国を見終わってから最後にイスラエルへ入るか(エジプトやヨルダンは問題ないです)、パスポートの更新直前に入国して証拠隠滅を図るか…、という作戦を取るらしい。
う~ん、悩みましたね。そして最初に出した結論は、NO。わざわざ今回リスクを犯してまでイスラエル国境を越えなくても良いではないか・・・と。

イスラエルで待ってくれていた友人にも、残念ながら今回のビジットは見合わせるとメールし、向こうからも大事を取って今回はやめておいたほうがいいとの理解も得て、ヨルダンをおとなしく旅行してそのままイエメンへ飛ぶ予定でした。
ところが、ぺトラ遺跡にて状況が一変。
なんと、イラン入国に備えて偽装結婚し、入国後離婚した前夫とその仲間の日本人旅行者にホテルでバッタリ出くわしたのです。
聞くと、イスラエルへ行って戻ってきたところらしい。しかも、スタンプをパスポートに押されることはまずない、と。全員、別紙スタンプだったそうで、前夫の場合、記念にスタンプを押してくれと頼んだけれど押してもらえないくらい、現在はノースタンプ状態だとの情報でした。

他の旅行者の情報もほぼ同じで、どうやら現在はノースタンプが流行っているらしい。はぁ、なるほど。ここで予定を変更し、急いでアンマンへ戻り、イスラエルの友人へメールを打ちました。
「明日、イスラエルへ行くことにしました。はやくメールに気づいてくれると嬉しいです。イスラエル入国後にメールをチェックするので電話番号を返信してください。イエメンのフライトが迫っていて3日間しか滞在できないので会えるかどうかは微妙だけれど、会って一緒に飲めるたら最高です!ではまた。」
すると、5分後に返事が来た!電話番号も載っている!そしてテレアビブの彼女のアパートに初日は泊まり、次の日は、彼女は会社を休んで私のエルサレム観光に付き合い、その日はエルサレムの彼女の友人の家に押しかけよう、と。おお~、はやい!!
もしもイミグレでスタンプをめぐる問題が起きたら、彼女に電話を回すように、と。そしてテレアビブに着いたらすぐ電話を入れるように、と。はぃ、了解しました。

慌しく決まってしまったイスラエル旅行。翌朝6時にホテルを出発し、ヨルダン側は問題なく別紙スタンプで出国。そしていよいよ問題のイスラエルイミグレーションへ。

まず、何がすごいかと言うと、セキュリティーチェックですね。さすがテロの標的イスラエルです。チェックに次ぐチェックに次ぐチェックに次ぐチェック。何回チェックする気じゃ!
そして、なるだけ優しそうなお姉さんがいる窓口へいく・・・予定が、ちょっと間違えて意地悪そうなお姉さんに当ってしまいました。
さて、ここからが有名な意地悪質問大会&放置プレイへと入ります。
質問されたときの鉄則は、英語が分からないふりをして、質問する側のモチベーションを下げる。そして、余計な事を言わず、イノセントな子犬ちゃんのような瞳で、相手の要求に従順に従う。などなど。

嫌がらせ以外の何でもないような質問がスタート。
「何所へ行くの?」
「エルサレムとテルアビブです。」
「エルサレムの何所?!」
え~、エルサレムはエルサレムで、エルサレムの何所と言われも分からんのです…。ここで、イノセントの子犬ちゃんは、おびえた瞳でモジモジ、モジモジ。
「何所に滞在するの?」
「○○ホテルです。(鉄則。イスラエルに友人がいるとかいうと余計話がややこしくなるので、黙っておく。)」
「そのホテルは何所にあるの?」
え~、どこかにあるんじゃないの?ホテルに泊まる予定ないから、そんなの知らないよ。ここで、イノセントの子犬ちゃんは、不安に震える手でガイドブックを開き、テキトウなホテルと住所を指差してみました。どうせ嫌がらせの質問なので、どのホテルでも、住所が何所でも、相手は気にしないのです。テキトウです。
「どうして、パキスタンやイランのビザが貼ってあるの?」
「なぜなら、インドからトルコへ旅をしようとすると、その両国は避けて通れなかったからです。」
「何をしに行ったの?」
パレスチナ問題解決に向けて、テロ組織と接触していましたの。などと言ってはいけない!!
「・・・旅行です。やむをえず、通過しました。」
「あなたのじいちゃんの名前は?」
じっ、じーちゃんの名前?
「ミドルネームは?」
じいちゃんにミドルネールがあるわけないじゃろ!

約20分間の質問が終わり、日本の住所、実家の電話番号、携帯の番号、メールアドレスを紙に書かされ、両親の名前を聞かれて、とりあえず質問の部は終了。最後も弱々しい子犬ちゃんの、下手くそな英語で、ノースタンププリーズ~を忘れずに。
そして、パスポートを持ってふてぶてしくオフィスへ入っていったお姉さん。ここから、放置プレイスタート!
最長で8時間の放置を食らったという旅人もかつていたくらいなので、ここは私も張り切ってストップウォッチをスイッチオン!今日は何時間待たされるのかしら…と。

ベンチに座って、パスポートが戻ってくるのをひたすら待つ。待つ待つ待つ。この放置時間、何もすることがないのでイミグレの様子をじっくり観察させてもらいました。
そこで気づいたのは、イミグレで仕事をする女性職員たちの怖ろしく女離れしてしまった態度です。はい、そうです。イスラエルは男女伴に徴兵義務があり、18から21くらいの女の子も皆軍隊に入って銃を撃ち、そして彼女達の役目の一つに国内の警備、すなわちイミグレでのお仕事が含まれるそうなのです。
窓口もセキュリティーも、ほとんどが若い軍服の女の子達。だけど彼女達の態度はまさに男。軍服の着方、歩き方、悪態のつきかた、とにかく柄が悪く、もう女ではないですね。
軍隊卒業後、その鬱憤を晴らすかのようにイスラエルの若者は海外へ旅行へ出かけ、各地で問題を起こしまくっているのですが、うんうん、彼女達の態度を見ていたら納得がいきます。軍隊は女の子達をこんなにも破壊的に、また男っぽく、そして意地悪にしてしまうのだな~と。
最後には、顔面に唾でも吐かれるのではないかというぐらいの扱いでした。

けれどイノセントの子犬ちゃんは、ただただスタンプを恐れ、どんなにいやな事を言われても、おびえた瞳を忘れず我慢。そして、ありがたくなくても「サンキュー」を連呼し、睨みつけられても困惑気味に笑顔・・・。
そして待つこと1時間12分、パスポートが戻ってきました。
「スタンプ、パスポートに押すの?」と最後まで厭味たっぷりに聞かれ…。
「プリーズ、ノー~~~。」
そして、別紙にスタンプを押してもらって、ついに解放してもらえました。はぁ~、パキスタン、イラン、シリア、のビザつきパスポートで1時間12分の放置なら上出来です!

セキュリティーチェック、バスの乗り換えも含めて、イミグレがなければ3時間かからない距離にあるテルアビブまで、8時間、つまり6時にアンマンを出て、テルアビブに着いたのは14時でした。

■凝縮と緊張と圧迫

さて、まずは友人宅のあるテルアビブから。地中海に面したビーチに並ぶ高層ビル、高級ホテル、ショッピングストリートに、コーヒーショップにバーにレストラン。もちろん物価はバカみたいに高いけれど、久しぶりにパーッと散財して友人と遊ぶことに決めました。
友人宅から徒歩五分の夜のビーチをさらさらっと歩き、深夜までにぎわう美しい街をうろついて、夜中の3時に帰宅。翌朝はオープンテラスで、「イスラエルブレックファスト!」これがもう絶品でねぇ。数々のサラダにオムレツに絞りたてのオレンジジュース、そしてフィニッシュがカプチーノ。
はぁ、バックパッカーの旅にあまりにもふさわしくない優雅な時間でした~。一年ぶりに味わうカプチーノは格別でした~。

翌日は、友人と一緒にエルサレムへ。聖地エルサレムは想像を遥かに超えたすごいところでした。何がすごいかと言うと、異なる宗教の中枢が小さく狭いエルサレムの一角に集中しているところが。
門をくぐった城壁の中に、ユダヤ教、キリスト教、アルメニア正教(正教だったかなんだったか忘れました)、イスラム教、それからギリシャ正教なんかもあったと思いますが、それらの聖地(教会やモスク)が隣り合わせになっているのです。
そして城壁の外にも、ロシア正教、エチオピア正教、などの教会もあって、とにかく宗教だらけ。キリスト教もイスラム教も、もとはユダヤ教から派生していたたものらしいのですが、それにしても聖地がこんなお隣さんで、教会の中で賛美歌を聴いてドアを開けて外へ出るとイスラム教のアザーンが聞こえてくるなんて凄すぎます。

これだけ聖地が密集すると、もちろん宗教間摩擦も起こります。友人(薬剤師さん)は、以前エルサレムの大学に通っていたらしいのですが、その頃はテロが頻発して毎日爆音を聴いてストレスを溜め込んでいたと話していました。とにかく毎日が緊迫状態。
パレスチナ自治区との間の防御壁が出来たおかげで、4年くらい前から安全面がかなり改善されてきたのだ・・と。この壁と言うのは、パレスチナ自治区に大きく食い込む形でイスラエル側が作った問題の防御壁のことです。
どちらの側も大変なのです。

そして、城壁の外の住民区は、それぞれの宗教ごとにエリアが別れていて、特に正統派ユダヤ教徒の住むエリアというのがまた凄いのです。
彼らは正統派ユダヤ教徒として、信仰深く、伝統を残した生活をしているため、彼らの住民区のそばを通る際は緊張でした。男性は黒ずくめで、もみ上げというか耳の横の髪を長く伸ばしてカールし、黒い帽子のユダヤ人スタイル。
子供達の服装や髪型も数世紀さかのぼったような感じのもので、女性は長袖長ズボンに、既婚者の場合はニット帽などで髪を隠す。などなど。そのエリアへ近づくと、友人が用意しておいてくれたロングスカートに衣装チェンジ。友人もカーデガンで肌を隠し、完全にタイムスリップした住民区をそそくさと通過。中のほうまで入っていく勇気はなく、エリアの隅っこだけでしたが、何とも異様な雰囲気でした。

友人の話によると、正統派ユダヤ教徒の彼らは、信仰浅きイスラエルの一般市民を軽蔑しているので、間違ったドレスコードで彼らの居住区に足を踏み入れると、生ゴミを投げつけられたりするらしい。そしてエリア内に掲げられた旗には、「今日まで聖地を守ってこられたのは誰のおかげであるかを知れ!」と書かれているらしい。
どういうことかと言うと、世界中に散らばったユダヤ人が帰する国イスラエルの聖地エルサレムを、ずっとその土地で守り抜いてきた正統派ユダヤ教徒への恩を忘れるな、と言っているわけです。彼らがいなければ今のイスラエルはなかったのだから、ということですね。

子供達は全員神学校に通い、ユダヤ教についてのみ学び、伝統を守って終世を宗教の勉強に費やし、テレビもなく、さらに驚くことに、イスラエルで一般的に使われているヘブライ語を神聖なる言語と考える彼らは、宗教儀式や聖書を読むとき以外はヘブライ語を使わずに、イエディシュというポーランド語とドイツ語を混ぜたような言語にて日常会話を成立させている。ものすごい徹底振りです。
こんな彼らと一般のユダヤ人(イスラエル市民)との間の溝も深く、エルサレムはさらに複雑な社会構造と宗教関係にあるうようです。

正統派ユダヤ教徒にとっては勉強が仕事なので、彼らの生活と勉強を支えるのは税金になります。しかも、男は勉強、女は子育て、男女とも徴兵免除で早婚なため、人口がどんどん増えており、それを支えるのもまた税金。
神学以外、例えば算数や英語も一切学ぶことはないため、普通の社会で仕事をして生きていくというのは無理らしい。
私が、正統派ユダヤ教徒のことを、英語で「オーソドックス、ジュウ」と呼ぶと、友人や湯友人の友達に、「ドス」か「ペンギン」でいいわよ。と言われました。
「ペンギン?」
「黒ずくめのコート姿、ペンギンに似てるから、私達はペンギンと呼んでいる。」と。
はぃ。税金を食い荒らすペンギン達が、よく思われていないことは理解できました。

パレスチナ問題や、アラブ系人口の増加や、テロの脅威に加え、数限りない難しさ、複雑さがイスラエルにはあるのです。

旅先で破壊的になり、問題も多いイスラエル人ですが、友人が話すには、国内はいつも緊張状態で、徴兵もあり、つねにテロの恐怖と隣り合わせの国で生きていると、かなりのストレスが溜るので、ストレス発散も兼ねて多くのイスラエル人が国外旅行へ出かけるのだ・・・と。
(ただし、彼女は、素行の悪いほかのイスラエル人旅行者にもうんざりしている様子でした。彼女自身、イスラエル人の集まる旅先は避けているらしい。)
エルサレムへ行ってみて、彼女の話す「緊張とストレス」は実感できました。世界には極端な場所があるのだな~と、新鮮に驚きました。

■深い歴史と深い溝

エルサレムの夜は、友人のお友達で現在ヘブライ大学で薬剤の勉強をされている方のところへ泊めてもらいました。新設でエレベータ付きの豪華な男子寮にお邪魔です。
夜は、キャンパス内のバーにみんな(お友達5人)で飲みに行きました。そこで彼らに、彼ら自身のユダヤ人としてのアイデンティティーに対する考え方やイスラエルという国について少し聞いてみました。

あるお友達は、アルゼンチン出身のユダヤ人で、家族はアルゼンチンにいるけれど彼自身はイスラエルへの移住を決めて、イスラエル人として生きていくことを選びました。
国土も小さく、テロの脅威にさらされ続ける運命のイスラエルへ、わざわざ単身で移住した理由について訊ねると、彼は説明するのは難しいけれど・・・と言いつつ例を挙げてくれました。
「例えば、南米には昔日本から移住してきた日系人がいるわけだけれど、彼らの二世、三世の代になって、自分のアイデンティティーを見つめなおしたときに、自分はブラジル人やアルゼンチン人ではなく、やはり日本人なのではないかと考えて日本へ戻っていくのと同じ。イスラエルが建国されるまでは、ユダヤ人の国はなかったから帰る場所がなかったけれど、今はそれがあるから僕は自分の民族の住む国へ帰ってきたのだと思っている。」
「ヘブライ語はどこで勉強したの?」
「アルゼンチンのユダヤ人学校へ通っていたから問題はなかった。例えば在外日本人が子供を日本人学校に入れて日本語を忘れないようにするのと同じだよ。」

更に話をしていて感じたことは、イスラエル人の中には、世界で受けてきたユダヤ人への差別に対する反感のようなものが根強く残っているのだということです。
ヨーロッパをはじめ、ユダヤ人は歴史の中でさまざまな迫害を受けてきて、その結果、現在のイスラエルが作られた。つまり、ユダヤ人のユダヤ人によるユダヤ人のための国家を作らない限り、自分達が安らげる場所はないのだという考えですね。
バーを埋め尽くしたユダヤ人学生達に混ざって、ヘブライ語の生バンドを聴きながら、「これが彼らの欲しかった自由なのかな~」と思いました。

旅先で出会うイスラエル人の態度や、イミグレの意地悪、そしてパレスチナ問題を考えると、イスラエルは中東に混乱を招いただけの悪玉菌のような印象になってしまいますが、彼らにもそれなりの事情や歴史や考えがあるのだと考えさせられました。
簡単に解決できる問題ではなく、溝はとても深いと思いました。ヨルダンにてパレスチナ難民の資料などを読んでいたときには、イスラエル側にたって物事を考えることすら鬱陶しくなっていたのですが、やはり自分で国を訪れ、友人やお友達のイスラエル人の厚い友情と親切に触れて、また少し物の見方が変化してきました。
貴重な経験です。イスラエル人の友人と行動を伴にしていたために、パレスチナ自治区へ行くことは出来ませんでした。見ておきたかったという思いもありますが、事情により行けなかったというのもまた一つの経験なのかな・・・と。

そんな訳で、特に結論があるわけではないですが、イスラエルへの短い旅についてレポートしてみました。凝縮の3日間でした。
あっ、そうそう、イスラエルには国民健康保険があります。所得税
40%くらいも払ってるんだから当たり前だ、と友人は話していました。とはいえ、予算の多くは防衛軍事費に費やされているわけですが。

それではまた。ごきげんよう。

安希

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2件のコメント

  1. SECRET: 1
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    来月、イスラエルに行く者です。入国、出国の厳しさは聞いていたのですが、具体的に様子がわかる文章で、とても参考になりました。また、一般市民の感情とかも、よくわかりました。ほかのブログも、みんなこうであればいいのですが。自慢大会でなく、冷静な分析、具体的なデータを教えていただき、感謝しています。

  2. 安希さんが、完全なアラブ寄りの考えに染められていないのが、救いです。一般の日本人にはアラブ・イスラムはもとより、ユダヤの考えについては、まったく知識がないので、何の判断もできない状態です。世界の文明の基礎になっている旧約聖書もわからずに本当は何も理解できないのです。安希さんにも、わかってほしいですが、ユダヤ人と言いながら、そのへんのところが理解できない人もたくさんいるのです。私は、若いころアラブの立場で仕事をしたことがありますが、今は、イスラエル人と仕事をしています。人生論と仕事は関係ありませんが、実際は、繋がっているのです。

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