64.旅人の憂鬱(アンマン)
イラク人質事件の資料を、安宿で手にして思うのは・・・。

皆さん、おはようございます。安希@実はもうヨルダンを抜けてイエメンに入ってしまいましたが、短いヨルダン滞在の中で印象に残ったことを少しだけ書いておきたいと思います。

ところで、イスタンブールで受け取りに失敗した救援物資をヨルダンで受け取ることが出来ました!!
今度は大使館宛てではなくて、中央郵便局留めで送ってもらったら、何も問題なく受け取れました。しかも、札幌一番塩ラーメンが2パックも入っているではありませんの!よ~っしゃ!
最近では、クッキングセットなるものを持ち歩いて旅をしているので、電熱コイルで容器に湯を沸かし、ホテルの部屋でラーメンを作って早速食べました。2つともすぐに食べてしまいました。

札幌一番塩ラーメンは、世界一である。間違いはない。インスタントラーメンはこの広い世界において多品種生産されているが、この麺の固さ、さらにはスープの繊細な味加減を実現できるラーメンは、世界広しと言えども、日本をおいて他にはない!と思うのであります。
ああ、次に塩ラーメンを食べられるのはいつのことであろうか?半年後であろうか・・・、はたまた一年後であろうか・・・。
ちなみに、同封されていたレモングミなどという高級食品は、もはやそれが美味であるのかどうかすら理解できぬほど、深く研究され巧妙に作り上げられた高度文明を象徴する作品、いやいや食品であったがゆえに、惜しみ惜しみ食しておった結果、残り半分ほどがバックパックの中で潰れペシャンコグミになってしまったほど、であった。
少し悲しいのであった。うんぬん。

ヨルダンの今までのイメージは、砂漠地帯にロバが走っているような感じでしたが、実際にはかなり発展していて、クレジットカードでのキャッシングや支払いも結構スムーズ。
空港も小さいけれど小奇麗で、ネパールやミャンマーの、ただの古びたビルのような空港に比べたら、格段に近代化された立派な空港でしたよ。

■難民問題

ヨルダンではぺトラ遺跡に次いで有名なのが、パレスチナ難民ではないかと思います。イスラエルとの中東戦争に敗れ、土地を失ったパレスチナ人の多くが大量に流れてきた土地がヨルダンです。
現在、この国の人口の70%がパレスチナ人だということは、もうここはヨルダンじゃなくて、パレスチナなんじゃないの?と言いたくなるくらいですね。
とくに首都アンマンの場合、役人と一部の高所得層を除いて住民のほとんどがパレスチナ人なのだそうです。現在2世や3世になったパレスチナ難民の子孫も多く暮らしているわけですが、多数派であっても彼らの地位はまだまだ低く、現在も紛争の絶えないパレスチナ自治区へ戻りたいと願う人は多いようです。
特に、家族、親戚がバラバラになっている人たちは帰郷や再会への強い思いを持っていて、けれどもイスラエル側との政治情勢が改善されていないので、簡単には戻れない。

アンマン在住のパレスチナ人で、イスラエル側の自治区に残る叔母に会いに行きたいのだけれど、それが果たせないという方にお会いしました。
叔母の子供、つまりその人の従兄弟のうち、2人はイスラエル兵によって殺され、さらに残りの2人が現在投獄中にあるため、叔母のほうに、帰郷訪問者の親戚を受け入れるだけの力がないので、叔母を頼って自治区を訪れる夢はかないそうにないのだそうです。

難民問題というのは、土地を追われた人が新しい土地を見つけ生活を確保できればそれで解決というものではないのだなと思いました。
以前のレポートでベトナム、ラオスなどのインドシナ難民について考えたときは、彼らの場合は、とりあえずアメリカやカナダ、オーストラリアに逃げることが出来ればめでたしめでたし、という感じがありましたが、パレスチナ難民の場合は、ヨルダンやその他の周辺国へ逃れた後も、パレスチナの領土をめぐる戦いが続いているのだと思います。 
パレスチナ難民や、それからパキスタン北西部に沢山いたアフガン難民もそうですが、彼らにとっての移住は、戦火を逃れる一時的な避難であって、新天地への定住ではないのかもしれませんね。

ところで、ヨルダンにはパレスチナ問題以外にも、難民問題があります。それは現在進行中のイラク難民です。はい、そうです、戦争が起こるたびに難民が発生し、隣国を巻き込んだ民族摩擦が少なからず起きてしまうのです。
ヨルダンはイラクとも国境を接していて、イラクの戦況が悪化するにつれて、イラクからの難民も増えてきているらしいのですが、すでにパレスチナ難民を多くかかえるヨルダンは、イラクからの更なる難民受け入れには消極的なのだそうです。

実は、アンマンからイエメンへ来る途中、UAEでフライトを乗り継いでいるときに、イラク移民(難民)の方に出会いました。彼は現在UKに住んでいて、お兄さん二人がUAEへ移住、お姉さん家族がイエメンへ移住したので、UAEでお兄さんに再会後、イエメンのお姉さんに会いに来たのだということでした、
すっかり仲良くなって、昨日までイエメンのお姉さん宅にお泊りさせてもらって分かったのですが、現在のイラクは本当に人が住める場所ではなくなってしまったらしい。
彼自身も友人や親戚を自分の腕の中で何人も失っているそうで、家族はみんなイラクを愛しているけれど、イラクに留まったら命が危ないので、それぞれ移住を決めた、つまり難民ですね。
彼らは教養もあり、財力もある家庭なので(お姉さんもバリバリのキャリアウーマン)移住は出来たけれど、まだイラク国内に親戚が数人残っていて、彼らを助け出すことに躍起になっている様子でした。
移住用の申請用紙の書類なんかが束になっておいてありましたから。

けれど現状はなかなか厳しくて、イラクパスポート保持者の受け入れをしてくれる国はもうほとんどないのだそうです。
ヨルダンが貧しかったころ、イラク(故フセイン大統領)は、同じアラブの国を救うために、ヨルダンへ原油を無料や半額で提供し、サポートし続けていた、にも関わらず、今回のイラク難民の問題では、ヨルダンの対応はあまりにも冷たく、イラクを拒絶する傾向にあるらしい。
ヨルダン側としては、イスラエルとの和平協定にも合意して、西側からも企業や補助金が入ってきて潤ってきているところで、イラクなんかに来て欲しくないのかもしれないですね。
もう一つの隣国シリアへの移住は、ヨルダンほどの差別を受けるものではないが、シリア側にも受け入れの限度があり、またシリアとイラクの国交関係は歴史が浅いので、頼りにはならない。らしい。
そして意外にも、故フセイン大統領に敬意を払い、イラク難民を積極的に受け入れている最後の救いが、アラビア半島最南端の鎖国的国、イエメンなのだそうです。
ただし、イエメンも当然ながら受け入れには限度があるので、知り合ったご家族の親戚はイエメンへ避難することも難しいだろう・・・と、そして彼らはイラクで生き残れる保障はない。・・・厳しい現状ですね。

というわけで、ちょっと話が飛躍しましたが、ヨルダン以降、紛争と難民問題ばかりが話題に上って、悲しくも中東問題を考えさせられることになりました。

■旅人という犯罪

さて、ヨルダンもう一つのトピックは数年前に起きたイラクでの人質事件とフリーカメラマン射殺事件について、ちょっとだけ。
アンマンで私が泊まっていた宿は、かつてイラクで射殺された旅人がイラクへ向けてバスに乗った最後の宿です。そのことで有名になってしまった宿に私は3泊して、事件当時からの様々な情報や書類や、またイラク情勢に関する雑誌などを手にすることとなりました。

人質事件の詳細はまあ置いておくとして、ここへ来て一番強く感じたことは「国外へ出ている日本人のなんとも言えない暗さ」のようなものですね。
イラクで人質事件が頻発したころから、海外へ出る人間の「自己責任」「身の程知らず」「自分勝手」「日本のお荷物」そして「反日分子」などという言葉まで飛び出して、日本の世間様にすっかり拒絶されてしまった悲しき旅人やボランティアの存在です。
中東まで来るとさすがに、長期旅行者や旅行常習者の率が上がってくるのですが、そこに漂うなんともいえない暗さ、というか後ろめたさ、というか肩身の狭さはなんなのだろうか。

同じ旅人から、「俺達は日本のお荷物なんだよ。仕事もせず税金も払わずふらふら世界を歩いてさぁ、迷惑かけてると思うよ。」なんて言われるてしまうような暗さは、他の欧米人旅行者の中にはないですね。
長期で旅をして、特に第3世界を中心に周っていると言うと、欧米人はこぞって興味を示し、何かしらの敬意を持って応援してくれたり、同じ旅行者として健闘をたたえあったりするところがあるのですが・・・。

人質事件で救出された人達が激しいバッシングを受け、また亡くなられた旅人の遺族が世間からの冷笑を買った国、日本。
かつて東京にいた頃、職場の同僚が人質事件のことを「バカだよ。」と笑いあう姿を目の当たりにして、強い違和感と、自分自身が再び日本を離れる日がそう遠くはないだろうと直感したことを、アンマンに残された様々な書物を読みながら思い出しました。
そして、日本から遥か離れたアラビア半島に来てなお、日本で感じた閉塞感のようなものを引きずっている現状にやはり違和感を感じますね。
外の世界を見ることは、そんなにも日本にとって迷惑なのかしら・・・と。

戦火にあって、現状と真実を追いかけて亡くなられたフリーカメラマン、それから、危険と知りながら、それでもやはりイラクへ踏み込んでいったボランティアや旅人達。
彼らを「反日分子」と呼び「自己責任」を突きつけた世間とメディアを前に、背筋が凍る思いをした時点で、私自身もまた反日分子予備軍への道を歩き始めてきたのかもしれませんね。はぁ、まあしょうがないですなぁ。
危険を冒すことは目的ではなく、本当は、だた少し真実に近づきたいという極めて自然な欲求なのですが・・・。

旅をすること自体は、怖くも痛くも何ともないのですが、もしも運が悪く自分の身に何かが起きて、日本の家族に「反日分子輩出の罪」がかかったら・・と考えると怖ろしいです。
一番怖ろしいのは、結局のところ、日本の世間とお上なのだな~と、アンマンにてつくづく思い知らされました。

ところで、UAEで知り合ったイラク難民のご家族と、この後も一緒に食事をしたり観光に出かける予定です。私が「なす」が好きだと話したら、なすを使ったイラク料理を作ってくれることになり、明日の夕方にはホテルに電話がかかってくる予定。イラク料理はインド料理とトルコ料理の中間的な味なのだそうで、楽しみです!!
そこでもし、万が一の不運、つまり日本に居て自然災害に巻き込まれるのと同じくらいの確率で、旅道中の私の身に何かが起きてしまったら、日本の家族には絶対に「世間様様の助けや許しを請うことなく」堂々と「イラク難民の方の手作りのなす料理を食べて死ねたのなら、あれは本望です。なすが大好物でしたから。」と爽やかに笑い飛ばしてもらいたいですね。
っとまあ、私はジャーナリストでもないし、そこそこ小心者なので、近づく先は爆音ではなく、太鼓や笛の音だけなんですけど・・・ね。

以上、アンマンレポートでした。

それではまだまだ自分勝手に、世間様にご迷惑をおかけしながら、元気に旅を続けていきたいと思います。ごきげんよう!

安希

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3件のコメント

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    安希さん、初めまして。私も荷物を在イスタンブール日本領事館に送り、同じように返送されました。やはり預かってくれても良いのに思いましたが、テロ対策とあれば仕方ないのかも知れません。それで、安希さんと同じように再度アンマンで荷物を受け取りたいと思っているのですが、アンマンの郵便局留めの方法(住所の書き方とか)ご存じでしたら教えて頂けませんでしょうか?それと、電気製品などは開封され、関税をかけられると聞いたのですが、安希さんの場合は大丈夫でしたか?私は、デジカメを送ってもらおうと思っているのですが。

  2. なんと切なくなんと苦しくまた悲しい日々が続いているのでしょうか。貴女が旅した頃のかの地の人々の笑顔や思いはあの頃よりもさらにさらに深い恐怖と悲しみに打ちひしがれている。そしてそれは徐々に増幅されていっている。うーんつらい。つら過ぎるね。けど何かをいうと誰かが自分のいいようにそれを利用する。だから「今は私は何も言わないでいる。」ことに決めています。卑怯と言われようとなんと言われようとじっと黙っている。自分の一言で状況を悪化させることが100%ないとは言えないから。つらいけどね。

  3. とても心が苦しい。この記事のような、渡航者の自己責任論は私の周囲に多い。私は何も言い返せなかった。亡くなられた方のご冥福を祈ります。

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