59.素顔の前で(フーマン)
名前も知らない憧れの街へ、地図も持たずにいざ出陣。大丈夫です、なんたってここはイランですから。

どうもこんにちは。安希です。イランレポート第2回目は主にローカル体験記です。
たった7日間という短いイラン旅行でしたが、毎日常に触れていたものがありました。それは人々の親切さです。
今日は、極めて個人的な視点ではあるけれど、私の目に映ったイランについて書いてみようと思います。どうぞよろしく。

■助けの手

イランはとても大きな国です。広大な土地に大きな都市。長距離バスと列車がとても発達し、それらを乗り継いでの都市間の長距離移動と、歩くにはちょっと遠い距離の市内移動の繰り返しでした。
にもかかわらず、私は市内バスに1回乗っただけで、タクシーを使うことも全くないままイランの7日間が終了したのです。あら不思議。
なぜなら、バックパックを担いで道を歩いていると、または場所が分からず駅でぼんやりしていると、またとりあえず周りの人に目的地について訊ねると、必ず助けの手が差し出されたからです。
例えば、タダで車に乗せてホテルまで送り届けてくれたり、駅まで乗せてくれたり、バイクでバスターミナルや旅行会社へ連れて行ってくれたり、と町の人の親切さにそのまま乗っかっているだけで全ての問題が解決できる。
地図を片手に場所を探し回ることが日課の旅人にとって、イランはなんともスムーズで楽チンな国でした。な~んにもしなくても、一番いいところに物事が落ち着いていく。

他人の乗り物に簡単に乗り込むというのは、ある意味ではとても危険で、普段だったらもう少し警戒するところですが、イラン人の親切というのは、他の国のそれとはまた少し違っていて、押し付けがましさが無く、常識的で紳士的。
それは、助けてくれた人たちが、他国にいるようないわゆるツーリスト慣れした(例えば英語と日本語がぺらぺらのいかにも怪しい)人たちではなく、イランというかなり近代化された国で普通に仕事をし、生活を営み、ある一定以上の生活水準とモラルのあるまっとうな生活基盤をもった普通の市民だったからだと思います。

「ホテルの場所が分からない」と雑貨屋のおじさんに聞いてみれば、おじさんは親切にもホテルへ電話をかけて位地を確認し、一緒に歩いてホテルの前まで送り届けてくれる。
「教えてもらったバスに乗ってみたけれど、お金の払い方も、どこで降りるのかも分からない」と隣のおばちゃんに話してみたら、回数券を一枚くれて、私のホテルの最寄バス停で「ここで降りるのよ」と笑顔で教えてくれる。
「旅行会社がどこにあるのか分からない」と街のビジネスマンに聞けば、大手旅行会社を教えてくれて、そこまでは距離があるからと、近くにいたバイクに乗った別のおじさんに声をかけて「私を無事旅行会社へ送り届け、目的地までのバスか列車のチケットを確実に押さえられるように」手配してくれる。
「タクシーは高いから・・・」と3キロ離れた駅までトボトボと歩いていると、無料で駅まで送り届けてくれたお兄さんが、夜行列車で食べる用にと「バナナ、りんご、オレンジ」を買ってきて手渡してくれて、最後はちょっとしたお土産までもらってしまい、彼は私の列車が出るまでプラットフォームで見送ってくれました。なんという親切だ~!
皆さんあまりにも親切なので、本来なら下心があるのではないかと疑ってしまうところですが、問題は全くなかったです。ここまでの旅で色々な種類の人を観察してきましたが、イラン人は極めて「怪しさや卑しさ」がないという印象です。

地元の人たちと毎日かなり多くの接触があったにもかかわらず、金銭トラブルやセクハラのようなことが一切なかった国はイランだけかもしれません。
彼らの話の内容も知的で節度あるものに限られ、他の国で必ず数回は(インドでは1000回くらい)話題に上がる「結婚は?彼氏は?セックスは?」に関わる話はゼロで、清々しい日々を送ることが出来ました!GOOD!

■マスベ?を探せ

さて、人々が親切なおかげで、とにかく旅がスムーズなイラン。テヘランで「夫」と別れた後、私は従来の自分の旅スタイル「現地の生活に密着した旅」に戻るべく、小さな田舎町、マスベを目指して一人早朝のバスに乗り込みました。
マスベというのは、昨年バンコクで偶然出会った旅人が教えてくれた「面白いから是非行ってみると良い街」です。
けれど、私は地図もガイドブックも持っておらず、場所の手がかりは私のメモ帳に走り書きされた3つの単語だけ。「ラシュト」「マスベ」「面白い街」それだけ。
従来なら少しぐらい下調べをしてから旅立つところですが、なんといってもここはイラン。とりあえずバスに乗り込み、「マスベへ行きたい」と呟けば、周りの人が知恵を貸してくれるだろう、という不思議な自信がありました。
従って、何の緊張感もなく、行き先も行き方も良く分からないけれど、とりあえずはラシュト行きのバスに乗ってみることにしました。

ランチタイムにバスが停まり、トイレへ行って出てくると、バスの運転手と添乗員のおじさん達が手招きをして、こっちのテーブルで一緒にご飯食べよう!と誘ってくれているらしい。
貧乏でラッキーな旅人安希は、BBQチキンとバターライスと飲み物とヨーグルトをご馳走になり、そのテーブルの席で「マスベ」という街の話を切り出しました。
おじさん達は、「マスベ」という地名にしばらく混乱し、それは「マスベ」ではなく、「マスレ」なのではないかと・・・。
「マスレ・・・?」
う~ん、私にもよく分からない。では私が行こうとしているのは「マスレ」なのだろうか・・・。

まあいいか、どうにかなるでしょう。と、ランチを終えてバスに乗り込み、今度は隣の女の子に話しかけてみました。
「ねえねえ、私、マスレかマスベか知らないけどへ行ってみたいんだけど、そんな感じの名前の街はあるかしら?」
「マスベは知らないけど、マスレと言う街はあるよ。」
「あっ、やっぱりマスレなんだ~。そうかぁ、それでマスレって何所にあるの?」
「ラシュトから1~2時間タクシーで行ったところ。」
「1~2時間!タクシー!!うぇ~、それ、もしかしたら私の探してる場所じゃないかも。ラシュトからそんなに離れてるなんておかしいよ。マスレって面白い街なの?」
「Yes」
う~ん、もしかしたら彼女は何にでもYesと言っているだけかもしれないし、マスレがそんな僻地にあるなんてどう考えてもおかしいし…。じゃあちょっと意地悪テストをして。。。
「じゃあ、ラシュトは面白い街?」
「・・・あんまり面白くない・・・。」
おお!どうやら彼女はラシュトもマスレも知っていて、やっぱり「マスレ」を面白い街だといっているようだ。

けれど彼女の英語力はあまり高くないので、私は話に聞いていた街を絵に描いて確認することにしました。
「あのねえ、私はマスレと言う街へ行ったこともなければ、写真をみたこともなくて、ただ人に話をきいただけなんだけど、その人の話を基に街を想像して、憧れを抱いてきたのね。それでそのイメージを絵にするとこんな感じなんだけど、私の絵からマスレに繋がるインスピレーションは得られるかしら?」
彼女は私の下手クソな想像画を見ると、嬉しそうに大きく頷き、「マスレ!!」と叫びました!
おお~!どうやらマスレこそ本当に私が探していた街らしい。だけど、ラシュトからタクシーに2時間も乗ったら破産して、3日間は飲まず食わずになってしまう。
困ったねぇ・・・。けれどここはイラン。トラックか何かをヒッチハイクすれば、案外簡単にの乗せて行ってくれるかもしれない。そこでヒッチハイク作戦を練ることにしました。

しかし、しばらくすると隣の女の子から申し出がありまして、彼女の実家がちょうどラシュトとマスレの中間のフーマンというところにあり、ラシュトまでお父さんが車で迎えに来ることになっているので、とりあえず彼女と一緒にフーマンまで行けば、タクシーの距離は半分稼げるのではないか、と。
はい!ここはイラン。とりあえずボケ~ッとしていれば誰かが助けてくれる国。そこであまり深く考えず、彼女の善意を受けさせていただいて、フーマンへ行ってみることにしました。

ラシュトへ着くと、お父さんと、英語堪能でめちゃくちゃハンサムなお兄さんが車で迎えに来てくださり、そしてフーマンへ向かう車の中で会話が盛り上がったついでに、「まずは家でお茶でも飲んで休憩して行ってください。そのあとマスレ行きのタクシーかバスを一緒に探しましょう。」と誘っていただきまて・・・。
はい!現地に密着した旅イランバージョンです!イラン北部、カスピ海近くの町フーマンのご家庭におじゃまでございます。

■キャビアオムレツ!!

フーマンのお家に着くと、今度はめちゃくちゃ美人のお母さんに歓迎していただいて、現在は寝たきりで闘病中の妹さんにもお会いしました。そのままお茶ばかりでなく食事をご馳走になり、さらに話は弾み、すると、お兄さん(メカニカルエンジニア)とバスの女の子(大学生)の二人が、食事を終えたら、お兄さんの運転で、3人でマスレまで行こう!と。
私は嬉しいけれど、そこまでお付き合いいただくのも申し訳ないので、タクシーで行くと言ったのだけれど、今度は美人のお母さんが言うのです、「3人でマスレへ行ってゆっくりと見学し、帰ってきたら、今夜はお母さんの手料理を食べてゆっくり休み、明日の朝次の町へ行けばいい。是非そうしてください。」と。
従来の予定では、マスレへ行った後、そのままや夜行バスを3本乗り継いでトルコ国境付近の町まで行く予定だったので、一晩ゆっくり休ませてもらえるなら、と~っても助かる。そして私はいつも腹ペコでお母さんの手料理がたっ食べたい!!食べたい!

従って、マスレも含めた周辺の観光に連れて行ってもらい、ママの手料理(チキンのつくね揚げのようなもの、いため野菜、サラダ、ヨーグルト、ご飯、パン、BBQ)を食べまくって、心地よい布団で爆睡(というか疲れていたのでほぼ仮死状態。朝8時まで一度も目覚めることなく)、そして翌朝には、
お母さんの手作りブラックベリージャム、ローズジャム(バラの花びらで作るジャム)、天然蜂蜜、ヨーグルト、チーズ、とメロンにバナナにオレンジに、とゴージャスな朝ごはん。
さらに、私のバスのスケジュールを朝から調べてくれていたお兄さんに、夜8時のバスで行けば乗り継ぎ無しで国境の町までいけると教えていただき、お父さんのお名前でチケットの予約も完了。
後は、一日をご家族との時間を楽しんで、夜にバス停へ送り届けてもらうだけ!ああ~、イランの旅は楽チンなのだ!

ますます張り切ったお母さんは、カスピ海産の魚料理に加え、なっなんと名物の「キャビア」でオムレツを作り始めましたぞ~!
お兄ちゃんと女の子は、私をバザールや展示会に連れ出してくれて、充実の一日を過ごし、いよいよ夕方お別れの時間が来ると、お家には前夜から挨拶に来てくださったご近所さんが勢ぞろいしてお見送りしてくれました。
そして、時間がなくてバタバタだった私のために、お母さんは「自家製ケバブ(イラン名物のBBQ)」をわざわざ家のキッチンで簡易炭のようなものを燃やして作り、それをパンと一緒にタッパウエアにつめて、夜行バスでの夜食に持たせてくださったのです。
お父さん、お兄ちゃん、女の子の3人にはバス停までお見送りしてもらって、「家に来てくれてありがとう」と言われ、私は感動してしまってお礼のスピーチもうまくできず、ママのケバブを抱きしめてバスに乗り込みました。

とても紳士的で(押し付けがましさがない)、すごい心遣いをしてくださる、笑顔の絶えないご家族でした。
妹さんが2歳の時から19年間寝たきりという状態で、苦労もあるはずなのに(たぶん脳性マヒとかだと思います。話すこともできません。)、ご家族の皆さんはただただ元気に明るく、特にお母さんの優しさと人を安心させて楽しませる極上のキャラクターには多くのことを学びましたね。すごいご家族でした。(ついでに、お母さんよ、どうしてあなたはそんなに美人で、その上に若さを保っていられるのだい?秘訣を教えてください!!)

■素顔の前で

さて、フーマンでお世話になったご家族については、その素晴らしさを言葉で表現することは出来ません。
とても真面目で親切だけど、冗談や異なる価値観をとても素直に受け入れているという点が興味深く、また感銘も受けました。
私がイラン入国のために偽装結婚したことも、イスラム教を大袈裟に大絶賛してビザを手に入れたことも全部話しましたが、みんな大笑をしただけで、「今度は、正しい夫と一緒に、または一人で自由に、無宗教であることを堂々と宣言して一ヶ月のビザを取り、そしてご家族のお宅に一週間は滞在して、カスピ海周辺の美しい自然を見に行こう!」と誘っていただきました。

とくにお兄さんとはイランのことや世界のことを沢山話しましたが、彼のオープンでマイルドな考え方に驚き、これまでメディアを通じて知らされてきたイランのイメージとのギャップにいささか混乱してしまいました。
お兄さんは、イランにも宗教的な人や過激な人も少しはいるけれど、大多数は経済の発展と平和で自由で、あまり宗教的束縛のない社会構成を望む普通の市民だと話されていました。(ちなみに、彼の奥さんはキャリアウーマンで、休みの日には夫婦揃ってマウンテンバイクでアウトドアを満喫しているらしい。その時のビデをを見せてもらったら、奥さんはスカーフの上からヘルメットを被っていました!)

けれどイラン政府はイランの誤ったイメージを世界に流してきた・・・、とも。
「イランはイラクじゃないし、過激なイスラム国家でもないのだけれど、イラン政府と世界のメディアのほとんどが、イランとイラクを混同し、その上でイランをイスラム圏国家の主軸、つまり対欧米と言う観点では悪の根源のような扱いをしてきたのは、内部から見ていると奇妙なものだ。」と。
うんうん。不思議。イランは極めて穏やかだし、宗教的生活が色濃いわけでもないし、とても近代的だし、聖地マシュハドの一番重要なモスクに入る際に「あなたの宗教は?」と聞かれ、正直に無宗教ですといってみたら、「正直に話してくださってありがとう」と言われて、親切なガイドさんがモスク内を丁寧に案内してくださいました。
すごいギャップです。なんなのでしょうかコレは。

お兄さんは正直に冷静に「国際社会におけるイランのイメージが悪いのは、欧米諸国の責任だけではなくて、イラン政府の外交態度や国の宣伝の仕方にも大いに問題がある。そしてその政府の愚かさを少しずつ変えていくことは、僕達国民の責任だと思う。」とも。
私は、今まで抱いてきたイランに対する漠然とダークなイメージを正直に彼らに話し、そして彼らに出会ってそのイメージとのギャップに驚いているとも伝えました。
「イラン人、親切で、すごい美しい国なのにね。」と。
するとすかさずお兄さんは、
「そんなことはない。アキ、君ももっと注意しなくちゃダメだよ。僕はもしかしたらイランの悪魔か詐欺師かテロリストかもしれないよ。容易に他人の車に乗ったりしてはいけないよ。危ない危ない!」と言って笑いました。
「そういうあなた達も気をつけたほうがいいよね。私のほうこそ詐欺師かか泥棒かもしれないのに、簡単に旅行者を車に乗せて、家に招き入れてはいけないよ。危ない危ない!」と応戦してみましたよ。
我々の会話は終始そんな調子でした。
緊張感ゼロ。終始リラックスして、オープンな会話を楽しめる。それが私が見たイランの素顔でした。美しい素顔です。

イラン・イスラム革命から約30年。イスラム原理主義を基盤とした政治体制も時代の流れと伴に変化を求められているはずです。
ただ、過激派と大衆との距離が拡大すると、それも危険な気がしますが・・・。いづれにせよ、これはイラン国内の問題。静観したいと思いました。

たった7日間で何が分かる?と言われればそれまでですが、百聞は一見にしかず。私がこれから信じていくイランとは、私が見たままのイランです。
それは核開発に血眼になり、非イスラム排除に走り、過激で、アメリカの宿敵、のイランではなく、美人のお母さんがキャビアオムレツを作ってくれて、冗談を言いながら夜遅くまでキャーキャー騒ぎながら、みんなでお茶(チャイ)を楽しめるイランです。
イランのハートに心から感謝。そして、いつかビザ代がもう少し安くなったら、またフーマンのご家族を訪れ、こんどは長期滞在したいと願っています。

以上、イランからでした。
皆さんは是非、キャビアオムレツの夢でも見てください!(貧乏バックパッカーの唯一の自慢話でした。)

それではまた、ごきげんよう。

安希

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