58.女はつらいよ(マシュハド~テヘラン)
イランへ入国するために、偽装結婚してしまいました。はぁ。

皆様、おはようございます。安希レポ、イランバージョン第1回は、「女はつらいよ」でいってみたいと思います。どうぞよろしく。

思い返せば一年前、日本を出発する直前にフォーラムのスタッフから個人的にいただいたメールがあり、その中で
「世界の中での女性の扱われ方や女性の社会とのかかわりについてもレポートしてください。」
とのリクエストがありました。そこで今回はズバリ「イランにおける女性の地位と時代の変化」についてのお話。というか要は、女性トラベラーとしてイランビザを申請した際の苦労話です。

シーア派が大多数を占めるイランは戒律が厳しく、女性は黒いチャドルと呼ばれる布で全身を覆うことが義務付けられ、またイスラム教国家の中では極めてビザの取得が困難で、特に男性を同伴していない女性トラベラーのビザ取得はほぼ絶望的。とのウワサを耳にして大警戒だったイラン。
更に現在は、お隣イラクが戦乱状況にあり、またイランにもアメリカがやってくるとか来ないとか、政治面の風向きも変わりやすいことから、「イランビザをいつ、どこで、どうやって手に入れるか」は悩みの種でした。

情報1:ネパールで出会った女性トラベラーからメールがあり、彼女はインドのデリーにて、男性同伴でなかったにも関わらず1ヶ月のツーリストビザが取れた。ただし、銀行への振込みやら(確か血液検査もあったんだっけ?)など、何かと面倒だった。
情報2:デリーの日本大使館で出会ったカップルは、どういうわけかビザ申請に必要なレターがもらえず、申請すらできずあえなくギブアップ。
情報3:パキスタンのイスラマバード、ペシャワールで3月中旬から4月半ばにかけて申請した人は軒並みアウト。イギリス人旅行者かジャーナリストが問題を起こしたとかなんとかで、男も女も一切だめ。
情報4:ペシャワールにて発給再開。男性のトラベラーの間では、血液検査と面接を通れば、結構普通に取れるようになったらしい。
情報5:ペシャワールで申請をした韓国人のカップルは、英語が下手だったために、面接の途中で却下。なかなか手ごわい。
情報6:ウズベキスタンのタシケントで取るのが一番良い。ただし、大使館へはイスラム教のスカーフを巻いて、男性同伴で行くこと。夫同伴ならなお良い。

私は情報6のケースに賭けて、タシケントで申請する計画を立てました。そこで申請に必要なものを少しずつ揃えていかなければいけなかったのですが、スカーフや写真やドルはまあいいとしても、夫ってどうやって揃えればいいのかしら?
ここからが実に、幸運でもあり面倒でもあったビザ申請への道が始まったわけです。
まずラッキーだったのは、パキスタンでのビザ申請を諦めた日本人の男の子にたまたま出会い、二人とも同じ方向、つまりタシケントへ向かうことになったという点ですね。
普段だったら特定の人と長く行動を伴にすることはないのだけれど、う~ん、タシケントでは「男」が必要になるので近くまで一緒に来てしまったのなら、イランビザ申請にも同伴してもらうしかない。別に誘拐しているわけではない。女性に対する厳しい規制に対する正当防衛にすぎない。うんぬん。
相手の男の子(実年齢は一つしか違わないけれど)も、中央アジアでの度重なるビザ申請などを考えると面倒くさくなったのか、「俺、アキちゃんについて行っちゃおうかな~」という軽いノリでして…。そんなんだったら、ということでお互い着かず離れずタシケントまで一緒に行くことになったわけです。

さて、タシケントに到着し、イランビザ申請を二日後に控えた日の昼下がり、我々は日本大使館を探して歩いておりました。朝から何も食べていない上に日差しが強烈で、さらに地図がよく分からないし、周りにはロシア語しか話さない人ばかり。
この最悪の状況を無言で歩いている途中、わたしくの方から切り出させていただきましたの。
「あのさあ、イランビザの申請の際だけど、たぶん○○くんの名前を夫の欄に書いたほうがいいと思うんだけど、いいかなあ。その必要があるかどうかはわからないけど、たぶん夫婦にしておいたほうがいい気がするから…。」
「…ああ、いーんじゃないの?」
つまり、もしもの場合に備えて結婚を申し込んだわけです。すると彼は私に聞きました。
「妻って、英語で何て言うんだっけ。」
「あっ、妻?ワイフ。ワイフって言うの。」
「ふ~ん、オーケー…。」
今までにも恋愛ドラマ、結婚映画、いろいろ観てまいりましたが、こんなに色あせたプロポーズは観たことも聞いたこともございません!
わたしくの申し出を受けてくださった夫に感謝いたします。どうもありがとう。

結婚二日後、バザールで購入した紺のスカーフを頭に巻いてイラン大使館を訪れると、普段から持ち合わせている普通の証明写真ではダメで、「スカーフを被った状態の写真」3枚の提出を求められました。
そこでスカーフを被って写真屋さんに行き、再度大使館へ戻って申請手続き開始。
問題の、「夫の有無」や「同伴男性の有無」は本当に問われるのだろうか?と疑問を抱きつつも申請用紙を埋めていくと、結婚状況を書く欄にぶち当たりました。
そしてよく見ると、なんと「既婚者」の欄にすでに太い×印がプリントされている!つまりイランビザ申請においては、「未婚者」の選択肢なんて無いのでございます!
当然結婚していなくてはいけないし、はぃ…、確かに二日前にわたくしは既婚者となっておりましたので、一応問題はなく、そして最後の欄には「同伴者の名前とその人との関係」を書く欄がありましたので、夫には、「Husbandって書くよ。」とだけ耳打ちし、お名前を書かせていただきました。

申請六日後、ビザを受け取るため、我々は再び大使館を訪れ、ここで最後の面接となりました。
面接官は、6日前に我々が申請した用紙を見ながら、まるでクイズのように、「苗字は?名前は?」と英語で質問をしていきます。
がしかし、夫は英語が全然分からないので、「Your Surname?」と聞かれて間違って名前を答え、見るからに混乱状態。妻はイライラ。
「SurnameとGiven name の単語ぐらいはもういい加減覚えてよ!4回も一緒にビザ申請してその度に同じこと聞かれてきたんだから~!こんなんじゃ面接に落っこちっちゃうじゃない!」
と夫婦喧嘩を勃発させたかったけれど、ここで夫の機嫌を損ね「じゃ、別れる?」なんて言われたらおしまいなので、がまんがまん。

そこで妻は、夫には終始ご沈黙いただき、一人演説を始めることにしました。
夫の名前から、職業(彼は学生ということにしてあった。)、通っている大学の詳細から学部、学科についての説明まで、話をすべてでっち上げ、面接が沈黙しないようしゃべり続けました。
そして、イランの訪問目的を聞かれると、ここはお決まりの「イスラム教を大絶賛!」同じイスラム教のパキスタンからここに至るまでに感銘を受けた数々のイスラム文化への賛辞に始まり、イランこそイスラム鑑賞の旅におけるメインであること、またイスラム教に最大の敬意を示したい、がゆえにイラン訪問を夢に見てきた、うんぬん。と。
自分でも何を話したか覚えておりません。が、最後のほうは面接官の態度もどんどん良くなり、よしよし好感触!
そして待つこと1時間、念願のイランビザが下りました~!
7日間のトランジットビザ69ドルはお高いけれど、入国後に延長すれば良いみたいだし、何よりも、イラン政治の風向きがひょとして変わる前に、アメリカが馬鹿げた行動を起こす前に、どうしてもどうしてもイランに行きたかったのです。執念です。

中央アジアでのビザ取得4回が終了し、あとはウズベキスタン、トルクメニスタンを抜けてイランへ入国するのみとなりました。が、ここで夫婦間に問題が…。要は、行き先が違ってきたのです。夫は最短距離で行きたいが、妻はあちこち見て回りたい。
そこでお互いバラバラの方角へ向けて出発し、別々に旅をすることになりました。うんうん、それが一番良い!けれど私には問題が一つ残ります。
トルクメからイランに入国する際、夫の同伴がなかった場合、入国を拒否される可能性があったからです。けれど、ずっと憧れてきたホラズム文化や新しく開通した砂漠路線の旅を全て諦めて夫についていくことはどうしても出来ない!
そこで夫に切り出しました。
「お互い別々に旅をするのがベストだと思うけど、イラン入国のときは一緒に入ってもらえないかなぁ。女性一人で行くと入国出来ない可能性もあるから、だからここからそれぞれの旅をして、イラン入国の朝、トルクメのアシュガバードで待ち合わせしてくれない?」
「…別にいいんじゃない?どうせ同じ日にトルクメを出るわけだし。じゃあ、アシュガバードで。」
そしてしばらくしてから夫は言いました。
「もしも俺が来なかったら、もう先に行っちゃって。」

・・・と言われてもねえ、夫の方は一人で国境へ行っても入国できると思うし、仮に妻のことを聞かれても「捨ててきたから一人だ」と言ってしまえばそのまま入国できるでしょう。けれど私は・・・ううっ。
「○○くんのほうはそれでも問題ないと思うけど、私は入国無理かもね。だからもし会えなかったら、イラン諦めてアシュガバードからトルコへ飛ぶよ。アシュガバードで会えたら一番助かるけど…。」
この後は、夫が約束の場所に現れてくれることを祈りつつ、またもし彼が来なかった場合に入管でどんな言い訳をして入国するか、いろいろと考えました。そうです、面倒なのです。夫には何の罪もないけれど、私の責任でもないのです。つまり、女であるということはつらいのです。

約一週間別々に旅をし、トルクメのアシュガバードにて案外とあっさり会うことができました。夫に感謝です。けれど、彼は結局ビザ延長はせず、最短ルートでイランを抜けたいと言い出し、まあこればっかりは仕方ない。
彼には何の責任も無いので、何も言えず…。ああ、イランをもっともっと見たかったよ~、本当は。
とりあえず入国だけは一緒に果たしてもらい、その後はお互いさようなら。そしてビザの延長は諦めました。役所に行ってから夫のことなどをごちゃごちゃ聞かれて、それを説明して金を払い延長するのはもう面倒になってしまい、しかも一人で出向いていって逆に問題が起きたりすると困るので…。
そんな訳で、旅行スタイルの全く違う二人で旅をするのはかなりのストレスがあり、プラス、いつもの自分のペースである現地の生活に飛び込んでいくという機会からかなり遠ざかった旅となってしまいましたね。大変でした。

女性に男性同等の権利がない国のビザ取得によって、本当の窮屈さ、歯がゆさ、自力で問題を解決する権利のないつらさを身をもって体験しました。そして、結婚生活の鬱陶しさも~~!!
「夫よ、君はとても優しく素直な心を持った男の子だけれど、どうしていつも寝てばかりいるのだい?好奇心とか湧かないのかい?」と、関係ないとは言え、一緒にいるとついつい愚痴ってみたくなる妻初体験でした。ね?なかなかリアルな夫婦たいけんでしょ?

それでイラン入国後何を目にしたかと言うと、極めて普通の人たちです。確かに女性の多くはチャドルで身体を覆ったりしているけれど、それ以外は特に保守的だとは思いませんでした。
ラッシュアワーには、ちょっとお洒落なスカーフにハンドバッグ姿の女性が颯爽と職場へ向かう姿があり、オフィスで働く女性達も普通に堂々と、男性と同じかそれ以上にバリバリと仕事をこなしていました。
また、若い女の子達は、ジーンズに黒以外のジャケットなんかを羽織ってサングラスを掛け、ショッピングや食べ歩きを楽しみ、バスにも問題なく一人で乗っていましたね。
公共の場での女性の自立に関しては、保守的だったパキスタンと比べれば天と地ほど差があります。イランの女性は外でも堂々としています。(都市部と田舎ではかなりの格差があるのも事実ですので誤解のないように。)
夫と別居後の私の一人旅も、何の問題もなく、万事スムーズでした。ちょっと拍子抜けしたくらい。

そしてバスで一緒だった数人の女の子達も、とても気さくに話しかけてくれて、そのうちの一人は大学でPCエンジニアリングを専攻し、現在インターンシップのようなものをやっている途中だと話していました。大学を出たら就職です。
ちなみに彼女のお宅へお邪魔した私は、その帰り道、彼女の運転する車でバス停まで送り届けてもらいました。イランの女性はチャドルに隠れ家に篭って、男の管理下で生きていると思ったら大間違い。車を運転できますからね~。しかもマニュアルでガンガン飛ばします。

現地の方とお話をした感じでは、イラン内部の近代化、自由化はかなり進んできているけれど、なぜか政府レベルになるととても保守的な国として位置づけられてしまう。なぜだろうねぇ?と。
そして、女性に対する規制緩和、圧力排除、地位向上、社会進出、さらには全体としての宗教的戒律離れは、これからもどんどん進んでいくでしょう。と。
これは世界レベルで言えることだと思いますが、各国とも程度の差こそあれ、女性の地位向上は進んできているようです。パキスタンにおいてもその予兆を垣間見ることが出来き、また更に進んだイランを訪れたことで、進歩の過程を異なる段階から見ることが出来たように思います。
パキスタンの女性達が車を運転し、イランの女の子達が一人で自由に世界を飛び回る日もそう遠くはないかもしれません。

女性の地位向上や社会進出が単純に良いことかどうかと言う問題は、ひとそれぞれの価値観によると思いますが、私の観点から(体験から)すれば、ビザ取得にかかった規制は「つらく」、内部で目にした開放的な側面は「すがすがしい」ものでした。

以上、女はつらいよ~と愚痴をこぼして入国を果たした国イランは、実際には、女はつらくも何ともないよ~、の国でした。
皆さんは、どんな社会をお望みですか?

それではまた、ごきげんよう。

安希

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