51.キルギスへの長い道のり①(ススト~イルケシュタム)
パキスタンから中国へ。中国からキルギスへ、っと思ったら国境がなかなか開かないのです。

皆さん、こんにちは。お元気ですか?
安希@中国最西端、キルギスとの国境の町イルケシュタムで足踏み中です。
広陵とした乾いた大地の他は何もありません。トイレ、お風呂もありません。食料は少しあります。寒いです。

さて、4月中旬にはキルギスへ入国する予定でパキスタンへ入ったのが3月の下旬でした。
っが、パキスタン最北端から中国へ抜ける世界最高地国境「クンジャラブ峠」が聞けば雪のために閉鎖中で、毎年公式には5月1日以降しか開かないとのこと。
ということで、パキスタン北部の山にこもって、登山に出かけたり氷河を見に行ったりしながら時間をつぶしておりました。

いよいよ開境予定日が近づき、それに合わせてより国境に近い村へと北上して行ったのですが、パスーという小さな村にて、疲労と山の寒風にやられ、ついでに食糧難プラスお湯が手に入らず、夕飯の乾麺をお湯無しでボリボリ齧って横になったとたんに発熱。38.6度でございます。
困りました。もうすぐ国境も開くのにこんな所で熱が出るなんて~。ううっ。しかしここはパブロンで解熱し、とにかくパキスタン側国境の町スストまで行くことに決めました。
ススト…。国境もまだ開いていない時となれば、まあ何もない荒涼とした場所。と言うより他ないですね。
あばら宿は水も出ない状況で…。

スストでは翌日の越境に備えてひたすら睡眠。そしてパブロン。翌日には晴れて熱も下がり、国境もどうにか開いてパキスタンを無事に出国しました!やった~!
バスは山をぐんぐん登り、今度は中国側の税関、クンジャラブ峠へやってきました。はい、何もない雪山ですね。
4700mの国境。ここで再び発熱し、高山病にもちょっとやられてしまい、吐き気がしてきました。
高山病の対処法はただ一つ、高度を下げること。そこで目を閉じ、バスがはやく山を下ってくれることを祈りました。おえ~、気持ち悪い~。

バスは山を駆け下りて標高3100mの街、タシュクルガンに到着。この頃までには吐き気も治まり、熱も下がっていたので、越境の記念に久々のビールを飲んでみましたよぉ。
イスラム教の戒律厳しいパキスタンではお酒は禁止。そして白米から長い間遠ざかったいたため、中華料理を口にしたときはもう涙がでるほど感動しました!
白米です!お醤油です!なつかしいお味でございます!食べすぎてお腹が痛くなってしまいました~、が幸せでした。(胃痙攣?)

そして翌日、中国ウイグル自治区のカシュガルという街に到着。ご飯の美味しさと、たまたま知り合ったオーストラリア人とカナダ人の二人組みと意気投合したこともあって、発熱のこともすっかり忘れて深夜まで飲み会をしてしまいました。
深夜までとは言っても、中国という国は西の果てまで全て北京時間に合わせているので、ウイグル自治区では夜10時ぐらいまで明るいのです。
つまり経度の変わらないパキスタンとカシュガルの時間差が3時間。カシュガルの10時は同じ経度のパキスタンの7時ごろの明るさになるわけですね。
中国政府よ、どうして時差を作らないのかしら…。朝9時のバスに乗ろうとすると、通常の6時のバスに乗る気持ちで早起きしないといけないのです…。

さて、元気に飲みすぎた私は再び発熱(38.5度)して、翌日には中国とキルギスの国境の町(というか村?)イルケシュタムへ向かいました。
ここからは、パキスタンからなんとなく方向が一緒だった日本人の男の子と老人も一緒にキルギスを目指すことなり、三人の珍道中です。
パブロンで解熱し、ギュウギュウ詰めの乗り合いタクシーを乗り継ぎ、「ここはどこじゃ?タクラマカン砂漠?」みたいな砂の大地を突っ切って、ようやく街に到着しました。
ところがこの街、人っ子一人見当たらないのです。標高3500m。木が一本もなく、乾いた丘と周辺の雪山以外にな~んにもない。何ですのこれは?
寒風に加え、雨(雪?)まで降り出して…、う~ん、寒いのでございます。一緒に来たおじいちゃんは、もうどこか建物の影に隠れてしまいましたよぉ~。

イミグレーションらしき建物のゲートに張り付いて護衛の中国人に話しかけてみると、言葉が全く通じない。まあ、そうでしょうなぁ。
紙に漢字を書きあって事情を確認すると、「七号?」と書かれ、なんじゃこれは…。今はお昼休みか何かで誰もいないので七時ごろにまた来いってことかしら。
すると護衛のお兄ちゃんはどこかへいなくなってしまいました。あらまあ、困りましたわねえ。

寝袋でも取り出して門の前でスタンバイして7時を待とうかしら。。。と思っていると、護衛のお兄ちゃんが他の護衛をつれて、再び戻ってきて、どうやら英語は出来るかと聞いているらしい。はい、出来ます。
するとそこへ、人民軍が沢山トラックに乗ってやってきて、どうやらお兄ちゃんは英語が話せる人を探しに行ってくれたようなのです。頼んだよ、お兄ちゃん!
しばらくすると、お兄ちゃんは人民服の陳さんという人を連れて戻って来ました。陳さんは少し英語が話せます。よっしゃ!
そこで陳さんに、キルギスへ行きたいので出国のスタンプが必要なのだと告げました。

それで…、陳さんの説明によると…、「今は、中国のゴールデンウィーク中なので国境は閉鎖している。キルギス側もしまっています。国境が再開するのは3日後の5月7日です。」と。
「3日後!!!ですの?国境にお休みがあるのですの??こんな辺鄙な地で3日も足止めなんて…ショックでございます。」
陳さんに頼んで、どうにか特別に国境を通過させてはくれないかと聞いてみましたが、スタンプを押せる人がお休み中でここにはいないので無理ですねぇ…、と残念そうに言われてしまいました。

陳さんも護衛のお兄ちゃんも、みんな申し訳なさそうに事情を説明してくださり、寒いのでと言って、とりあえず職員室へ連れて行っていただいて、ついでに街の宿に電話をかけて宿泊の手配までしていただきました。親切な方々で…。どうも。
しばらくすると宿のおじさんが私達を迎えに来てくれて、宿は確保できました…、が。この街に三日間か~、というような何もないところで、とにかく夜が寒いのでございます。
お風呂がないのは仕方がないけれど、トイレもないというのはめずらしい。川沿いの崖から眼下を悠然と流れる泥水を見下ろしつつ、用を足すのでございます。
旅を始めてからいつも思うのですが、トイレ問題に関しては、男は楽でよいなぁ、と。私の場合は良さそうな場所を探して崖沿いをかなり歩いていかなければ用が足せません。
夜中のトイレはもう我慢するしかないですね、だって街灯もないし、崖から落っこちたりしても困るし…。

以上のような事情により、現在この辺鄙な国境の街におります。何もないので、散歩して、本を読んで、カップラーメンを食べて、レポートを書く日々です。まあ、こんな時はジタバタしてもダメなのでのんびりと構えて、夜空に浮ぶ満天の星に語りかけてみたいと思います。「ねぇ、そろそろ国境開けてみようよ…。」と言った風に。

そこで何もやることがない記念と、パキスタンを危険値ゼロのまま抜けてきた記念に、ちょっと書いておきたいテーマがあります。
話は二ヶ月前にさかのぼり、デリー(インド)の日本大使館へパキスタンビザ申請に必要な大使館レターをもらいに行ったところから始まります。
日本大使館の後味悪い対応は時々問題になっているようですが、はいはい、デリーの大使館でそのウワサの真相は身をもって実感できました。
とにかく大使館職員の態度がまずかったですね。

レポートが少し長くなりそうなのでここから先は「キルギスへの長い道のり②」にて。

それではまた、ごきげんよう。

安希

P.S 発熱がちょっとクセになってきました。寝込むほどではないけれど、38.5度くらいの熱が頻発ですね。とくに夜になるとリンパ節が痛くなって熱がでてきます。寝袋、布団、フリース、防寒着二枚重ねでも、ベッドに入ったあとしばらくは寒さで眠れないのです。床の下から冷えが来て身体の芯まで寒い。。。まさにそんな感じです。春よいづこ?

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