49.世界の中のポジション①(ギルギット)
I am from Japan!と言うのが快感の今日この頃。この快感、いつまで続くのかしら?

皆さん、こんにちは。
安希@パキスタン北部の山中、ギルギットからのレポートです。
ギルギット、フンザ、というこの一帯は宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」のモデルとなった場所らしいです。
うんうん、まさにアニメの世界にいるような気分。
独特の文化、風景、人々、など、旅人を魅了して止まない土地です。

さて、ギルギットへ向かう前、ペシャワールの更に西、アフガニスタン寄りの地域へ少しだけ行ってきました。
偶然知り合った元国連職員のパキスタン人と、アフガン近くの地域出身で警察官の友人と共に、もう一人のビジネスマンの方に車を運転してもらって、国境近くの名所カイバル峠へ行ってみようという話しになったわけです。
その地域での安全面を考慮した場合「地元人」という肩書きが一番効果的ということで、警察官のお友達は「俺が一緒なら問題ない!」と気合満々。我々はペシャワールを出発しました。
どこへ行っても平穏だったパキスタンの風景も、さすがにアフガンへ近づくにつれて物々しい雰囲気になりはじめ、いよいよ峠へ登っていくという地点まできて、ついに検問に捕まってしまいました。

元国連職員と警察官のお友達は、身分証明書を持って車を降り、検問所の職員としばらく交渉をしていたようですが、外人の私が同乗している以上、前もってペシャワール市内での登録と許可書の取得が必要で、特別護衛の同乗も義務付けられているとのこと。
熱血警官のお友達は、「どうして俺が付いているのにダメなんだ!」と残念そうにしておられましたが、峠までの道は閉ざされてしまいました。

さて、峠にはたどり着けなかった我々ですが、私はむしろ峠まで行く必要はないと感じていました。なぜなら検問付近の光景が、もう十分異様だったからです。
検問所周辺の砂にまみれた一帯に延々と広がるのは、今まさに引き上げの途中にあるアフガン難民と、彼らのテントや家具を屋根へ積んだ、何百台にも続くバスでした。
そして、しだいに数を減らしていった食料品店や生活用品店に代わって、道の両脇には武装用品店がズラリ。
住む家も、食料も、電気も、整備された道もなく、治安は最悪と言われるアフガニスタンへ今から帰っていく難民たち。出発前の彼らの最後のお買い物は、マシンガン?なのでしょうか?

冷戦時代にアメリカが大量に残して行った武器から学び、今では希望のスタイルに合わせて即日オーダーメードでマシンガンを手作り生産できるという武装用品店の数々。
手作りと聞いて、これまでの私は手作りケーキぐらいしか想像したことがなかったので、手作りマシンガン屋さんをいざ目の前にしてみると何ともいえない気分になりましたね。

近隣諸国との軍事バランス、また中近東の現在の混乱という点で、パキスタンにいる限り国際政治の話は日常会話の中にも頻発してきます。
特にアメリカがらみの話は避けられないトピックです。

冷戦時代から現在に至るまで、パキスタンの外交政策は一応親米ということになっていますが、民間レベルでは当然ながら嫌米(反米というより嫌米)。
どんな風にアメリカを嫌っているかというと、熱狂的にアメリカを非難して星条旗を燃やしたりしている人は一人もいなくて、むしろアメリカの暴れようを静観しつつ、アメリカ的やり方を自分達は決して受け入れはしませんよ、とじっくり構えている感じです。
そこで気になるのが、では「アメリカ的やり方」の愛弟子である「日本」に対する彼ら見解は?ということになります。
日本ってイスラム圏ではどう思われているのかしら…?

■評判は良い

結論から言うと日本の評判は良いです。ミャンマーと同じく日本の中古車、中古バスが大活躍していて、テクノロジーと経済の先進国である日本に対して敬意を持ってくれています。
「I am from Japan」と言うのが快感なくらい、皆さん大歓迎をしてくださいますね。
日本人は大好き、また中国人に対しても良い印象を持っているのだなということははっきりと判ります。

では、テクノロジー&経済の先進国の中でも、なぜ彼らは日本を好きでいてくれるのかと言うと、日本の民族性や宗教性による部分が大きいようです。
ふむふむ、そういわれてみると、日本は面白いポジションにいる国なのです。
日本と言う国は:
欧米=キリスト教圏に属しているわけでもなく、東洋=経済的に西洋ほど発展していない、にも当てはまらず、テクノロジーで最先端レベルにある=軍事力強=核兵器保有、でもない。
つまり、尊敬に値するすごい力を沢山持っているのに、マイルドな民族なので力を悪用したりしない。と思われているらしい。

大人しい日本と比較して、力と金の乱用という点では、アメリカやイギリスの外交政策、またそれらの国からの旅行者の性格や態度も現地では時折問題となっている模様です。
実は今朝、仲良くなった宿のお兄ちゃんに山登りに連れて行ってもらったのですが、その道中に彼はこんな話をしていました。
「以前、アメリカ人の旅行者をこの山へ連れてきたことがあるけれど、黒ガラスの高級車で山頂まで乗りつけ、食事の世話からスケジューリング、観光案内の全てにおいて本当に神経を使った。彼らは自分達の基準や趣向を徹底的に押し付けてくるので、食事が合わない、説明の英語が下手くそだ、歩くのは面倒だ、と文句ばかりで大変だった。僕らをガイドとしてではなく召使いとして見下した態度ばかりとる。」

また、
「もう一つ別のグループは、アメリカ人の教授の団体だったけれど(アメリカ人は基本的に旅行会社を通じた団体ツアーでやってくる)、僕に向かって、時には冗談で、時には本気で「お前はテロリストだ!」とののしるんだよ。」
「ウソー!!!(冗談でも言ってはいけません。差別用語です。)」
「彼らはガイドの僕に向かってお前はテロリストだと何度も言った。僕もだんだん腹が立ってきて言い返そうとしたけれど、先輩のガイドが、言い返してもムダだ我慢しろ、と僕をなだめたので言い争いには発展しなかった。僕をテロリスト呼ばわりするためにわざわざ彼らは僕らの土地へ乗込んで来たのか?何が楽しくてそんな事をするんだ。」
「ほんと、何が目的でわざわざパキスタンまでやってきたんだろうね。」
「彼らには本当の僕達の姿は見えないよ。そもそも見ようとすらしないけれどね。そういう態度のアメリカ人に対して地元の人間があまりよく思わないのは仕方がない。だから例えば別のアメリカ人のカップルがもう少し治安の安定しない街に滞在した時などは、反米感情を持つ地元の人が夜中に殺害に来ないか、僕は一睡もせずに見張りをやったことすらある。」などなど。

実はこの手の話は、パキスタンで初めて聞いたわけではなく、旅先ではちらほら耳にします。
「力と金を持ってきて地元人を見下す民族」というのが、4カ国ほどあってその名前はどこへ行っても繰り返し出てきますね。
アメリカとイギリスはもう名前が出ちゃいましたが、残り2カ国はちょっと意外だけれど、旅行者の中ではもう常識の「アメリカの同盟国」です。やれやれです。
もちろん、同じ国の出身者でも人それぞれなので、上に挙げた例はあくまでも一部の人たちの行動であって全員ではありません。統計的に見て、上記のような事例が多い国というだけです。

これは私自身にとっても驚きだったのですが、パキスタンのイスラム教の市民というのは、性質的に結構マイルドで、宗教的な影響もありモラルや人権に対する成熟した思考を持った人が多いので、
例えば「日本人の旅行者は、金銭交渉でもめたり、我々を見下したり、頭ごなしにテロリスト呼ばわりしたりする人はいない。いつも礼儀正しく地元の文化に溶け込もうとする」といった点が、彼らの評価の基準に好影響を与えているらしい。
うんうん、ホント、大切にしていただいて、こちらこそ嬉しいわぁ。そもそも金銭交渉でもめる必要がないです。
どこへ行っても、みなさんニコッと微笑んで、オマケしてくれたり、ちょっと割引きしてくれたり。細かいことにこだわらない。
ここイスラム圏へやって来て、日本の「もてなしの文化」「ちょっとした心遣い」に似たものに出会うとは思ってもいませんでした。

20世紀から続いているアメリカの武力と圧力の外交政策(世界中で戦争が続いていないと落ち着かない性質)は、金と力の乱用に加え、同じ人類としてのモラルの欠如としてパキスタン人の目には映っているのかもしれません。

そんなわけで、賢く勤勉で謙虚な日本の評価はGOOD!です。

■行為の重み

民族の評判は確かにGOODな日本ですが、国際政治の話になるとどうしても避けられないのが「イラクへの自衛隊派遣」の件ですね。
これまでは、イスラム圏でもキリスト圏でもなく、第二次世界大戦中の侵略戦争の罪をあがなうべく平和主義で動いてきた日本が、突然旗揚げしてイラクに牙を剥いてきた。何故?という話です。
「私達は多くの面において日本を尊敬し、また日本に好意を抱いてきた。けれど911以来の日本の動向には正直言って失望した。ショックだ。日本はいつの間にクリスチャンになったのだ?かつて日本に原爆を落としたアメリカを許せるのか?」と。

パキスタンへ来てから、この類の話は何度か耳にしてきましたが、ここで考えたいのが日本国内で捉えている世界観と日本の世界におけるポジションについてです。
イスラムでもキリストでもない日本の中立的な立場の重要性やその価値の高さというのは日本国内ではほとんど意識されていないことのように思います。
それと同時に、宗教や民族の多様性が世界の構造にもたらしている複雑さや影響力の大きさというものも、宗教色が薄く単一民族国家の日本国内では実感しずらいのではないでしょうか。

アフガニスタンへの報復からイラク派兵に続く中東問題に、軍事的介入をしてしまったことで、日本はこれまでの中立的な立場というアドバンテージを失ってしまいました。
なぜそうなったかと言うと、まず、日本に非宗教的中立国というアドバンテージがあることにあまり気づいていなかったので、あの時点ではアメリカの、厳密にはアメリカの共和党サイドから見た世界の基準になんとな~く同意し、ブッシュ政権と行動を共にしておけばまあいいんじゃないの?という軽い判断で中東に踏み込んでいってしまったように思います。

現在においても日米関係を中心に世界を捉えている限り、失ったアドバンテージの大きさはあまり感じられないと思いますが、実際の世界はアメリカだけで動いているわけではなく、ましてブッシュ政権だけでもありません。
911以来、例えば日本のメディアが「米大統領による一般教書演説だったかしら?の中でアメリカのお友達の国として日本が三番目?に名前を挙げてもらっただの、ブッシュが日本の首相の名前を噛んだだの、首相がブッシュに捧げた歌はエルビスの何だったかしら?」というところにカメラを向けている間に、日本は世界の中で大切なものを失っていっていたのかも知れません。

国内で「軽く」捉えられている一つ一つの決断と行為が世界にもたらすインパクトは私達が思うほど軽く単純ではなく、日本のポジションを長期的視野に立って考えた場合、ちょっとした軽はずみの行為は将来の日本に対し、ボディーブローのように効いてくるかもしれませんね。

さて具体的に「イラク派遣」の一件を挙げてみると、日本国内においては「復興支援と治安の改善」という名目の下、自衛隊のイラク派遣がなされました。
ふむふむ、確かに派遣理由としての「復興支援」は悪い感じはしないです。
けれど国外においては、イラク派遣は紛れもない「侵略」であり、
「アメリカの同盟国としての軍隊の派兵」として捉えられます。
中近東諸国はもちろん、アメリカ人でさえ「日本は中東地域の戦争に堂々と派兵した」と考えているはずです。
つまりズレているのです。

「派遣」と呼ぶのか、「派兵」と呼ぶのか、どれだけ国内で議論をし意味づけをしたところで、その行為が国外に与えるインパクトはコントロールできるものではなく、だからこそ国外からの視野に立った「行為の重み」を予め慎重に予測検討することが大切なのではないかと思います。
派遣が違憲か合憲か、自衛隊職員の安全性が確保できるかどうか、というのは国内の問題です。
本当の論点は「派兵が中近東にもたらす実用的な効果と影響、そしてその行為の結果、世界は未来の日本に何をもたらすのか?」というところだったのではないか、と今ここパキスタンで考えています。時すでに遅しですが…。

行為の重みと言う点では、911直後に愛国心に燃えて星条旗を振り回していた米大学の生徒たちに、リベラル派の何人かの先生が注意していた言葉を思い出します。
「星条旗を振り回す君たちの姿をアメリカ国外の人々が見たらどう思うかということを良く考えた上で慎重に行動しなさい。多面的な視野に立って、自分の行為を振り返りなさい。そして一つ一つの行為の重みをもう少し自覚し、責任ある行動をとりなさい。」と。

さて、話がややこしくなってきましたので、続きはまた今度。
地元のポロの試合でも見に行ってリフレッシュしてきます!
馬に乗った男達の潔いゲーム展開の魅力もさることながら、それを見守るハンチング帽姿のおじいちゃんの群集がかわいくてかわいくて。
ホント、愛嬌たっぷり、おとぎの国です!

それではまた、ごきげんよう。

安希

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