38.限られた世界①「生活」(ニャンウー)
現地生活にどっぷり浸って10日間。少年たちとのサッカー大会までは良かったのだけれど。。。

皆さま、こんにちは。お元気ですか?
日本は鳥インフルエンザ問題で大騒ぎ、というウワサを耳にしましたが大丈夫でしょうか?

ミャンマー入りして2週間以上になりますが、ミャンマーは少し風変わりな国です。
フレンドリーな楽しい国でもあり、その一方で、今までに経験したことが無かった類のアクシデントにも見舞われています。
現在、この原稿を北部の町マンダレーにて書いていますが、今もちょっとした精神的ショックを引きずっているので、今回のレポートは暗いかも…。
なーんて言いつつ、この変わり者の国の「限り」をテーマに3部構成でいってみましょう。どうぞよろしく。

第1部は、「生活」です。

ヤンゴンからの夜行バスで、ニャンウーという小さな町に着いた私は、昼ごろ立ち寄った小さな御茶屋さんで一人のビルマ人の女性に出会いました。
38歳で3人の子持ちの女性です。小さなみやげ物屋を営んでいるこの女性は、片言の英語でフレンドリーに話しかけてきました。
是非とも家に遊びに来て欲しい、という彼女の勧めもあって、お昼を食べ終えた私は彼女のお宅を訪問することになったわけです。
どうしてこんなにもフレンドリーなのだ?何か裏があるのかな?と警戒しつつ…。

彼女の家の周りには、近所の人や子供、親戚の人たちが沢山集まっていて、ビルマ語の勉強も兼ねて彼らと共に長い午後を過ごしました。
そして、夕方には川辺の砂浜で子供達とサッカー大会を開始。

無邪気な少年達15人くらいと一緒に、砂と泥の上を素足でボールを蹴って遊びました、と言うととても健康的ですが、おばちゃんの私はもう大変!
すぐに息は上がるし、ボールは間違った方向へ飛んでいくし、タイムアウトと言って自分だけ勝手に座ろうとすると「スタンドアップ!」と子供達に怒られるし、失点すると罰ゲームで腕立て伏せをさせられるし…。
はぁ、かなりハードでございました。子供達のエネルギーには勝てません。

夜は女性のお家で夕飯をご馳走になり、子供達には「明日朝9時からサッカーをするから絶対に遅刻するな」と念を押され、翌朝再びサッカー大会。夕方も再びサッカー大会。
夕飯は再びご馳走になり…というペースになったのです。

■現地の生活に密着

仲良くなった家族だし、子供達と遊ぶのは楽しいし、せっかくの機会なのでこの小さな町に少し長く滞在して現地の生活にどっぷり浸ることに決めました。
朝起きてまず、行きつけのお茶屋さんで朝ごはん。
昼は行きつけのご飯屋さんで昼ごはん、夕方は子供達と夕日を見ながら遊び、女性の家庭で夕飯を食べるという生活。

毎日夕飯を食べに行くのは気が引けるので、一度は断ったのですが、女性は「どうしても食べていって欲しい」と言うのです。
私がご飯を食べに来るようになって以来、商売繁盛、ラッキナンバー(宝くじ)も当たって、とにかく縁起がよく、子供達もサッカーおばちゃんの出現を喜んでいるので…と。
それはどうもですが…、あの~、本当の話ですの?

さらに、女性の姉妹ともとても仲良くなりました。
女性は長女で、その下に4人の未婚の妹がいて、そのうち3人は毎日交代でテレフォンショップで働き、家にお金を入れながら女性と同じ家で生活しています。
4女さんとは歳も一つ違いだったので、とても仲良くなりました。

彼女達は、韓国ドラマにはまっており、夕飯を食べ終わると、近所の人も集まって、みんなで毎晩ドラマ鑑賞。
なんでもないようなラブシーンにも「お~」とか「わぁ~」とか一喜一憂しながら見入っておられました!
そして私も、ビルマ語の字幕が付いた韓国ドラマを夕食後に観ることが日課になってしまったのです。
まさに、本物のおばちゃんです!

■暇人?

小さな町に10日間も滞在する変な外人はあまりいません。従って、町の人々とすぐに顔見知りになりました。
皆さん、笑顔でとても気さくに声をかけてくれます。
マーケットやお茶屋さんでのお値段も、すぐにローカルプライスに下げてくれるようになり、ビルマ語、英語、日本語を器用に混ぜて、ちょっとした会話も成立するようになりました。
「そうねえ、イッツ ベリー セチレー(高い)ねぇ。お兄さん、ユーはチョーレー(かっこいい)だから、プライスダウン、イエス?どうもチスティマレー(ありがとう)。」みたいなノリです。
これで完全に通じます。

町を歩いていると、「ハローアキ」「ハローアキ」という声がどこかかしらから聞こえてくるのです。
サッカー少年達が広めてしまったニュー単語を、大人も子供も、通りにたむろする暇そうな人たちが連呼。
はぃ、どうも、ハローです。アキです。どうもです。

ご飯を食べにお家を訪れると、見物客もやってきます。そして何といってもミャンマーの男達は暇すぎると思いました。
というのも、毎日のように昼間から「お誘い」がやってくるのです。彼らはバイクに乗ってホテルにお迎えに来ます。
彼らは英語も下手くそだし、私はビルマ語が下手くそだし、コミュニケーションにならないのでとても面倒なのですねぇ。困りました。

すると、大学生のとある男性は、通訳兼案内役と称して、ついに彼の大学の先生までひき連れてやってきました。
2台のバイクには、二人の大学生と、町のおじさん(彼は何者?)と大学の先生が乗っており、私はそのうちの一台に乗せられて仏塔巡りに行くことになりました。
大学の先生もやはり英語は下手くそで、会話をするのは大変!というか、先生は平日の昼間からこんなことをしていてもよろしいんですの?
先生は暇ですの?大丈夫かしら…この人たち。

ミャンマーの人たちは、フレンドリーでいい人たちです。
でもちょっと、暇すぎかも。不思議な国です。

■プレゼント攻撃

ミャンマーの人々はプレゼントが大好きです。
伝統的に「まかない」の文化があるからだそうですが、もちろん下心あり(見返り期待)というプレゼントも多いです。
町を歩けば、「プレゼンーント!」「プレゼーント!」の嵐です。
「プレゼーント」するから「プレゼーント」してちょーだい、というミエミエのものもあります。

私がお世話になっていた家族は、3日目ごろからプレゼントにハマリ始めました。
特に長女の女性は、とにかくプレゼントしたがるのです。
履物、スカーフ、民族衣装、などをマーケットに買いに行き、プレゼント、プレゼント、と。
気持ちはありがたいけれど、どれもバックパッカーには必要ないし、荷物がかさばるので持っていくのは大変。
必死になって断り続けましたが、民族衣装とスカーフはもう買ってしまったからと言われ…、う~ん、荷物が増える…困りました。

とにかくこの女性は、私にお金を使わせず、何でも与えたがるのです。
「私はあなたが好きだから。あなたの嬉しそうな顔がみたいから。」と…。
途中からはお昼ご飯も毎日食べに来るようにと言われ、いくらなんでもそれは断りました。

ミャンマーの物価はとても安く、ご飯をどこで食べようが、毎日ちょっとした手土産を持参しようが、私には痛くもかゆくもなく、むしろその女性が物を買ってきて、彼女達の所得レベルから考えるとかなり高価なプレゼントの値段を説明するたびに、私は少しずつ憂鬱になってきたのです。

見返りをちょっとは期待していたのか、どうなのか、本当のところは謎のままです。
(子供達にサッカーボールとお菓子と果物はプレゼントしましたが…)
彼女達のプレゼント(物をあげる)好きというか、度を越した親切(まかないの精神)は、やはりちょっと普通ではなかったな~という印象ですね。

■アタッチメント

10日間の滞在も最後のほうに近づくにつれて、人と常に一緒にいることに疲れを感じるようになってきました。
そして8日目の夜、家庭訪問に疲れた私は自分で夕食を食べに出て、そのままホテルに隠れていたのです。
すると女性は、なんと自転車タクシーをわざわざハイヤーして、ホテルまで迎えに来てしまったのです。ああ…、もう逃れられない。

毎晩の夕飯も、みんなでワイワイ食べるのではなく、私が一人で食べる様子を女性がじーっと見守っていて、ちょっとお皿が空になると、すぐにご飯を盛りなおす…という感じ。
人に見つめられてご飯を食べるのは、やっぱりちょっと疲れますね。
料理も日に日に豪華さを増してエスカレートしていき、それもなんだか申し訳ないというか、その愛が食べきれないというか。

フィジカルコンタクトも強かったように思います。特に女性陣の…。
歩けば手を握られ、座れば肩を抱かれ、手や腕は何かにつけて撫で撫で…撫で撫で…、と。
最初の頃は大して気にも留めていなかったのですが、徐々に不快を感じるようになっていき、う~ん、困りました。
どうしてこんなにも密着してくるのだ~!

さらに、フィジカルなもの以上に、彼女達の私に対する精神的アタッチメントは、ここには書ききれないくらいに強いものがありました。
出発前夜、最後の夜に、女性は「またここへ戻ってくるか?」と私に聞きました。
明答はできず、「ミャンマーへ来るのはお金がかかるからねー、いい仕事が見つかったら戻ってくるよ。」と言って誤魔化しました。
すると、「本当に戻ってきてくれる?」
と女性は何度も念を押し、なんと激しく泣き出してしまったのです。
ひぇ~、困りました。

アタッチメントが強すぎて…。

■最後のりんご

あの10日間は、本来美しい体験として私の心に残っていくはずでした。
ミャンマーの素晴らしく親切な一面に触れた体験だったのですから当然です。
けれども、私は結局、逃げるようにあの町を去り(翌朝に女性が再びバス停に見送りに来て泣き出さないかとビクビクして前夜は眠れず)、あの体験を肯定的に思い返すことが未だに出来ずにいます。
ちょっと後遺症を引きずっていますね。ミャンマーの人たちの笑顔に、以前のように笑顔で返せていない自分がいます。

ミャンマーでの体験は他の国でのものとは少し違っています。
最終日に泣き出してしまった女性の境遇を考えたとき、今更ながらですが、彼女にとっては選択の余地の無い「本当に最後」の夜だったのかしれない、と気が付きました。
この国の政治状況、半鎖国状態、そして経済力を考えると、私がミャンマーを再訪する以外、我々が再会することは不可能だからです。
ある日、偶然にもバックパッカーがやってこない限り、彼女達が「外の世界」と出会うことはないのですね。
そういう特殊な環境で起こった一連の出来事だったのだと思い返しています。

あの町を離れる前夜、最後に女性はりんごを剥いてくれました。りんごはミャンマーでは比較的高級品です。
私は夕飯を食べ過ぎて本当にお腹が一杯だったこともあり、たった一かけのりんごを、最後まで口にすることが出来ませんでした。
けれど、何度も勧められた最後のりんごを必死になって拒み続けた理由は、満腹だけではなかったと思います。
もう、あれ以上のアタッチメントと「ミャンマーのプレゼント」を自分の中に受け付けることが出来なかったのだと思います。

気持ちを踏みにじって、申し訳なかったなと思いつつ…、けれども…、という気持ちも。

「ミャンマーは良い国か。ミャンマーが好きか?」と聞かれれば、答えは間違いなくイエスです。
「いつかまたミャンマーに戻ってくるか?」
子供達に会って、また一緒にサッカーをしたいという気持ちはとてもとても強いです。
本当に楽しい子供達で、彼らと過ごした時間はまさに奇跡の時間でした。
けれど、あの町にまた戻っていけるかどうか、今はまだ答えられません。

というわけで、今日は限られた世界の中での、ちょっと奇妙なお話でした。
次は、「健康」がテーマです。

それではまた、ごきげんよう。

安希

Be the first to like.


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。