36.置き去りの階層(プノンペン~シェムリアップ)
高級レストランの前にボロ着姿の子供が数人。この国の未来、そして21世紀の世界について。

おはようございます。
安希@アンコールワットで有名なシェムリアップからのレポートです。

ベトナムのホーチミンから、カンボジアの首都プノンペン、そしてシェムリアップへと長距離移動が続き、レポートの間隔があいてしまいました。
失礼いたしました。

カンボジア・・・=アンコールワットと旧ポルポト政権、頭にチェックのスカーフを巻き銃を担いだ男達。というのが今までのカンボジアのイメージでした。
つまり、治安があまり良くなく、発達の遅れた国という印象です。
ところが、首都プノンペンへ足を踏み入れると、そこにはヨーロッパ建築(フランス風)が立ち並び、ガラス張りの高級ブティックに、大型銀行、高級カフェにレストラン、アメリカのスーパーマーケットさながらの大型スーパーには外国製(日本食も含む)が完備されているのです。
これほど整った大型スーパーを見たのは、マレーシア以来2度目です。

そして、何よりも驚いたのが、街を走る車です。
ピカピカに磨かれたトヨタが圧倒的に多く、ミツビシ、レクサス(トヨタ高級車ブランド)、それにメルセデスまで走っていて、バイクはと言うと、ホンダが多いですね~。
ベトナムでは中国産のバイクが多く、ホンダは中国産の3倍くらいの値段なので金持ちでないと買えない、との話を耳にしました。

カンボジアってお金持ち?

また、アジア圏を旅してきた感想として、韓国製の車や中古車の割合が多く、ここカンボジアへ来て多くの「ピカピカのトヨタ」を発見してビックリです。
しかも、運転している人を観察すると、必ずしも大使館職員や駐在員らしき外人ではなく、お洒落なカンボジア人が運転しているようなのです。
さらに、家電製品、カメラ、機器類も、他の国は圧倒的にサムソンや中国製だったのに、ここにはソニー、東芝、フジフィルム、何だってありです。
今滞在中の「過去7ヶ月の旅で最も質の高いホテル」のテレビもソニーです。このソニーのテレビでは、CNNもBBCも、HBOの映画も、中国、韓国、タイの番組も、何だって見られるので、夜は久々のテレビに釘付けです。

カンボジアって先進国?

それでは、カンボジアは治安が良く、発達した豊かな国かというと、
もちろん答えはNOです。
ホテルや高級住宅には、頑丈な鉄格子が張り巡らされ、ホテルの前に停まったバスから降りる際には、数人の警備員にガードされます。
そして大通りを一本外れると、街灯がほとんどなく舗装が出来ていない小道にあばら家が並び、土ぼこりと一緒に、処理できないゴミが舞い上がりる状況です。

郊外を走るトラックの荷台や、馬や牛に引かれた荷車には、着古し汚れた服を身にまとった人々が山済みになって過ぎ去っていきます。
農村地帯には、泥水の中で魚とりをする子供達や、ちょっと小奇麗な飲食店の周りの鉄格子を握り締める痩せ細った子供達の姿もありました。

ヨーロッパ風のカフェテラスでバケーションを謳歌する外国人やカンボジア人の富裕層の人々の前で、服も着ていない子供や、足の無い、腕の無い、目の無い、または顔が焼け爛れた(内戦と地雷などの影響により)障害を持つ人々が、物乞いをしています。
カフェテラスの向かいの堤防に腰掛けて街の様子を眺めていると、多くの物乞い(大人も子供も)に声をかけられ、また物売りの子供達に囲まれることがありました。

特に「水のボトル」を徹底的にねだってくる姿は、ウランバートル(モンゴル)やラサ(チベット)の物乞い現象を思い出させますね。
現在一緒に旅をしているフランス人の女性が、飲みかけのペットボトルを幼児に手渡すと、同じく貧しそうな青年がすぐに横から現れて子供からペットボトルを取り上げ、水をがぶ飲みしていました。

つまり、カンボジアって、何者?

カンボジアの印象は、貧困層を置き去りのまま急速に発展中の国、つまり富裕層と貧困層の格差がもの凄く拡大していっている国、といった感じですね。
どの旅行者と話をしても、こんなに格差に開きがあり、またそれが大っぴらにされている国は、他にはあまりないのではないか、と。

■急速な発展と資本主義経済

急速な発展に伴う社会全体の混乱、モラルの低下(混乱)、ストリートチルドレンや物乞いの増加、という点において、モンゴルとチベットとカンボジアの現状は類似しているように感じます。

モンゴル=遊牧生活から都市定住型の生活へのシフト
チベット=中国政府による開拓
カンボジア=ポルポト政権が陥落し、内戦からの復興中

そしてこの3地域に共通するのは、急速な発展、資本主義経済の導入により、都市化と拝金主義が進み、波に乗る人と置き去りにされる人々との間の格差が拡大し、その中しわ寄せの一部として、都市で生き延びるために物乞いをする子供達が増えているのではないか、ということです。

もちろん、ある程度の都市化や資本主義経済が機能することによって、国家レベルのプロジェクトが成功し、発展していくことは良いことだと思います、
富裕層が先頭に立って国を引っ張り、全体的な経済の底上げが出来れば、それは成功的な発展と言えるはずです。
ただし、現在のカンボジアのケースを考えた場合、果たして5年、10年後に、物乞いや極貧困層が消滅しているかと考えると、もしかすると彼らは取り残されたまま、一部の富裕層だけが更に豊かな生活と発達した生活環境を手に入れるだけなのではないか、という懸念が生まれるわけですね。

競争の原理に基づく発展と、最低限の生活を保障し全体的な底上げを狙う国家プロジェクトの、双方のバランスが取れるかどうかが重要なのではないでしょうか。

■カンボジアの医療

ここで少しカンボジアの医療状況についてのお話です。
シェムリアップにて医療チャリティーのコンサートに偶然参加したというニュージーランド人から聴いた話です。
弾き語りのコンサートの中で紹介されたカンボジアの社会問題と医療状況はというと・・・

カンボジアは政治腐敗(汚職政治など)が根強く残っており、特に公的医療の現状は惨憺たるものなのだそうです。
公益保険(国民健康保険)が無いのはもちろん、政府主導の医療制度というものがほぼ存在しないに近い状況で、公営病院の数が極端に少ない。
また、たとえ公営病院であっても、患者は全治療費を自己負担する必要があるため、ごく一部の富裕層を除いては、公立であれ私立であれ、医療サービスを受けることは難しい。

もう一つの問題は、国民全体の所得レベルに対し、病院に導入されている医療機器が高額すぎるため、その機器を用いた「比較的レベルの高い高額医療サービス」の恩恵を受けられる人は一握りにすぎず、
「より日常的で難易度の低い医療サービスを必要とする残りの大多数」には医療の手が全く届かない。

現在のカンボジアには、A型肝炎、B型肝炎、HIV、マラリアなど(例を挙げればきりが無い)一般庶民を脅かす病気がたくさんあり、予防接種や定期的な診察などを低額で提供できる診療所が必要だけれど、現政治体制ではなかなか難しい。

というわけで、このチャリティーグループ(ワンマンショーらしいのですが)は世界中で演奏し、現状を訴えることで寄付金を募り、カンボジアで無料の病院を運営しているそうです。
一般庶民に医療サービスを提供する唯一の方法が、寄付金→無料の医療サービス というのが、カンボジアの現状なのだそうです。
う~ん、厳しい状況ですねぇ。

■世界の新たな区分

東南アジアを周って来ると、20世紀がいかに混乱の世紀であったかということが実感できます。
イデオロギーの混乱とそれをベースにした過激な政治的行為(例えば戦争や内戦など)が、日本も含めた世界中で猛威をふるった時代だったのだな~と。

注:ベトナム戦争関連の博物館も衝撃的でしたが、旧ポルポト政権の大量虐殺および収容所での拷問の記録は、ちょっと想像の域を超えておりました。
日本は20世紀前半に戦争から抜け出しましたが、東南アジアの混乱が終わったのはまだまだ最近のことなのですね。

そしてここで何を思うかと言うと、資本主義経済が圧勝した20世紀が終わり過激な政治行為がアジア圏内においては冷却傾向にあるなかで、では21世紀はどのような世紀になっていくのかな?という疑問です。

これまでの世界には、貧しい国と豊かな国がありました。
特に20世紀後半は、共産主義圏と資本主義圏の国の間に大きな経済的格差できた時代だったように思います。
そしてイデオロギーの二極分化の時代が終わり、21世紀は程度の差こそあれ、どの国も資本主義経済に傾きながら、都市化と国内格差の開きを拡大していくのではないかと。
つまり、特にアジア圏においては、貧しい国と豊かな国という区分から、これからは国に関係なく、富裕層と貧困層という区分(階級区分)がより進んでいく気がしますね。
どうでしょうか?

ほどんどの国が急速な発展を遂げ、「置き去りの国家」が数を減らす一方で、「置き去りの階層」がどの程度生まれてくるのか?という疑問です。

■21世紀の日本というモデル

さて、東アジアの旅も残すところあとミャンマーのみとなりまして、
とりあえずここまでのアジア旅行において、「日本って憧れの国なのね~」と改めて実感いたしました。
日本の経済力や物作りの技術に対する羨望の眼差しでございます。
ふっふっ、なんだか自分まで急にエラくなってきたみたい。どうだ、すごいだろ~。日本だぜ~。
注:日本の経済成長とわたくしは全く関係ございませんが…。

つまり、良かれ悪しかれ、アジアの国々にとって、日本は一歩先を行くモデルなわけです。
そこで21世紀、アジアの先進国日本が、どのようなモデルを築いていけばよいのか、というお話です。

イデオロギーの二極分化が終わり、日本を含む資本主義経済国家も、現在過渡期にあるように思います。
公営か?民営か?また、競争か?社会保障か?など。
公営事業の民営化や、例えば医療の産業化などがもたらすメリットと、それによって生まれる格差というデメリットをいかに調整していくかが注目の時代ですね。

20世紀という極端な時代が終わり、21世紀はちょっと地味だけれど、共産主義と資本主義の双方が持つメリットを融合させながら、細かい分析と調整を繰り返していく時代なのではないでしょうか?

弱く甘い部分をバンバン切り捨てて、競争と消費者優先の原理で、相変わらずお金儲けもやっておきながら、
置き去り階層への、医療、教育、生活保障というセーフティーネット、そして格差の固定を防止する再チャレンジできるシステムを併せ持つバランスの取れた社会を模索していければ、引き続き21世紀も「日本はアジアの憧れ!」となるかもしれません。

そして私は「アイ アム フロム ザッパーンッ!」とエラそうぶりながら、勘違い旅行を続けていけるというものです。
どうぞよろしく。

それにしても、地味な時代というのは、ある意味でとても難しく、時に息苦しく、骨の折れる作業が続く時代のような気がします。
根気よく・・・です。

次はミャンマーから。ごきげんよう。

安希

Be the first to like.


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。