33.身体からのシグナル(パクセ)
VS 強力なバクテリア?!ラオス南部から、今年最後の戦いです!

おはようございます。
旅を始めて半年、2006年も残すところあと2日となりました。
今年最後のレポートのトピックは、ズバリ「旅の健康」。
メインは、「下痢」について…、です。
この半年間を総括して、「下痢」にまさるテーマはないですからね。(^^;)

さて、単刀直入に申し上げますと、腸が壊れました。
タイのチェンマイ滞在の最後の方からすでにおかしかったのですが、あれから3週間近く経った今も「おかしい」のです。
おそらく、暑さのために数回口にしてしまったレストランの水か、フルーツシェークの氷にバクテリアが潜んでいたものと思われます。
腹痛もなければ、特に体調不良でもなく、ただトイレに行けば一目瞭然の結果が出る…、という状態。

というわけで今日は、この3週間に身の回りで発せられた
「身体からのシグナル」をラオス体験記にのせてお伝えしたいと思います。

■長距離移動と食物摂取

「長距離移動の前(移動中)はとりわけ食べ物に気をつける。」
というのは以前のレポート「ボヘミアンマイルドネス医療編」でも書きましたが、チェンマイからランプラバンまでの3泊4日の大移動の間は、かなり食べ物を控えました。
辛いものや消化に悪いものを断つのはもちろん、食事量そのものを減らし、実際には水分も減らす。
水分を摂取しないことが体に良くないというのは分かるのですが、胃腸がマトモに活動していない移動中は、もう何も体に入れない…くらいでないと道中で苦しむことになります。

従って、食べ物をほとんど摂らずに梅干をたまに食べる…、の作戦が功を奏して、移動中の乗り物内で緊急トイレへ走ることもなく、唯一の危機は船を下りてから宿を探し歩いている間に脂汗が出始めて、周辺のゲストハウスのトイレへ駆け込んだ事件一回だけでした。

■食生活の変化と環境の変化

タイからラオスへ入り、まず気温の変化が大幅にありました。ラオス北部は朝夕はかなり冷え込みます。
そして、食べ物がかなり肉食(BBQ)&欧米風(サンドウィッチ)になり、衛生状態はおそらく少し悪化したはずです。
この頃「下痢」が続いていましたが、なんだかそういう状態にも慣れてしまってあまり深刻になれず、まわりには久々にサンドウィッチやら炉端グリルのチキンやら川魚が登場し、ついつい食べてしまいました…。

今になって考えると、サンドウィッチを食べるたびに摂取していた生野菜と屋台密集地域の雑踏の中に数時間放置されていたチキンにかぶりついたのは、ちょっと注意が足りなかったな…と。
反省です。
従って、ランプラバン滞在中は「かなり下痢状態」でしたがほとんど気に留めることもなく、正露丸を一回だけ飲んでみたけれど何の変化もないままに、初のラオス生活を普通に楽しんでしまいました。
「不調のシグナル」がでていたにも関わらず…。

■心の病

ラオスはまだまだ未発展の国のため、バックパッカーの行動範囲(ルート)もそれほど複雑化しておらず、従って、一緒に国境を渡り、船に乗ってやってきたトラベラーたちと行く先々の小さな町中で何度も再会するのが普通です。
また、相部屋(ドミトリー)の宿が少ないので、シングルで部屋を取るよりは、誰かと一緒にダブルをとったほうが安い。
ルートも同じなら一緒に旅をしましょうか~、という感覚でラオス入りしてからはずっと誰かと一緒に旅をしています。

そこで、船の中から一緒だったオランダ人の女の子とオーストラリア人の男の子とドイツ人の男の子と部屋のシェアをやってここまできたのですが、彼らは若いというか、短期旅行(数ヶ月)のためか、超アクティブ&ハイパーエナジーなのです!
短期旅行者らしくお金もガンガン使って、朝からどこどこの丘へ上り、昼から車をチャーターして滝へ行って泳ぎ、深夜までお酒とマリファナ~みたいな感じですね。
注:ラオスのマリファナ(その他のドラッグも含め)はすごいですねぇ。久々にマリファナの充満する環境に遭遇し、カリフォルニアにいた頃を思い出しました。
レストランには、ハッピーシェーク、ハッピーピザ、ハッピーココア、など、ハッピーになれる(マリファナが生のまま混ぜてある)メニューも満載です。

とまあそんなわけで、彼らの活動ペースの激しさに驚きつつ、私はババ臭くさっさと宿に戻って寝たりしていたのですが、ヴァンヴィエン到着と同時に次のアウトドアツアーの計画を始めた彼らを前に、
「君たちすごいねえ。私は相変わらずカヤッキングやらチュービングやらというのは遠慮して、明日は河の周りの散策と旅の情報集めをして、あとはボケーっと。。。」と話してみると、
彼らが突然「私達も一緒にボーっとしたい!」と言い出したのです。

「えっ?ボーっとするのはおばちゃんの特権なんだけど、そんなのでいいの?」
「何だかバタバタしすぎて疲れてしまったの。アキみたいに時にはボーっと過ごすことを私達は学んだほうがいいような気がするの。」
「私は貧乏で下痢なので、ボーっとするより他ないけれど、皆さんは健康でお金もあるので遊びに行ってもいいんじゃないの?って言うのは妙に惨めだけど…、これが私のペースなので。」

そこでその夜はお酒も断ち、ベッドの上に寝転んで夜遅くまで「のんびりと」おしゃべりをし、翌朝はお昼まで寝ましょう~というノリになったのですが、翌朝遅くに目覚めるとオランダ人の彼女21歳が、ベッドで涙を流しているのです。
「どうしちゃったの?大丈夫?」
彼女は、今までずっと我慢してきたけど、本当は毎日忙しく観光地を回ってエネルギッシュに旅を続けることに対して心の奥底で苦しさを感じていたの…、だと告白を始めました。

「このあと、ベトナムのハノイで友人と落ち合ってクリスマスを祝ってさらに旅を続けて、まだ一ヶ月はオランダへは帰れないけれど、本当に自分は旅を続けたいのかどうかも分からない。この数週間、オランダへ帰りたいと思う気持ちを心の奥底に押しやって、本当はずっと自分と闘っていたの。」
「確かに、ホームシックを自分で認めるのは勇気がいることだからね。それを認めないために自分に対して凄いプレッシャーをかけていたのかもしれないね。(おばちゃんからのコメント)」
「ラオス入りする前、タイにいたときは友達と一緒で、その子の両親やボーイフレンドがタイへ訪ねてきていたためにきっと自分の孤独が際立ってしまって一時的に寂しさを感じているだけだから、ホームシックではないと思おうとして、彼女と別れた後は、マラリアの薬の副作用できっと不安を感じたり家が恋しくなっているだけだと自分に言い聞かせていたけれど、マラリアの薬を飲まないときもやっぱりずっと苦しくて、心の底から旅を楽しめているわけではないの。今ここで全てを諦めて国へ帰ることができたらどんなに楽かと思うと、、うぅ。。」
「それも一つの手かもね。楽しくない旅をわざわざ続けなくても、一度国へ帰って元気になってからまた出直すのもアリだと思う。あなたはまだ若くて時間だっていっぱいあるんだし。(おばちゃんからのアドバイス)」

糸が切れたように、突然落ち込んでしまった彼女は、しばらくベッドからも起き上がることが出来ず、私達は部屋にこもって、のんびりとたくさんの話をしました。
その後、彼女はお兄さんに電話をかけ、声を聞いて少し動揺し、クリスマスの時期(ヨーロッパのクリスマス=家族の時間)を想像して少し動揺したけれど、オランダ行きの飛行機のチケットがクリスマス前後でも予約できることが判明して少し落ち着きを取り戻し、
「とりあえず、ホームシックを自分で認め、どうしても帰りたくなったらいつでも帰ることができることを確認した。(心の治療です)」により少し笑顔が戻りました。

マラリアの薬も、わざわざ鬱になってまで飲む必要はない、ということで中止し、午後はみんなで川辺に並んでだらだらビールを飲みながら暮れてゆく夕日を眺め、夜はさっさと就寝。
彼女はハイパーエネルギー旅行からもう少しボケーッと旅行にスタイル変更して、
「旅行とは、全ての名所を訪れ、全部見て、全部経験して、完璧に楽しまなければいけない。」
というプレッシャーを軽減することで心の病から少し回復し、最終的には、元気にハノイへたどり着いた模様です。

心も体も、「不調のシグナル」が出たときは、それを認めて立ち止まり、ちょっと休んで調整すれば良いのですね。
ただそれだけのことがなかなか出来ず、自ら状態を悪化させてしまうことがよくあります。
彼女の場合は心の不調、私の場合は腸の不調。

■休めのシグナル

オランダ人の彼女と別れた後、オーストラリア人の男の子と一緒に更に南を目指した私ですが、首都ヴィエンチャンからの8時間のバス移動がきつかった~。
とにかく物と人がギュウギュウ詰めで、前の座席との隙間に足を2本ねじ込むともう隙間がない。
パソコンとビデオカメラの入った荷物を胸の前に抱きかかえると、もうギュウギュウの完全梱包状態で、通路にはバイクやら穀物やらタライやらが置かれ、その上にもローカルラオス人がギュウギュウ詰め!

この状態で8時間行くと、いよいよエコノミー症候群が心配になってきますね。
そして腸の状態もこの日は最悪。
脂汗を垂らして目を閉じ、ひたすら耐える8時間でございました。
はあ。
2回ほど野外トイレ休憩があり、その度にバスを飛び降りた私は、他の乗客とともに藪の中へ走る走る!草木を掻き分け、自分のトイレエリアを確保!
辛かったです。

バス移動後半になって、いよいよ関節が痛み始め、バスを降りてから市街地へ歩いて移動する際も、とにかく全身が痛い。
2キロ以内の移動であれば、バックパックを担いで歩くのがいつものペースなのに、この日は休み休みしか歩けない。
しかも時折トイレ探しに奔走。
やっと宿を見つけてベッドに横たわると、もう起き上がることができませんでした。はぁ~、疲れた。
そのままベッドに横たわり、オーストラリア君が買ってきてくれた蜂蜜レモンを飲みながらその後の日程の打ち合わせを始めた我々でしたが、ふと体温計を見ると、39.4度。
「あれ、熱がでました。39.4度です。」
オーストラリア君もこれには驚き、もう打ち合わせはやめて寝てくださいといわれましたので、オーストラリア製の解熱鎮痛剤を飲んで寝ました。

旅の計画のことで頭が一杯で、関節の痛みや身体のほてりを知らず知らずのうちに無視してしまっていたのですね。
試しに体温を測ってみて、高熱に気がついたのは運が良かったのだと思います。
翌日はのんびり過ごし、食事にも気を使ったおかげで、翌々日の早朝からは再び通常の活動ができるようになりました。通常の活動=移動です。
やっぱり休憩が一番です。

■今回のバクテリアは手ごわい

電気に乏しく、トイレとシャワー(水浴び)もまだまだ原始的な島で4日を過ごしましたが、滞在中のテーマは「下痢を止めること」でございました。
体調が悪いわけでは全くないけれど、トイレへ行くと何かがおかしい。。。ただそれだけ。

知り合ったベルギー人のカップルはベトナムで下痢になって、数日間は砂糖&塩を混ぜた水とご飯とパンだけで過ごしてどうにか治ったということで、これを実践。
しかし効果はいまいち。
次に、モンゴルで出会った旅のプロのアドバイス、「深刻な下痢を止めるには、もう何も食べないこと。」を思い出して、断食生活開始。
う~ん、お腹が空いて、体力がなくなり、島の周りで自転車を漕ぎ回っていたらヘロヘロになってしまいました。
一日で断食からリタイア。春巻きを食べてしまった私は再び下痢生活へ。

オーストラリアの下痢止めのお薬、正露丸、などいろいろ試しましたが、若干良くなったり再び悪くなったり。。。なんですかねぇ。

そこで、島の小屋のお隣に暮らしているスウェーデン人(ラオス農村地帯に長期滞在者)に相談すると、3週間続いたら、ここは抗生物質の出番でしょう!と。
抗生物質って簡単に飲んでもいいものかしら・・・と心配すると、彼は、
「心配いらない。抗生物質を飲むのは、お茶碗を洗うようなものだ。」と説明。
「お茶碗?」
彼の友人で東南アジアで長期の下痢生活を送っていた女性は、あまりに長引くので薬局へ行き、抗生物質を飲んだら2日で下痢がピタッと止まったらしい。まさにマジックです!

スウェーデン人の彼自身は、バンコクでテング熱を拾ってしまった際に抗生物質を飲んだけれど、特に副作用も何もなく、体内のバクテリアを一掃してスッキリだったそうです。
へえ~なるほど。

そこでついに、オーストラリア製抗生物質の登場でございます。
飲み始めて今日で3日目。
昨日のお昼に3週間ぶりにマトモなトイレ経験をしました!が、そのあと農村訪問から帰ってくるトラックの上で、再び異常が発生。
まだ完治しておりません。

昨晩食事を一緒にしたインド系オーストラリア人には、どこかのレストランでお粥を作ってもらって、その作り汁だけを飲みなさい。と言われました。
下痢の本場インドで幼少時代を過ごしたという彼のアドバイス、信憑性は高い?かも。
機会を見つけて試してみましょう。

■衛生環境、生活環境、医療はまだまだ、ま~だまだのラオスです。

今夜から明朝にかけてラオスーベトナム国境を越えます。
ラオス滞在を振り返ってみると、ずーっとお腹が壊れていたのだな~っと、妙に感慨深いですね。(体調は普通です。元気です。)
ラオス南部の島や農村にも行ってきましたが、生活環境の整備(安全な水の充分な確保など)はまだまだ遅れています。

農村部での一番の問題は「薬の不足」だとガイド君が話しておられました。
もちろん、薬を処方できるような医者もいなければ医療施設もない環境です。
豚の子供も、子犬たちも、ひよこも、牛の子も、泥だらけスッポンポンの人間の子供達も、みんなごちゃ混ぜで生活し、強いものだけが生き残る。
病気にかかったらあとは…、かなり厳しい現実ですね。

また、舗装されていない農道は、雨季に泥沼化し、乾季には激しい土ぼこりを巻き上げて人々の肺を苦しめています。
現在は乾季なので、私もガイド君も他のトラベラーも、トラックの荷台に乗って、顔をスカーフで覆いながらの移動でした。。(日本では体験できない種類の土ぼこりです。)
この環境でずっと暮らしている人たちの肺の状態を考えると申し訳ない気持ちになりますね。

まだまだ環境整備が必要なラオス。
そんなラオスを最も援助している国があります。
日本です。日本の援助が圧倒的です。
移動中に窓外に見える看板のほとんどにラオスと日本の国旗マークがついていて、日本からの援助でなされたプロジェクトがいたるところで発見できます。
それは、道路であったり、橋であったり、村に設置されていた水をくみ上げるポンプであったり、病院(確かマラリアプロジェクトホスピタルって書いてあったと思います。)であったり。

以前のメール「NGO自己満足活動?」の中で、国際支援のお粗末な活動を指摘しましたが、ラオスへ来てやっと、「ここの橋がなかったら大変!」というような、「必要な場所」で活躍する日本からの支援を発見することができました。

道路の舗装や安全な水の確保などのプロジェクトと平行して、ガイド君が一番心配する「薬の確保」にも有効な援助がなされるとに期待をしつつ、私は先進国の特権を利用して抗生物質を服用する毎日でございます。

ラオスでの2週間は、この半年間の「発展途上国の旅」の経験を凝縮するような毎日だったと思います。
途上国を旅するということ、そして身体からのシグナルをいち早くキャッチして、早めに対応することの重要性を学びました…、がまだまだ甘いです。
そして2006年は、下痢とともに暮れていくのですね。はっはっは~!(^^)

そろそろ出国の準備を始めなければいけませんので今日はこの辺りで失礼します。

皆様、素敵な2007年をお迎えください。

安希

年が変わる前にもう一つ:

ラオス社会では、女性が財産を管理し、経済的な力を保持しています。(島だけの風習かもしれないけど。)
例えば、田畑や船や家やタクシーは母から娘へ相続されて管理されるらしい。ビジネスを取り仕切るのも女性の仕事。
では男性陣は何をするのでしょうか?お母ちゃんに言われたとおりに船を動かし、家を建て、田畑を耕し、あとは勝手に飲んだくれる。

島でお世話になった宿も、取り仕切るのはお母さん。
島から小船で対岸まで送り届けてもらう際は、なんとおばあちゃんが船頭さんで後部のおじいちゃんに命令!
背筋をピシャッと伸ばして船の先っちょに座ったおばあちゃん、右手には銭袋を握り締め、前方を見つめて発進の合図。
「はい、あんたエンジンを入れて!あっちに船を寄せて!はい、こっちに船を着けて!」
おじいちゃんは、言われたとおりに黙って船を動かします。

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3件のコメント

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    いやいや読めば読むほどアキは、、、、
    ゲリ!!君はゲリだ!!!

    すごいなー
    ひどいなー
    病院へいったほうがいいんではない??

    オージーくんはオランダさんたちはゲリしてないの?
    アキだけなの?

    ラオスでがんばってください
    よいお年を!!

  2. SECRET: 0
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    相変わらずすごい生活をしているようね~!クリスマスにはハガキをありがとう♪ちょっとは体調良くなった?私も変わらずミキで元旦からせっせと働いているよ!たまにこのページのぞくわ(^O^)

  3. SECRET: 0
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     東南アジアには元々母系社会である国が多いのでは、と思います。私の住むタイに於いても同様、家族を仕切るのは常に母親で、お婆ちゃんがいれば彼女が家長的存在と言えます。かつては婿入り婚が常識だったとも聞きます。そんな訳で旦那は悪く言えば種馬と言うのか、妻の決定に従うのみ。私自身の家族もタイ人の妻に見事に仕切られており、自分自身の行動や仕事の方針までは従うことが出来ませんが、家族全体の判断は任せきりになってしまいました。ある意味楽です。

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