世界旅2006:都市部と田舎の情報の格差?(マレーシア)

おはようございます。

「田舎版、不治の病」の後半です。

彼女から、ボーイフレンドの病気についての説明を受けたのですが、第一印象としては「その病気が生死に関わるようなことは無いでしょう。。。」というのが率直なところです。
病名はあえて明かしませんが、少なくとも「いつか症状が悪化して彼女が未亡人になるような病気」ではないですね。
私は医療には素人ですが、もしも自分が彼女と同じ状況下に置かれていたとしたら、とりあえず薬局へでも行って薬がないか聞いてみるでしょう。

そこで私は、「タイの魔術師に会いに行くのも別に悪くは無いけれど、もう少し手軽に治療できるかもしれないので一度お薬を試してみたらどうかしら。それでもダメならタイに行ってみれば良いと思う。」と。
「治療薬があるの!?」
「うん。普通に考えてあると思う。少なくとも、私の周りではその病気が原因で死んだ人はいない。」

彼女は驚嘆し、どうすればその薬が手に入るのかと私に聞きました。
「日本から送ってあげても構わないし、それか、クアラルンプールの薬局か病院にでも一度電話して聞いてみてはどうかしら。」

彼女は、「あなたが今日、10年ぶりに私の前に現れて私の部屋へ泊まっていったのは、きっと神のお告げか何かだわ。」と感動し、「もしも彼の病気が治って無事に結婚できたら、あなたを結婚式に呼びます!」
と。
はい。おそらく治療可能でしょう。
従って、私は数年先には再びこの村を訪問し、結婚式に参列することになりそうです。めでたしめでたし。

さて、今回起きた一連のハプニングと田舎滞在によって、改めて「都市部と農村部の格差」について考えさせられました。
クアラルンプールからのレポート(男と女と社会の発展)の中で、マレーシアの首都のすさまじい発展と近代化について書きましたが、田舎は相変わらず田舎です。
農村部も10年前に比べると道路が良くなったり、住宅が改善されているものもあったり、学校の規模が大きくなったりしていましたが、都市部での発達のスピードから考えると圧倒的にスローペースです。
従って、色々な面での格差は急速に広がっていくわけですね。

この格差問題は、マレーシアに限らず、中国(「中国謎解き体験記」のなかで少し説明)、モンゴル、ネパール、どの国でも必ず起こっていて、今後さらに拡大していく問題です。
以前スタッフからのメールに、日本の下水道の普及率に都市部と田舎では差があるという話もありました。(「下水の話」より)

ただし、近代的発展だけが全てではないので、農村部が相変わらずのペースでやっていることに何の問題も感じないし、むしろ無理な工業化や近代化を持ち込むよりは良いと思います。
しかし、「情報」に関しては、都市&地方間で格差がでるのは問題だし、情報の供給それ自体には莫大な建設投資なども必要ないので、格差はある程度簡単に埋められるはず、というか、埋めるべきではないかと思います。

今回の場合、ボーイフレンドの病気は村のクリニックによって「いつか症状が悪化して死に至る不治の病」と診断されたわけですが、おそらくクアラルンプールの病院へ問い合わせれば、お薬を処方してもらえるのではないだろうか?と。
そして、少なくとも彼女は、一人で思い悩んだり、魔術師に会いにいく必要もなかったのではないだろうか。。。と。
逆に言えば、そういう情報(治療法や治療薬)が村のクリニックにも平等に届けられていれば、最低限、より適切な次の行動が起こせます。

次の行動=都市の病院へ問い合わせる、薬をオーダーする、または具体的な治療が必要であれば、特別な病院へ行く。など。

要するに、いかにしてネットワークを張り、情報を共有し、連携して効率よく問題を処理するかという話。
まさに、ITを使った医療システムの出番でございます。

都市と地方。病院と病院。市民と医療現場。

都市と地方の病院が常に情報を交換し合い、最も適切と思われる治療法や医療施設に患者を振り分けるのであれば、やはりパソコンが効果的でしょうか。
また、市民と医療現場の連携には(特に予防医療の面で)、携帯電話の活用が一番普及しやすいように思います。

アメリカ社会であれば、各世帯においてもパソコン主体でできるかもしれませんが、アジアの場合は圧倒的に携帯の利用が効果的な気がします。
なぜかと言うと、日本も含めたアジアでは、個人または世帯レベルでのパソコンの普及率が低い反面、携帯の電波だけは、
「こんな僻地にも飛んでるの!」というぐらい広域を制覇しているし、
「こんな人でも持ってるの?」と驚くほど普及している印象だからです。
(モンゴルも、チベットも、マレーシアの田舎も、日本においても、携帯電話は普及していると思います。)

手軽で、持ち運び可能で、価格もも安い携帯。市民と医療現場を結ぶには、パソコンよりはこっちでしょう!
と、話が飛びましたが、要するに、医療施設の充実や地域全体の発展には莫大な投資と労力と時間が必要なので、少なくとも「情報」だけは平等に行き渡るように工夫をしたいですね。という話でした。

ちょっと蛇足にはなりますが、「情報の格差」ということで思い出す話が一つあります。

アメリカに居た頃、深夜のロサンゼルスを友人の車でドライブしていたことがありました。
ガソリンを入れにガソリンスタンドへ行くと、そこに貧しい服を着た黒人の女性が数人いて、ガソリン入れ(セルフサービス)を手伝わせて欲しいと頼まれました。
友人は彼女に1ドルを手渡し、ガソリン入れの仕事をさせてあげると、その女性は1ドル札を握り締め、何度も何度もお礼を言いました。

再び走り出した車の中で、友人(彼は、ヨーロッパからの移民として単身アメリカへ渡り、経済的困窮の中を生き延びてきた人です。)は、1ドルを渡した理由をこう説明しました。
「彼女たちの生活は、とても厳しいものだ。ただそれだけのことだ。」と。
そして、貧困や格差についてしばらく話し合った後、私はこう言いました。

「彼女達の生活がとても厳しいのは理解ができる。けれど、アメリカにはアファーマティブアクション(マイノリティー優遇処置)や社会保障だってあるわけで、はたして彼女達が、そういった自分達の権利を活用し、また十分に努力しているかどうか疑問に思うことがある。」
つまり私は、彼女達が自ら生活の向上を望み、真剣にそれらと向き合い努力をしない限り、生活が厳しいのは仕方がないのだ、と暗に言ったわけですね。

そこで彼が返した言葉は印象的でした。
「彼女達は何も知らない。知らされていない。」と。

優遇処置があることも、社会保障があることも、奨学金があることも、教養や学位や資格がある程度の生活水準を保証することも、彼女達はほとんど知らされずに生きてきた(育ってきた)のだと彼は言いました。
彼女達が知っているのは、スラングと、夜の世界と、ガソリンを入れれば1ドルになるかもしれないことと、そのガソリンスタンドに売っている菓子パンが1ドルあれば買えるということ。

彼は続けました。
「自分の権利を生かすことや、その上に努力を重ねることは当然素晴らしい。その権利を放棄し、努力を怠って失墜するのは自業自得だ。けれどそれは、情報が平等に与えられて初めて言える事だと思う。」

このあと、私は返す言葉もなく黙りこくったまま家まで帰りました。

次の行動を起こせるかどうか、どのような選択肢があるのか、また何が適切な行動なのか、それらの鍵は情報が握っています。
もちろん、デタラメ情報もいっぱいあるので、気をつけなければいけませんけどね。

というわけで、今回は話が右往左往してしまって失礼いたしました。
「情報の格差を減らし、平等な分配を。」というのが一連のお話でございました。
どうも。

次はタイからです。
それでは皆さん、ごきげんよう。

安希

余談:
ゲストハウスの相部屋は、二段式パイプベッド5つの10人部屋。
なぜか私以外は全員男で、全員がパンツ一丁でベッドに横たわり、部屋全体がなんとなく汗臭い。。。(常夏のマレーシアです)
そして私のベッドの上の段に、白髪、白髭、推定年齢80歳ぐらいのおじいちゃんがいるのですが、おじいちゃんは夕方からずっとトランプをするのが日課(毎晩)。
我々のベッドの横にパンツ一丁で立ったまま、おじいちゃんは上の(自分の)ベッドにトランプを並べ、一人で遊んでいます。ずーっとやってます。
とりあえず私はベッドに横たわり、おじいちゃんの立っている方とは反対側を向いて寝ようとするわけですが。。。
「おじいちゃん、もうそろそろトランプをやめて寝ましょうよ。でないと私、ずっと寝返りがうてません。。。」

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