世界旅2006:NGOの自己満足活動?マトモに活動しているのは全体の1割未満というウワサ(ネパール)

皆さんこんにちは。ご無沙汰しております。
安希@朝夕は肌寒さを感じるようになったカトマンドゥからです。

ネパール滞在が一ヶ月を超えてしまいました。

今日は朝から街の中心部へ行き、クアラルンプール行きの航空券を予約するつもりでしたが、ネパールの特産物「PCが動かない。電話が繋がらない。飛行機が飛ばない。」
のあおりをモロに受け、「後でもう一度来てください」という旅行会社を、時間を置いて3回も訪れましたが結局予約できず。
「予約状況が分かり次第電話連絡」の約束だけをもらって、おんぼろバスでお家まで帰ってきました。はぁ。
暇つぶしにお茶を飲み、本屋で立ち読みをした以外、収穫なし。
ロイヤルネパール航空よ!飛ぶ気はあるのかい?

さて、発展途上国の一つとして、国際支援(日本からの経済サポートも大きい)に依存しがちと言われるネパールから、今日は国際支援活動に関するお話を。

ネパールという国は経済力に乏しい国です。
したがって、ODAプロジェクトやNGOの支援活動などが活発に行われている国の代表例なのだそうです。
街には国際支援組織のステッカーが付いた車が数多く走っていたり、NGO団体のスタッフが多数滞在していたり、ODA予算で作られた建築物があったり。
つまり、支援活動が身近に感じられる場所であり、また活動に関する「うわさ」や時には「信憑性の高い情報」が多く流れる場所でもあります。
そこで、カトマンドゥに来て以来、私が小耳に挟んだいくつかの話をすると…、

■NGOの活動のうち、マトモに機能している(活動している)組織は、全体の1割にも満たない。

これはどこかの本でも読んだことがあります。
NGOの活動資金が組織の人件費や交通費や運営資金に流れて、支援を必要としている人やプロジェクトまで回っていない。
これは、ODAプロジェクトなどでもよく、プロジェクトをする側の「自分勝手な活動と自己満足」に資金が使われている、といった形で非難されていることも多いですよね。
それにしても、現地へ来てもやはり、ODA、NGO、と聞いてネガティブな話題が出てくるのは事実です。

■NGOの活動家は海外でリッチな暮らしをしている。

何ぃ~!そんなんだったら私もNGO活動家になりた~い!というのはもちろんウソです。
NGOの活動家の中には、高級住宅街に住み、現地の市民には夢のまた夢のような高級カーに乗って、ラグジュアリーライフを謳歌している人も多い。とのうわさ。
例えば、市民の乗り物と国際支援団体が使用する乗り物には大きな差があります。
市民が乗る乗り物といえば、

1、おんぼろバス。日本で言う、商業用の白いバンですね。運転席、助手席、プラス、後部3列に3人ずつ掛けると11人乗り。このミニバンが市内の主な交通手段です。
2、トゥクトゥク。三輪自動車の後ろに箱が付いていて、乗客は箱の中に向かい合って座っていきます。
3、タクシー。日本のタクシーとは全く違います。後ろが丸い小さな車です。ドアも座席もかなりボロボロ。舗装状態の悪い道路を質の悪いミニタイヤでガタガタ進んでいきますよ。

個人的にはどの乗り物も大好きですが、頻度から行くと、おんぼろバスに乗ることが多いです。
バスは混雑が激しいのですが、先日乗ったバスには26人が乗車していました。11人乗りのバンに26人が重なり合って乗っていくのです。

集金係のお兄ちゃんや男性の乗客三人が開いたドアから上体を乗り出し、人の上に人が座り、渋滞の夜道をのろのろ進んでいました。
すると突然ドアの金具が外れてしまって、スライドドアは一部の接続部分を残して取れてしまったのです。それでもバスは進んでいきます。
集金係のお兄ちゃんが外からドアを持って走りながら、それでも車は進みます。
渋滞中の車が完全に止まったところを見計らい、お兄ちゃんは工具を取り出し、一箇所だけ繋がったままの部分をついに切り離し、ドアを引きずって屋根へと登っていきました。
屋根の上におにいちゃんと壊れたドアを乗せ、ドアのないバンは26人の乗客とともに進んでいきます。

その私達のバンの横をビュンビュン抜かしていく高級カー。
大きなタイヤに高い車体。きれいな車に乗った外国人が追い越していくのですね。
そして、それらの車に国際支援団体のステッカーなんかがバーンと張ってあって、「君達の国を助けに来ました」と言っていたとして、その光景は市民の目にどのように映るのだろうか…と。
幼児を抱えて折り重なるようにバンに乗っているお母さんや、他の乗客のお尻の下でじっと耐えている少年の目に、どのように映るのかしら…と。

現地の人の中にも、国際支援団体の活動内容のお粗末さや現地の水準からは考えられないような散財ぶりに呆れている人も多い。とのことです。

■活動内容が不透明。または不明。

「国際支援&国際協力」の名の下に行われている活動。しかし活動内容や実態は案外不透明だったりする。
例えば、国際支援グループが支援資金を獲得します。
そのグループは、現地人主導のプロジェクトにすべきだ、ということで資金とプロジェクト実行権を現地人活動家に移譲する。
しかし、現地人活動家は資金の多くを私的理由で使用し、残りを「もともと支援する必要の無かった部分」へつぎ込んでおいて「おかげで豊かになりました」と成果にしてしまう。
現地人活動家は突出した良い暮らしをすることになり、現地人の間で格差や不平等が生まれ、「支援資金争奪戦」が起こってしまう。など。

こういうことは、オフィス内主導型で動いている場合に起こりやすいのだ思います。オフィス内で実態を把握するのは難しいので、どこかからの情報に頼ることになります。
その情報は特に海外などであればなお更「出所不明、内容不透明」の場合も多く、活動の成果もまた不透明なまま上がってきてオフィスに届けられて、メデタシメデタシとなってしまう。
現地を長く旅されている方などにお会いすると、現地人活動家の実態などを「実は知ってしまっている」人も多く、
「よくもまああんな団体に支援し続けてるよね。無駄だよね。」となるのだそうです。

もう一つ不透明な活動を象徴するお話が…。
この一例に限っては、NGOではなくて日本のテレビ製作会社の話ですが、領収書を平気で水増しする傾向があるらしい。

ある時、日本人のテレビスタッフに500ルピー(800円)のレシートを500USドル(6万円弱)に書き換えるように要求され、
あまりにもすごい額だったので無理だと断ると相手も非常に困っていた。というお話。

ネパールのレストランのレシートは手書きだし、ルピーが弱いためにアメリカドルで支払いをするケースも確かにありますが、いくらなんでも夕食一回が500USドルというのは無茶ですね。
ネパールは6万円もあれば3~4ヶ月は余裕で暮らせてしまう国ですから…。(公務員の月給が7000Rs(1万2千円弱程度))
そこで問題なのが、ネパールではこういった水増し領収書やカラ領収書が当然のごとく切られていて、レストラン側も、もう慣れているという点です。
テレビ製作会社の場合は額が大きすぎて断られ、「困った」そうですが、「水増しできず困ったという事実」こそ本当は困ったことなのですけれど…。

そして、これはもちろん日本のテレビ製作会社に限ったことではないようです。
カラ領収書はいくらでも切れるでしょうし、実際それで稼いでいるであろう、NGO関連のネパール人の成金も存在するようです。
NGOに関わる事で、生計をたてているネパール人も少なくはなく、貧しい村のニーズに沿って支援したつもりが、しばらくぶりに行ってみたら建てた学校には他の人が住んでいたり、寄贈した机と椅子はきれいさっぱり売り払われていたり、という事もよくあるようですね。

海外での活動は、特に実態や基準が把握しにくいので、それが一つの逃げ道にもなっているのかもしれません。
活動内容や資金使途が不透明な結果、某援助団体職員は、途上国でへそくりを溜め込み、どういうわけか日本で自分の家まで建てちゃった。などなど。

■予算獲得、資金獲得が目的になってしまている。

う~ん、どこの世界でもよく耳にするお話ですけれど…NGOなどの国際支援にもおいても同じようなことが言えるようです。
例えば、ある欧米人のカップルがNGOの活動でネパールにやってきました。しかし欧米にあるNGOオフィスは、とんちんかんな事にばかりに予算を使っています。
例えばオフィスのPCを新しくしたり、現地のニセ活動家に資金を回していたり、現地では豊かな部類のプライベートスクールを支援したり。

そこで、現地で実態を知り、本国オフィスのやり方に不信感を覚えたカップルは、ついに自費で活動を開始。
貧しい地区の学校へ赴き、施設を修繕し、衛生状態を改善し…、つまり実用的な活動に切り替えたわけです。
するとある日、本国からNGO視察団とやらがやって来て、彼らの活動を目の当たりにし「勝手なことをするな!」と怒り心頭。
彼らはNGO団体をクビになってしまったらしい。
WHY?

なぜなら「彼らが貧しい地区の改善をしてしまったおかげで、資金獲得用ポスターに使う『貧しく汚れた子供達』の写真が撮れなくなってしまったから。」だそうです。
まさに本末転倒ですね。

■1割のマトモな活動の中には、上記のような個人活動家(自腹組み)も含まれる。

NGOや政府関連を通じた支援活動に失望した欧米人の活動家。彼は自腹で学校を建て、貧しい地区の教育問題(孤児の問題)改善に努めているらしい。
現地に長期にわたり滞在し、身を削っての活動はまさに献身的活動と呼べるでしょうし、その地域の実質的な改善にも繋がっています。
しかしここで考えたいのは、やはり個人に出来る範囲というのは限られているという事実です。

以前、モンゴルからのメール(ささやかな治療③)で「行政」「個人(企業なども)」「NGO NPO」のうち誰がやるのか。誰がどこをやるのか…、
という話がちょこっと出かかっていた事がありましたが、同じような議論再び。です。
組織=資金力、人材源がある、ということで、自腹組み個人活動家が行っているような活動ノウハウを組織が生かせるといいのですが…、って当たり前ですけど。

■自己満足の活動?

肩書き=国際協力。目的=活動資金獲得。以上。というところで活動が終わっているようなものがたくさんあるのですね。
また、チベットからのメール(国境を目指せ③)の中でも書きましたが、現地の視点に立った活動が無視され、支援する側の満足活動に終わっているケースもたくさんあるようです。やはり。

国際協力、それ自体の響きは美しいです。特に、若くて志の高い人が海外へ行って活動してきました!なんて言うと、それだけで立派だった様に聞こえることもあるます。
しかし今、ネパールで感じるのは、「国際協力」の名の下に、先進国の人間が勝手に資金を動かし、勝手に計画を立て、勝手に活動して、勝手に海外での貴重な体験?とやらを積み、
メデタシメデタシ、となる9割の活動を、現地の人々は冷ややかに見つめている…という事実でしょうか。

国際支援活動と呼ばれる活動の中には、「自己満足型の国際協力」や「単なる文化交流」や「何でもない現地視察」なども多く含まれているのではないでしょうか。

資金に手をつける前に、「本当にその活動によって現地の生活状況を『最も効率よく』改善できるのか?」と問いかけ、
活動が一段落したら、もう一度同じ問いかけをすべきではないかと思います。

■結論

さて、今日は随分とネガティブな国際協力について書いてしまいました。
というか、カトマンドゥに滞在しながら率直に書いていくと、残念ながらネガティブになってきてしまいます。

そして、結論として一番残念な点を上げると「国際協力やNGOの活動がネガティブに捉えられるというのは、マトモに活動している1割の人に本当に申し訳ない」ということ。
さらには、これから社会活動に参加したいと考えている人(特に若者)や、支援したいと思っている理解者の未来を悪く言えば踏みにじってしまいます。

注:今回は、活動のネガティブな側面について書きましたが、すばらしい活動をされているNGO、NPOの方々もたくさんいらっしゃいますので誤解の無いようにお願いしますね。
そういう活動家の方への敬意の気持ちは、いつも強く持っています。

例えば「アジアパシフィック医療改革フォーラム」で活動しています。と言ってみたところ、
疑り深い目つきで「…、で、その団体は何者?…NGO? 例の…、よくあるアレか?」と言われたりしたらショックですもん!

国内外を問わず、活動に必要なのは、
明確な目標。調査分析。現地との提携。実態調査。実用的なプロジェクト。長期的サポート。定期的な分析と反省。資金の使用明細の公表。クリーンなイメージ!などなど。
極めて当たり前のことを、確実にやっていくことなのかも知れませんが。

そんなわけで、今度フォーラムについて聞かれたら「よくあるアレではございませぬ!」と声を大にして叫ばさせていただきますゆえ、何卒よろしくお願い申し上げます。

それではみなさん。クリーンな一日をお過ごしください。ごきげんよう。

安希

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