世界旅2006:ラサからカトマンドゥまでのヒッチハイク(チベット)

皆さんこんにちは。ご無沙汰しております。安希です。

今、ネパールのカトマンドゥから書いています。当初の予定ではチベット自治区に3~4週間滞在する予定でしたが、
結局2週間ちょっとの滞在でネパールへ抜けてきてしまいました。

今回は、チベット滞在を早々に切り上げた理由と、ラサを出てからネパール国境を越えるまでの9日間についてのお話です。
ちなみに、今回は「国境を目指せ」3回シリーズです。(メールがどんどん長くなってきているので、小分けにして流すことにしました。)(^^;)

第1話:僅か一週間でラサを後にして…

前回ラサからのメールにも書いたように、ラサはチベット仏教の中心地ではなく、中国の一都市という印象を強く受けました。
さらに、他の中国の都市と比較をすると、サラ市内の貧困や秩序の混乱、モラルの低下は著しく、チベット自治区内の中国化(中国的近代化)と漢民族の移住と漢旅行者の増加(今夏は新しい鉄道開通に伴い旅行者数が昨年の1.8倍だった)のしわ寄せの多くがチベット族に降りかかっている気がします。

街への建設投資と旅行者数の増加によって街の経済が活性化して良いではないかと思われるかもしれませんが、実はこれは中国政府(漢民族)のチベット開拓に対する謳い文句に過ぎず、
実際の結果としては「中国旅行業の発展を助ける」また「チベット族の経済格差の急速な拡大」によって長く続いてきた仏教民族の生活が崩壊していっているような印象でした。(当然ながら、これは私の個人的な印象であって、実際にはどうか知りませんが…。)

それぞれの民族には長い歴史と風習と誇りがあり、ただ街にお金をつぎ込むことや近代化=豊か ではないことを改めて実感しました。
中国に限らずいくつかの先進国にとって、これは耳の痛~い話かもしれませんね。

さて、本題の「ラサを早々に抜け出した理由」ですが、

1:中国化の進んだラサは3日も居れば充分。つまり、あまり楽しくなく、注目すべき特徴もなく、寺院へ行くたびに高い拝観料がかかり
(中国国内の観光地は、周辺住民の所得レベルからは考えられないほど入場料が高く設定されている場合が多かったです。とにかくどこへ行ってもお金がかかりすぎる)、
寺院の中でも物乞いに追いかけられる、チャペルの写真を撮ると1チャペルごとにいちいちお金がかかり僧侶が付きまとってくる(私は写真を撮るのを諦めていたので問題なかったですが)、
街が汚くて気持ちが落ち込む(大気汚染と道端のゴミと唾と青空トイレ!)。

2:ラサを拠点にして周辺の町や遠方の村を見て回りたかったけれど、許可証を取らないと行けないことになっており、
一般的には、高い旅行会社を通して許可証とランドクルーザーを用意していかなくてはならず、とにかくチベットを見れば見るほど出費がかさむ。
しかも、旅行会社がランドクルーザーで連れて行ってくれる場所は、いわゆる観光地のような場所が多く、ラサと同様に中国化されているか、トレッキングや登山旅行など、目的の限られた場所が多い。
つまりよほど特殊なエリア、ラサからかなり離れた奥地でも目指さない限り、チベット族を肌で感じることはいずれにせよ難しい。
(ランドクルーザー旅行にもそれ自体たくさんの利点はありますが、ラサ~国境間に限っては、小さな農村に立ち寄りたければ自分の足を使うほうが良いという意味です。)

3:許可証にしてもランドクルーザーにしても、中国政府や、政府と癒着した旅行会社(中国系が多いらしいのですが)のお金儲けを助けるだけで、ローカルのチベット人にお金が流れていかない。
ラサ入りする前から、外人は許可証が必要だの、飛行機でしかラサに入れないだのといわれて高いお金を支払ってきた身としては、せめてお金を出すなら、貧しいラサの子供たちのために使って欲しいと思ってしまう。

4:他のバックパッカーたちも同じ意見が多く、皆さん早めにカトマンドゥへ抜けるか、アウトドア旅行へ方向転換するかの二者択一を迫られていました。
私は、アウトドアを楽しんでいるような経済的な余裕はないので予定を少し切り上げてカトマンドゥへ向かうことに。

と、そこでアメリカ人と韓国人のバックパッカーに偶然ホテルで出会いました。彼らは、許可証なんてものは無視して、バスを乗り継いでラサまでやってきた人達でした。
「僕は、チベットは中国の一部ではなく、独立した一つの国だと思っているから、中国政府の要求する許可証なんてものは無視する」と言っていました。
しかも、検問前で数日の足止めを食らったことはあったものの、それ以外では全く問題なくラサまでたどり着いたので、許可証は旅行会社の金儲けの口実に過ぎなくて、許可証をチェックするシステムなんていったものは正式には確立されていない、と。

そして、韓国人の青年は、彼のビザが切れる16日までに、再びヒッチハイクとローカルバスでネパール国境を越える予定とのこと。
他の旅行者から「バス会社は中国人以外にはバスの切符を売ってくれないから、ランドクルーザー以外でのネパール行きは無理」との情報を得ていた私は、すぐに反論。
青年は、「確かに普通のルートではバスチケットは買えないけれど、チベット人に紛れこんでバスに乗り、言葉を話さずキャッシュで支払えば行ける」と説得。
「検問に引っかかったら?」「99%引っかからない。なぜなら中国の警察は怠慢だからいちいちチェックしない。
それにローカルチベット人は基本的に僕達の味方だから、許可証の存在を本気で信じている人でなければ、快くローカルバスにだって乗せてくれるし、乗ってしまえば検問でもうまくウソをついて僕達を乗せたまま通過してくれるはず。」

「なるほど。」

というわけで私は、ランドクルーザーで一緒にカトマンドゥへ行く予定だったフランス人のカップルとの旅をキャンセルし、韓国人の青年と共にネパール国境を目指すことに。
香港でビザを用意し、成都までの41時間立ちっぱなしゴキブリ列車に揺られ、それでも1850元もの飛行機代と架空の許可証代を支払わされて、
やっとやっとやってきたチベットで、ローカルチベットを肌で感じることなくランドクルーザーでネパールに行くなんて、それではちょっと悔しかったのです。

法を犯してまで旅行することは私のスタイルではないのですが、今回だけは明確な意思(昔ながらのチベットに会いに行く)と自己責任の下に、ちょっと違反行為。
(チベット文化に触れるための代償として、検問で捕まったら堂々と責任をとる。罰金でも、監獄でも、来るなら来い!おそらく大丈夫だとは思うけど…)
そして、中国ーチベット関係の現状へのささやかな反抗を試みることとなりました。

「何が起こっても全ての責任は自分で取ること。お互い依存しあわず独立したトラベラーとしての関係を保つこと。」
この二つの事項を数日に渡って確認し合ったあと、彼のビザの期限を考慮して急いでラサを発つことになりました。

9月7日の夜もまだ明けやらぬ早朝、バックパックを担いでバス停へ。
チベット第二の都市、シガツェ、へ向かう沢山のバスと大きな荷物を担いだローカルチベット人が暗闇の中にうごめいていました。
チベット人のドライバーと値段の交渉を重ね、私達はローカルチベタンに紛れてオンボロバスに乗り込み、短いラサでの日々に別れを告げました。

国境を越えるまでの9日間、チベット最後の道中で、はたして私達は本当のチベット文化に近づくことができたのでしょうか?

第2話:郷に入っては、郷に従い飲みまくれ! へ続く。

それではみなさん、ごきげんよう。

安希

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