205.北朝鮮に行ってきました。車中編3 
新義州―平壌

皆さま、こんばんは。
北朝鮮レポートがなかなか終わらなくて、泣きたくなってきました。(涙)だけど、今日は北朝鮮が衛星・ミサイルの打ち上げをしたようですし、新しい指導者に代わってもうすぐ一年ということで、何かとお騒がせの国。どうにか最後まで書ききりたいと思っています。それでは、今夜もまた北朝鮮のお話です。

■ 田舎の家屋

車窓から見える農村の風景は、どこにでもあるのどかで殺風景なものでした。社会主義の国ですから、家屋はどれも画一的でしたが、特にひどい建物という印象はなかったです。途上国の郊外、貧しい農村、スラムなどであれば、もっとひどい住環境いくらでもあります。あるいは、国際列車から見える範囲の建物だけは、一応修繕がされていたのかもしれませんが、いずれにせよ、目についた建物は、一昔前の日本の平屋や今も残る田舎の小さな家と比べてもそれほど違いはない、という印象でした。また、数階建てのアパートなども、旧ソ連圏や共産圏で見たものとよく似ていて、日本の公営住宅ともそれほど違いはない、と感じました。

車窓から見える農村の住宅。画一的ですが、想像以上にしっかりした外見。
集落の様子。日本でも、田舎の集落であれば大差ないと思います。
かつてソ連から支援を受けていたからか、ここに写っている家の作りや外壁が、どことなく東ヨーロッパのものと重なって見える。
少し大き目の街には、アパートもいくつかあります。どれもなかなか立派な外見です。
工業団地のようなものかな?煙突と工場らしき建物が見えます。

■ 舗装されていない道 →

中国から北朝鮮に入って、一番印象的だった〝違い″は、道路が舗装されていないことでした。実際、建物に関しては、中国の農村や旧ソ連の国のものと比較しても、それほど大きな違いはありませんが、道路の舗装率という点では、北朝鮮は圧倒的に遅れています。(自然な感じで、これはこれでいいような気もしますが・・・)中東やアフリカ、東南アジアなどの途上国でも、道路の舗装がすごく進んできている印象があり、とりわけ隣国中国の道づくりについては、「この巨大な国に、よくもまあこれだけの道路を張り巡らせたものね!」と驚くほどの出来栄えですから、比較で言うと、北朝鮮の道路はどうしてこんなに舗装が進んでないのかしら・・と不思議に感じるほどでした。おそらく、北朝鮮には、海外からの援助(公共事業・インフラ整備・ODAなど)が入っていないからだと思いますね。道づくりの技術も、予算も、人員も、入って来ていない。

50年前、ほとんどの国の道路は未舗装だったと思います。けれどこの50年くらいの間に、道路を整備する技術は格段に進歩し、従ってこの50年は、世界の道路事情が劇的に変化した半世紀だったはずです。それを後押ししたのは、手頃な値段で大量に普及した自動車だと思います。その勢いは今でも続いていて、各国とも技術支援などを受けながら、猛烈に道づくりをやっている。そこへきて北朝鮮では、自動車が普及していませんし、また普及させようという政策もありません。自動車の運転は特別な権利であって、自動車免許の取得には2年間の修行が必要で、運転免許というのは、いわば運転手に与えられる職業ライセンスのようなものです。だから一般人は自動車には乗れない。つまり、自動車が普及していないことと、海外からの支援協力が乏しいことによって、北朝鮮の道路は舗装されないまま、昭和初期の懐かしき光景を維持しているのだと思いました。(おばちゃんの推測です)

未舗装の道路。道端には、行商人の姿も散見できます。あと牛も・・。

■ 車がいない道

車がほとんど走っていないというのは、つまり人々が自転車か徒歩で行動(移動)していることを意味します。例えば日本の田舎では、普通は車で移動しますから、たくさんの人が農道を歩いたり自転車で移動している様子を目にする機会はありません。でも、北朝鮮のな~んにもない農道を、人々はひたすら西へ東へ、北へ南へと、延々と自転車を漕ぎ、歩いていくのでした。戦後すぐのころの日本や、改革開放前後の中国も、こんな風だったのかな~と。

自転車をこぐ人々。
自転車で荷物を運ぶ人々。
「日本の自転車です」 と説明された通り、デザインは見るからに日本のママチャリ~!だけどこういう自転車は、今では中国でもたくさん作られていますから、たぶん中国から入ってきたものだと思う。
歩く人々。
もっと歩く人々。
これだけ歩けば、ダイエットの必要なし! しかも排気ガスがでない、とってもヘルシーでエコな暮らし。

■ 真っ暗な夜道

北朝鮮の農村には、外灯がありません。日が暮れると後は、農村は真っ暗に静まり返ります(って言っても、列車の中にいるから音は分からないけど)。窓の外は完全な闇ですが、時々、線路沿いの道路(暗いのでそれさえ見えない)を自転車が通過したりすると、ああ、そこに道があったのね、と分かるくらいです。ひと気もないのに・・・、あんな暗闇で一人で自転車を漕いで怖くないのかしら、と思っていたら、一台のトラックが走ってきました。トラックの強いヘッドライトが辺りを照らすと、おお~~!!人がいっぱい歩いてる~~!ことが判明。そりゃそうですよね、まだ夕方5時半とか6時ですから、家路を急ぐ人が道を歩いていても驚くような時間帯じゃないですよ。でもあんまりに暗いから人の存在に気づきませんでした。暗所に目が慣れていない私には、歩けない道です。(軟弱者のおばちゃん。)

■ キムチと畑

さすが北朝鮮だけあって、キムチ用の白菜と大根を積んだリヤカーをよく目にしました。それ以外の野菜は見かけなかったです。冬場は寒くて作物が育たない北朝鮮では、冬の初めに漬けこむキムチは生命線です。

11月半ばとは言え、雪がうっすらと降り積もった畑。
こんなところにも白菜が。
荷車に大根を積んで運ぶ人々。
牛も頑張っています。すべてはキムチのために!

■ 意外と普通のファッション

人々は、想像していたよりも自由でモダンな感じの服装をしていました。軍服の人も多いですが、それ以外の人は、男性であれば黒っぽいジャケット、女性は比較的お洒落でカラフルなダウンジャケットやコートなどを着ていて、印象は普通。もっと、だっさーい人民服のようなのだけを、みんなが揃って着ているのかと思ってました。こういうモダンな服装は、平壌だけでなく、見たところ農村にも浸透している印象でした。

北朝鮮は、支援国だったソ連の91年の崩壊によって孤立し、90年代半ば頃からの飢饉で窮地に追い込まれ、秘密裏に中国との密輸ルートを開いたそうです。それによって、中国からの様々な製品が国内に流入し、闇市場が拡大していったらしい。彼らのカラフルで機能的な服装も、そういった時代の変化によってもたらされたのかもしれませんね。だって、お隣中国には、溢れんばかりのモノがあるんですから。(物質主義を礼賛する気は全くないですが)ある程度快適な暮らしを営むために必要な最低限の物資は、ど~んどん、入っていって欲しいと思いました。だって寒いのは嫌じゃないですか~~。誰だって嫌ですよ。

暖かく軽そうな防寒着。女性や子供はカラフル。

■ 発見!クロネコヤマトの宅急便!

途上国ではよく、先進国から持ってきた中古車が使われているので、日本企業の社名やロゴが入ったトラックやバスは、世界中あちこちで見かけます。でもまさか、北朝鮮で見かけるとは!!!さすが、ヤマト運輸!って違うか。(笑)中国経由で入ってきたのかな~。反射的にシャッター押しちゃいました。(笑)

世界のヤマト!北朝鮮も走ります。(笑)

■ 配給品?深緑色のナップサック

途上国と先進国の乗り物で大きく違うことは、人々が持っている荷物の量です。先進国では、乗り物(公共機関)に乗る目的は移動ですが、途上国では運搬である場合が多いです。新義州やその他の駅に集まる人々は、みんな大量の荷物を持っていて、しかも北朝鮮の一般車両(外人の私が乗ったような特別車両ではない車両)に乗り込もうとする市民たちは、深い緑色をした機能性ゼロの布製ナップサックにパンパンになるまで荷物を詰め込んで担いでいました。服装は普通だったとは言え、さすがにこの集団的ナップサックは他の国では見かけないですね。配給されたもの?または、国が大量生産している販売品?どちらかは知りませんが、色合いや形からして、ああ、社会主義なんだな~、軍事国家だな~と思わせるものがありました。

ナップサックを背負って農道を歩く人たち。
列車に乗り込もうと詰めかけた人々。でも、なかなか乗せてもらえない様子でした。大きな荷物を背負って、必死で走り回る人たちを見ていると、いじわるな駅員や軍人に対して腹が立ってきます。

■ 駅は戦時中

列車で出会った人や服装が普通だったこと、それに市内観光が外人向けに準備されていたこともあって、北朝鮮にきて異世界に紛れ込んだ気分を味わえる瞬間は、実はほとんどありませんでした。唯一それを感じたのが、平壌の駅ですね。着いたのは夜の9時前でしたが、なんじゃこれは~って思いました。薄暗いプラットフォームに、例のナップサックを持った人たちやたくさんの軍人がうごめいていて、おばちゃんはここでタイムスリップ。映像や映画の中でしか見たことのない戦争中の駅の風景。その中に自分がいる・・・。みたいな状態でしたね。かなり不思議な感覚でした。ヨーロッパの映像でもアジアでもそうですが、大戦中の駅って、妙に薄暗くて、軍人がいっぱいいて、人々が背中に大きな荷物をしょって列をなしていたりして・・・。そういうイメージですから。

そして着いたのはいいけれど、駅が広すぎて、人が多すぎて、朝鮮語が分からなくて、ガイドも見つからないし、どこに行ったらいいのか分からない。とにかく、駅の外に出てガイドを探すしかないな、と思い、人の流れに加わりました。出口は3つ。一番自分から近い左出口には、2つの長い列が。真ん中の大きな出口には3つの長い列ができて、みんな一つの出口に向かって突進していきます。で、おばちゃんも突進。駅の係員がたくさんいて、列の中の人を乱暴に掴まえて、携帯電話の確認をしたり、取り上げたり、引きちぎったり、身分証の提示を求めたり、場合によっては(なぜかは知らんが)殴り飛ばされて列から除外されたり、出口のところの最後の審査で胸ぐらを掴まれて追い返されたり(って最後はあの人たち、どうやって外にでるの?)、もう闘いやん!

よっしゃ、それならこっちも戦闘モードで。パスポートやツーリストカードを準備して、押し合う群衆と共に出口に近づくおばちゃん、後ろからも横からもぎゅーぎゅーやられつつも、どうにか駅員にパスポートを見せたら、うわ、怒鳴られて列から外されましたよ~~~~!ここでプツッと切れたおばちゃん、何やねん、そんなら写真撮ったるわ。ということで、撮影。

小型冷蔵庫かテレビでも入っているんじゃないか?と思うほど大きなナップサックを背負った人たち。それプラス手荷物もあり、みんな前傾姿勢になっている。

次は、真ん中の大きな出口をめざし、また列の後ろから参戦。隣のおばさんが列から引きずりだされ、携帯を持ってたおじさんが突き飛ばされ、そしてまた出口までくると、前にいた人たちが駅員に叩きのめされてコケた。うわっ!でもその隙に自分は脱出~~っと思ったら、駅員に胸ぐらを突き飛ばされ、またもや列から外されました。なっ、なっ、なんやねん!(めちゃ関西弁になるおばちゃん!)どこから出たらええねん!!!(ピンチになると関西弁。笑)

そして最後に、一番右端の出口(職員用出口のような??)に向かうと、拍子抜けするほどあっさりと通れてしまった。人もほとんどいなかったし、突き飛ばされもしなかった。どうやら、特権階級の人と外国人だけが通り抜けられる特別出口だったらしい。ああ、そうですか~、わたしゃ全部の出口を試してしまいましたよ。その後、駅の外で十分近く待っていると、男性が一人、さっき私が出てきた同じ通路から出てきて、「日本人ですか?」と。こうしてガイドと無事落ち合うことができたわけですが、ガイドもびっくりしていました。
「いや・・、どこから出てきましたか?この通路、分かりましたか?初めて来る人はみんな、列車を降りたところでじっと待ってるんですけど、見つからないからどうしたのかなと思って。いや、一人で出てしまいましたか・・・。大丈夫だった?」
う~ん、まあ、とりあえず生きてるよね。(笑)っていうか、あっちの出口のカオスは何ですの?と訊いてみたかったですが、ガイドさんに変に思われても困るので、笑顔でご挨拶させていただきました。
「はい、大丈夫です!お会いできてうれしいです!」

やっと車中編が終わりました。
あとは市内編。これも結構長くなりそうで・・・まいったなぁ。
読者の皆さんも、北朝鮮の話ばっかりで、もう疲れてきたでしょ?(笑)

では寝ます。ごきげんよう。

安希

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5件のコメント

  1. おもしろい!
    全然読み疲れてなんかいませんよ。
    怒鳴られても突き飛ばされても全然メゲないお姿に
    思わず吹き出してしまいました。(ゴメンナサイ)
    今後の展開がとっても楽しみです。

  2. とても興味深い記事で、毎回楽しみにしています。
    旅の詳細が事細かく書かれているので、大変だとは思いますが、
    次回の記事も楽しみにしています。
    自分の持つ先入観がどんどん砕かれている感じがして、
    とてもすっきりします。

  3. すごい!!尊敬!!平壌
    駅の出来事は、果たしてガイドに会えるかとはらはらして、会えたときは安心しました。また駅での写真は衝撃でした。家が思いのほか立派だったからその映された人々の姿は驚きました.本当に面白い本を読んでいるようで続きが楽しみです

  4. 平壌
    駅にやっと着いた!!バンザイ!!でも次々のアクシデントに襲われながら切り抜けるファイトに脱帽!!映像で見てた建物が立派なのに、平壌
    駅での人の姿にびっくりしてしまいました。でもガイドさんに会えて一安心しました。

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