202.北朝鮮に行ってきました。準備編3
(中国・丹東)

皆さま、おはようございます。

『北朝鮮に行ってきました』準備編3です。
準備編最後の今回もまた、中国の話ですが、目的地にピンポイントで辿り着かない寄り道だらけなところが、旅の醍醐味ということで、北朝鮮入国までに、あと一話、中国編でお付き合いいただきたいと思います。どうぞよろしく。

瀋陽でビザを、丹東で国際列車のチケットをゲットした翌日は、一日何もすることがなく、丹東で一日を過ごしました。丹東は、辺境の街と聞いていたので、小さく寂れた場所をイメージしていたのですが、着いてみたら高層ビルがバンバン立っておりまして・・・、中国の高層ビル群が一部の都市だけでなく、全国区に広がっていることを実感することとなりました。

1.河の向こうには、何があるのか?

丹東の街の端には、鴨緑江が流れ、河の向こうには、北朝鮮の新義州という街が見えます。中朝国境には、「中朝友誼橋」が架けられていて、翌朝はその橋を列車で渡って北朝鮮にいく、と。それから、中朝友誼橋の隣には、もう一つ橋があります。「鴨緑江断橋」という、北朝鮮側の半分が破壊されている橋です。これは旧日本軍が満州を侵略し、占領していた時代に建設され、その後、朝鮮戦争中に、アメリカ軍によって爆撃されて半分が破壊され、そのまま放置されているものです。(北朝鮮を後方支援していた中国からの援軍を絶つために、破壊されたとされる)。

朝鮮半島と中国大陸が隣接するこの中国東北エリア。北にはロシア、東には日本、朝鮮半島の南には韓国・アメリカ、それぞれの国の思惑が交錯した(未だに交錯していると言える)複雑な土地です。北朝鮮旅行というと、北朝鮮の独裁政治や南北分断に注目が集まりがちですが、北朝鮮入国前に中国側の丹東を散策できてよかったと思います。高層ビルが立ち並ぶ中国側から、殺風景な対岸を眺めていると、国の政策が、河一本隔てた両国の運命をこれほどまでに分けてしまうものか・・・と思えてきます。それから、北朝鮮に入る前に外側から眺めていると、「向こう岸には何があるんだろう」という好奇心やら妄想やらが、強く湧いてきますからね。そういう意味でも、丹東で過ごした時間は貴重だったと思います。

遊覧船に乗って、河の真ん中から両国を見比べたり、朝鮮側に近づいて、その様子を眺めたり・・・。でも、船の上から見ているだけでは、やっぱりよく分からないし、あっち側へ足を踏み入れたい!という衝動にかられるものです。翌朝の北朝鮮入国が、とても楽しみであり、同時に、あのよく分からない土地に行かなくちゃならないと思うと、ゾクっと冷汗が出たりして、思いがけず、入国前にドキドキワクワクボルテージが上がってしまいました。

高層ビルが立ち並ぶ丹東。
河の向こうには北朝鮮の大地が見える。
鴨緑江の真ん中から見た両国。
右が中国。左が北朝鮮。

2.では、くっついて行きます。

さて、遊覧船の上で、ブラジル人のビジネスマンの男性と出会いました。少し話をした程度でしたが、船を降りる時に、「Wifiが入ったネットカフェを知りませんか?」と訊ねたところ、彼の現地案内役である中国人の友達が船の外で待っているから、彼に訊いてみたらいいよ、と言われました。「はい」と返事はしたものの、ここは歴史的にいろいろあった中国の東北地方、しかも最近の日中関係の悪化もあって、ブラジル人の友達という中国の方が、日本人の私に対してどんな反応をしてくるかは、会ってみるまで分かりませんでした。
一緒に船を降りると、船着き場には若い(26歳)の青年が一人。「船で知り合ったんだ」と紹介してもらったあと、その青年は流暢な英語で「日本の方ですか?」と。もちろん私は「はい」と答えました。ドキドキ・・・日本の人だと、何かダメかな・・・やっぱり?
すると彼は、清々しい笑顔で「ようこそ、丹東へ」と言い、Wifiのあるネットカフェに連れて行ってくれました。

さて、カフェに着くと、そこには彼の新妻(新婚2週間!)が待っていて、私たちは一緒にコーヒーを飲み、iPhoneで北朝鮮入国前最後のメールチェック。そこでふと、自分が抱えている問題を思いだし、彼にもう一つ助けてもらうことにしました。おばちゃんは言いました。
「私は、明日の朝ホテルをチェックアウトして、4日間北朝鮮に行き、21日に丹東へ戻ります。そこで、その4日間は携帯電話と本(文庫本とガイドブック)を持っていけないので、ホテルで預かってもらいたいのです。そして、21日の夜、丹東に戻ったら、同じホテルに一泊して、預けた荷物を受け取り、翌朝、大連に向かいます。ただ、ホテルのフロントは誰一人として英語が分からないので、できれば今お話しした内容を中国語で紙に書いてもらえませんか?それをホテルのフロントに持っていきますから」と。

宿泊延長ぐらいなら筆談でもジェスチャーでもいいですが、用件がやや複雑だったので、きちんとした説明を紙に書いてもらいました。彼は、英語と中国語で説明書きをしてくれて、いよいよコーヒーも飲み終わり、さあ店を出ましょうか、というところで私に訊きました。
「今日はこの後、どうするのですか?」と。
「いや~、特に予定はないです・・・。ぶらぶらします」
(おばちゃんの旅に、予定なんてあるわけないのです。ただぶらぶらしてるだけです)
「じゃあ、僕たちと一緒に観光しませんか?夕方には妻が夕飯を作りますから、一緒に食べていってください」と。
「いいんですか?」
お邪魔でなければ便乗させていただきます、ということで、くっついて行くことになりました。

3.中国の建設ラッシュ、空洞化と減速の噂

乗り込んだタクシーの中で、丹東の街について青年と話をしました。両国を隔てる河のこと、そこにかかる橋、それから壊れた橋・・・。
「あの橋は、日本人が作ったんだけど、知ってた?」と彼に訊かれ、ああややこしい会話が始まるなと思いましが、もちろん知っていたので、おばちゃんは言いました。
「はい、知っています。・・・歴史は複雑です、とくにこの地域においては。・・・残念なことです」
すると彼は、少し間を置いてから、
「ただ、僕たちが中国で習っている歴史も、必ずしも正しいわけではないです」
と返してきたのです。青年の冷静な対応に、驚きました。彼はイギリスに留学経験もあるので、国外の情報に触れる機会がきちんとあったのだろうな、と。というのも、今年2月に訪れた同じ東北のハルビンで、中国から一歩も出たことのない若い女性が、あまりに偏った情報だけを信じ込んでいたことに愕然としたばかりだったから。
青年とは、私たちが受け取る情報、習う歴史は、多かれ少なかれ、どこの国でも歪んでいるし、偏っている。それは日本も中国も同じですね、というような話をしました。そういうことが言える相手で、本当に幸運だったと思います。

さて、丹東市内の小山(公園)をみんなで散策し、展望台から眼下に広がる街を眺めました。そこでの会話にも、青年の冷静な態度が感じられました。というのも、乱立する高層ビルについて話していたときのこと、市内中心部にあるビルは活用されているものの、中心から離れた地域にも次々と作られ続けているビル群について、彼はこう言いました。
「あんな不便なところに作っても、誰も住まないですから。立派なビル(高層マンション)が立ち並んでいても、中は空っぽです」と。
私は、一つ気になっていたことを彼に訊きました。
「そう言えば、さっき河で船に乗っていた時に、小島を見つけました。その島の上にはお城のような豪華な建物や、立派な観覧車まであって、遊園地のようにも見えたのですが、あれは中国の建物ですよね?」
対岸の北朝鮮にも、(これ見よがしに?)観覧車があったので・・・もしや北朝鮮の遊園島・・・じゃないよね?と確認したわけです。すると彼は言いました。
「あの島は、中国側が開発しましたが、政策的には失敗でした。かなりの大金を費やして途中まで建設しましたが、結局、建設は途中で打ち切りになって、ああやって放置されているんですよ。行政が投資に失敗したんです」

まるで、80年代の建設バブルで大失敗した日本のテーマパークみたい、って思いました。

特に近年、中国の建設ラッシュは行政主導の架空ラッシュ(いわゆる必要以上に公共事業をやりまくって、表面的な経済成長率を維持している状況)だと言われていましたが、噂はやはり、一部では本当なんだな、と。
とにかく僻地でもどこでも構いなく、超高層マンションを建設し続けてきたものの、そんな僻地には仕事もなく、人も集まらないし、しかもマンションの価格が高すぎて、結局は買い手がつかないまま放置される。「無人の高級住宅街(高層マンション街)」が何もないド田舎に出現するようなことが、ちょくちょく起きているみたいですね。

ただし、「行政の投資が失敗している」ということを、冷静に話せるような人が出てきているというのは、ある意味、強いなと。「まだまだいける、どんどん作れ!自分たちは間違っていない」と盲目的に突き進んでいく人たちが、最後にバブルを大爆発させたり、大借金を残したりするわけですから。行政サイドも、途中で打ち切りにしたというのは、失敗だけど傷口を広げない、賢明な対応だったと言えるかもしれませんね。
(日本の原発やダム建設も、見習いたい。)

4.人間の器

公園での散策の終わり近く、青年の携帯電話がなりました。お父さんからの電話らしく、
「夕飯には何時ぐらいに戻るんだって言うから、あと一時間くらいと言っておいたよ。さあ、早く家に帰ろう」と。
ええ~、お家で夕飯っていうのは、青年夫婦の家ではなく、青年のご実家へ行くってことだったんですね。いや・・・もちろん有り難いけれど、ご両親は、道で拾った日本人が突然家に押しかけてきたら、どう思うだろうか・・・。何と言ってもこの微妙な時期の微妙な土地、そして歳が上にいくほど、価値観や世界観は保守的になりますから、私がついていってもいいのだろうか・・・と。ご両親は、私が日本人だって知っていて、家に招いていいと言っているんだろうか・・。5年前だったらあまり深くは考えなかった問題ですが、最近悪化した日中関係のせいで、けっこう神経を使いました。

青年のご両親の家は、街中の高層マンションの21階(だったと思う)にある、窓からの景色が素晴らしい広々とした住宅でした。エレベータで上がり、玄関先で出迎えてもらったのですが、青年が「日本の人も連れてきた」と紹介すると、ご両親は満面の笑みで、歓迎し、スリッパを用意して下さいました。お父さんは、一つ二つ、日本語の単語であいさつもしてくださった。ああ~、どうやら嫌われてないみたい~、よかった~。

それからお母さんと新妻が料理をする間、私たちは居間で栗を食べたり、映画を観たり、パソコンをしたりして過ごしました。大連の宿のことを相談すると、青年がネットで調べて、格安のいいホテルを予約してくれて、あとはキッチンでお母さんと奥さん(新妻)に、料理の様子を見せてもらったりして、心なごむひと時を過ごしました。

そして夕飯。日本のことも、中国のことも、世界のことも、いろんなことを自由に話せたし、家庭料理はおいしいし、最高でしたね。中華料理は、大勢で食べることを前提に作られているので、一人旅をしているとレストランには行きづらいです。一人だと、大皿で一種類だけマーボ豆腐を食べ続けたり、同じ種類の餃子を12個食べたり・・という羽目になりますが、ご家庭に招いていただいたことで、久しぶりにいろんな種類の豪華な料理を、少しずつ味わうことができました。

丹東での夕飯。みんなで食べる家庭料理は最高!

ちなみに、お父さんは貧しい農村の出身ですが、真面目一徹で仕事をして、現在は鉄道局で高いポジションについているとのことでした。そして、日本の電化製品のことをすごく褒めてくれましたね。(今、すごい落ち目だけど! 笑)
「私が初めて買ったステレオは、シャープでした。あの当時には高価な買い物でしたが、それでもとてもいい音が出るので満足でした。素晴らしいですね」と言って下さるんだけど、
「いや~、シャープはもうダメです。ホンハイに見捨てられたら終わりです」
「何がダメだったのですか?とても良い製品だと思います」
「液晶パネルを造りすぎましてねぇ・・。分散投資すればよかったんでしょうけど・・(三重県出身のおばちゃんとしては、何とも痛いお話しでて・・)」
「サムスンより、いいじゃないですか。携帯もいいですよ」と慰めてもらいましたが・・・。苦笑。でも、そんな風に言って下さる心遣いが嬉しかったですね。

やはり気になるのは、4人掛けのテーブルの端っこに、プラスチックの椅子を置いて座り、私やブラジル人ビジネスマンに、せっせせっせとお酒を勧めてくれるお父さんの姿・・。私が椅子を取ってしまったばっかりに・・、「あの~、お父さんこっちの椅子へ座ってください、私はプラスチックの椅子が好きです」と言うも、お父さんは相変わらず隅っこからお酒を注いでくださる・・・と。

さらにお母さんですが、椅子が足りないのか、キッチンで一人で食べているらしい・・。私が椅子をとってしまったばっかりに・・・、「お母さんもこちらで一緒に・・」と言ったのですが、シャイなので、といってキッチンにいらっしゃって、たまに顔を出す時だけは、ニコニコしてるんですよね。こんなに親切にしていただいて、「ありがとうございます」とお礼を言うと、お母さんは私にこう言いました。
「ここは、あなたの家だと思って下さい。そしてまた丹東に来ることがあったら、この家に是非泊まって行ってください」と。

青年一家にお会いする前、国家関係や自分の国籍のことで、ビクビクしていた自分の心の小ささ、狭さを痛感しました。そして、メディアや政府が、これだけ嫌悪感を煽っている最中に、たまたま道端で出会った(嫌悪すべき)旅人を、こんな風に迎え入れられる青年一家の姿が、深く心に残る一日でした。

ここまできたら、人間の器の問題だな、と。大きな器に出会いました。こんな出会いがあるから、たぶん私は旅を続けているんでしょうね。

丹東での素晴らしい一日を終えて、いよいよ北朝鮮へ入国です。
準備編読了、お疲れ様でした~。

ではまた、ごきげんよう。

安希

Be the first to like.


2件のコメント

  1. もし私が今この日本で中国人にあったらご馳走をしてあげる心のゆとりがあるか?きっと先入観が強すぎて出来ないと思いました。昔の満州と言われていたところに器の大きい中国人に感動しました。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。